第4話 駄目な男
4
ランシズが礼装のまま、正面玄関で警備兵のように折り目正しく立っている。近くにいる本当の常装警備兵である、濃厚な黒灰色をした服の二人は、少し迷惑がっているようで、カイムはくすりと笑う。
車寄せで停まると、ランシズは急いで車の横に付く。ドアを開けられる動作を待つのもまどろっこしい様子で、窓を叩いて来そうな勢いだった。車寄せで応対する猟犬がこれまた酷く迷惑そうに、ドアを開くと、カイムは直ぐにでも引っ張っていかれそうな勢いで、ランシズに捕まってしまう。
「ちょっと、待った。落ち着きなさい」
もう、命令は効かないのだと分かりつつも、それらしい言葉を選んでしまう。
「緊急なのです。ヘルレアが、カイム様へ直ぐいらして下さいとのこと」
「何があった、ジゼルに異変が?」
「いえ、ヘルレアは何も仰ってはおりませんでした」
カイム達は急いでヘルレアとジゼルの居る部屋へ向かった。
チェスカルが、部屋の扉をノックする。
「失礼致します」
「随分ぞろぞろと、刃物をぶら下げて来たもんだ」
ヘルレアは扉が閉まっていて見えなくても、やはり分かってしまうようだ。カイムと猟犬、そしてヘルレアの綺士であるランシズは、礼装のままジゼルの部屋に直行して来た。
チェスカルが扉を開けて、カイムへ道を空ける。
「何かジゼルに変化がありましたか」つい、カイムは急いて、ヘルレアの顔が見える前に口走った。
「……いや、気の所為だったみたいだ、安定している」
カイムは部屋に入って行くと、ヘルレアが彼を、隠しもせず見詰めている事に気が付いた。一見、無表情のようだが、少し睨みをきかせているのが分かる。その見詰め方は、完全にガン見している、というか威嚇してガンを飛ばしていると表現していい。正直かなり怖い表情だし、身の竦む状況だ。まさに蛇に睨まれた蛙状態でカイムはなんとか微笑む。
私室に入ってからも制帽を被ったままで、脱ぎ忘れている事にようやく気付く。制帽を取って脇に抱えた。
「すみません、このような姿で。威圧的ですよね。これから三日間喪に服して、礼装でいなければいけない決まりがあるのです。ご不快やもしれませんが、ご容赦を」
ヘルレアが、ふいっと、カイムから顔を逸らす。表情がぎりぎり覗えない角度に向いてしまった。
「カイム様、どうぞお掛けになって下さい」
ランシズが椅子を用意する。
カイムは制帽をチェスカルへ渡す。そうすると、猟犬がやや大袈裟に、制帽を胸の前で捧げ持つ態勢を取った。カイムは剣を外して杖のように床へ突き、柄に両手を乗せて身体を支える楽な姿勢を取る。
「よかった何事もなかったという事ですね」
「……そういう事だ」
ヘルレアは何故かカイムを見ようとしてくれなかった。なんだか気まずくなって来た。
まさか王が猟犬のように、カイムを恐がるなどという事はないだろう。本当に十三、四の子供なら恐がるのはあり得るが。実際にカイムは正装時、館の子供に恐れられて泣かれた事がある。どうやら、黒一色が恐いらしく、当時はカイム自身も泣きたくなったものだ。相手はヨルムンガンドだと言うのに、何故か古傷が痛む。
ランシズが制服付属の懐中時計を出して見る。
「隊長、チェスカル。そろそろお話しをしなければならない時間です」
ランシズが唐突に二人へ視線を送る。
「ん? どうした」カイムは三人を見る。
「悪いカイム、俺達は用事があるから行くわ。私室だから俺等が居なくとも、まあ、いいだろう。ヘルレアも居るしな……ってそれが良いのか悪いのか分からんが」
チェスカルはチェストに、白いハンカチを敷いて制帽を置いた。
するとさっさと三人は、まるで箒で掃き出されたように、居なくなってしまった。
――独りにしないでくれ。
カイムは猟犬と思考を繋いで呼び戻そうか迷う。だが、三人は何か仕事がある様子だったから、カイムの少々くだらない小さなトラウマに、付き合わせるわけにもいかないだろう。
覚悟を決めて息をつきたかったが、ヘルレアに知られてしまうので我慢する。
カイムは思い切ってヘルレアの隣に行くと、ジゼルを覗き込む。
「目を覚ます様子はありませんか」
「ああ、まーな」
「ジゼルの身体は大事無いですか」
「うーん、そだな」
「それはよかったです……」
「だよなー」
ヘルレアの様子がおかしい。心ここにあらずといった体で、カイムの問いかけにも上の空だ。
――嫌われてしまったのか。
また、あの時の子供のように恐がられ嫌われてしまったのだろうか。一応、王も番がいないので幼蛇なのだし、普通の人間なら年齢的にもまだ本当に幼さが残る年頃だ。
カイムは子供に嫌われるのはとても辛い。それはただ単に子供好きなだけの面もあるが、実は無視できない思いも同時に心を揺さぶるのだ。
――無垢な者に拒絶される、
何か嫌悪されるような雰囲気をまとっているのかと、本心から傷付く。
――僕は多くの人々を殺めてきた、本物の人殺しなのだから。
一般の犯罪者のように、快楽、金銭、憎悪、攻撃衝動、といった欲求に基づくものでは無い、カイムのもたらす死。完全なるプロの、乾き切った暴力は、砂時計の砂がゆっくりと降り積もるように、心を蝕むようだった。それは激しい痛みというよりも、どこか乾いてひび割れて行くようで、常に静かな、そして微かな、渇望をもたらす。
――だが、僕にはその渇望を、言葉にする事が許されない。
だというのに、それでも子供の笑顔を免罪符のように、カイムは感じてしまうのだろう。
なんとも手前勝手で、細やかな救済と癒し。
だから、省みる事すら許されないカイムは、子供から拒絶される度に、彼の罪を思い起こさせるのだった。
カイムへ暴力、死、虐待、汚穢を、この子達は見ているのではないかと。
「……お前なに、またぼんやりしている」
「え、そのような事はありませんよ」
ヘルレアがカイムを見てくれた。
カイムが微笑む。
でも、何故かやはり顔から焦点を外しているようだ。カイムは気になってどうしようもなくなり、ヘルレアの側へ更に寄ると、顔を近付ける。
ヘルレアが一瞬で身を引いて顔を逸した。
完全に避けられている。
「……あの僕がお嫌いですか」
「別に普通」
「それは、本当ですか」
「お前なんか、なんとも思ってはいないよ」
「よかった。僕はヘルレアに嫌われたら辛いなって思って」
ヘルレアがカイムへ顔を向ける。
「ふーん、あっそ」
「僕は昔から、子供に嫌われるのを、凄く辛く感じるのです」
ヘルレアの表情が少し変化した。どんな表情とは言えないが、何かが動いた。
「……。やっぱり、カイムは駄目だわ」
「え? いきなりどうしたんですか。何か変な事言いましたか」
ヘルレアがようやくカイムへ視線を合わせたが、その目は、じとっと、しており何か言いたげにカイムを見ている。
「お前、本当に相変わらずダメダメだよな。だから、今もそんななんだよ。猟犬は従えられるのに――あの時もあれだもんな」
「どういう事ですか?」
「テディベアは選ぶなって、言っただろう」
「ええと? 何の事ですか」
「もういいよ、用はないから行っちまえ」
「そんな……はい、失礼しました」
カイムは隠し切れないため息を漏らし、ヘルレア達の居る部屋を出る。
カイムは首を傾げる。何か失礼な事をしてしまったようだ。
廊下をゆっくりと歩きながら、懸命に先程ヘルレアとした会話を思い出す。
ジェイドが乱暴にカイムの意識へノックしてくる。思考を少しだけ開いて心を寄せる。
【――カイム、ヘルレアを襲え!】
ジェイドの声が約十年振りに精神へ響き渡った。
――急襲? 急襲でもヨルムンガンドになど、僕が勝てるわけがないだろう。
【――馬鹿野郎、そっちじゃない。男として襲えって言っているんだ】
――何て事を言うんだ!
【――ヘルレアならどう転んでも、強姦にはならん。拒否されればお前が酷い目に遭うだけだ】
――それも少し安心だとは言えないけど。
【――とにかく行って来い。オルスタッドが言うには、ヘルレアはお前の礼装姿にときめいているようだぞ】
――何だって、そんな馬鹿な事が!
【――馬鹿でも糞でも何でもいい。これは好機だ。正々堂々男として襲いかかって来い。健闘を祈る】
もうジェイドの心が離れてしまっていて、何も聞こえて来なかった。
カイムは歩いて来た廊下を振り返る。ほんのり薄暗くてひんやりしている。
ふっと、自分が制帽を被っていない事に気が付いた。カイムは一瞬固まる。
――制帽を取りに行くだけ、制帽を取りに行くだけ。
呪文のように唱えながら、カイムは今来た廊下を戻る。鼓動が早くなっているのが自分でも分かる。
襲うも何も、正直平常時にカイムから子供のヘルレアへ、アプローチするのはキツい。下品な話し性欲が抱けないし、ヘルレアから誘ってくれて性的興奮能が働いていないと、そういう行為の入口にすら、立てないような気がカイムにはする。
だが、やらねばならないか、と――。
ノックをしようとすると、ヘルレアの疑問有りげな声が上がるのが聞こえる。
「何しに戻って来た?」
「……あの、制帽をお部屋に忘れました」
「ああ、あれか」
入室を拒否されたような雰囲気はなかったので、カイムは部屋へ入る。
「すみません、普段着慣れないものですから」
ヘルレアが見ている。先程とは違い、逆にまた一番最初に部屋を訪ねた時のように、しっかり見詰めている。視線に力があるようだった。本当にまるで突き刺さるかのような痛い視線だ。
「……ヘルレア、お側に行ってもいいですか」
「勝手にしろ」
少し突き放したような声音だが、拒絶はされなかった。
カイムはヘルレアの側へ行ったがそれ以上行動に移せず、無意味にジゼルを眺めた。
――そういえば、この部屋には子供のジゼルがいるのだ。眠っているとは言え、この子の前でまたナニをする気だ。
部屋は沈黙に没んでいる。カイムは猟犬を弔ったばかりの礼装姿で、わいせつな事を子供に仕掛けようとしている。胸がザクザクと刻まれていくような痛みを抱えて、眼を思わず固く閉じる。
――仕事なのだ。ラスティン、ランドルフ、すまないな。
「……ヘルレアは僕が、お嫌いですか」
「は? またそれか、前々から言ってるだろう。お前は駄目な奴だと」
「ならばそれは、嫌いだと言うわけではないんですね」
「なんだそれは、嫌いって言……」
「触れてもいいですか」
ヘルレアが固まってしまう。
「もっと側へ行って、触れてもいいですか……もう一度、口付けをしませんか――ヘルレアとキスがしたいです」
カイムは少しだけヘルレアと距離を詰める。
ヘルレアの青い眼に宿る灯火へ、うっすらと白が差し乳白色に近い水色へと変わる。
「あの駄目でしょうか……やはりお嫌いですよね」
ヘルレアが少し顔を逸した。カイムはなんとなく拒否されていないと感じて、手袋を外してヘルレアの頬を片手で包む。
本当に拒まれていない。そっと撫でてみると、今まで一度も感じた事の無い種類の、滑らかで柔らかな肌触りをした頬だった。それこそ頬ずりしてしまいたくなる程心地良い。
「……気持ちいい」
カイムはつい溢してしまう。
ヘルレアは無表情のままだ。
カイムは座るヘルレアの高さへ身体を折り、顔を近付ける。ヘルレアはカイムの方を向き二人は見詰め合う。
――気配がする。近寄る事を許されたような。
二人はもう親密な――愛し合う者の距離になっていた。
唇を近付ける――。
しかし、唐突にヴィーの意識が主人へ体当たりして来た。
【――カイム様! 天犬が暴れています。お助け下さい】
カイムは中腰の姿勢という無理な状態が祟って、バランスを崩してヘルレアに伸し掛かり、押し倒した。
「天犬って、お前達は何をしているんだ!」
ヘルレアの上でカイムは叫ぶ。
「それはこっちの台詞だ、クソ野郎!」
カイムは急いで立ち上がり、ヘルレアを立たせる。
「申し訳ございませんでした。猟犬がトラブルを起こしたようです」
ヘルレアは完全に怒っている。
「ルークが暴れているようなんです」
「はあ? 何やっているんだ」
カイムが星空を見ると一つの星が濁っていた。ルークの思考が混濁していて、何一つ感じ取れなかった。話し掛けても弾き返されているような感覚がある。
「ルークの奴、何をしたんだ。酷く酔っている。すみません。僕はもう行かなくては」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます