第6話 妖樹の森、霧烟る村へ
7
時刻は早朝。
”猟犬の棲家”にある中会議室では、新たな任務への下準備に入ろうとしている。
カイムが中会議室への扉を開くと、
チェスカルが部屋の最奥にあるマジックボードに、拡大資料を貼り付けている。
長卓には三人座っていて、影全体をまとめる隊長のジェイド、更にチェスカルの班員、ハルヒコとルークがいる。
窓のない館内奥の一室が、中会議室だった。扉から最も遠い壁には、木製の建具が全面に設えられている。
猟犬達はカイムが来た事に気付くと立ち上がる。カイムは今回、取りあえず頷くとチェスカルを除く全員が席に着いた。
カイムが背後にいるヘルレアへ、道を譲り入室を促す。
その瞬間、ルークが飛び退り、ハルヒコが立ち上がると銃へと手を伸ばした。
「ヨルムンガンド――」ハルヒコが鬼の形相でヘルレアを凝視している。
ルークといえば既にどこにもいなかった。
――ヘルレアは何故か気配を消していたのだ。
「お前達、チェスカルに説明は受けているだろう。席につきなさい。ルーク、どこまで行った早く戻るんだ」
ハルヒコはその一言で、目をつぶりどっしりと腰を下ろす。ルークは相変わらずどこにもいない。
「ルーク!」カイムが呼ばわると建具の扉を開けて、顔をひょっこり覗かせる。
ルーク・トラスは明るい金髪を丸刈りにしている。色素が薄い為に赤っぽい肌をしていた。彼は
チェスカルが苦い顔をしている。
「お前達訓練が足りないぞ」
「そういう問題ではないと思います……」ルークはあらぬ方を向いている。
ハルヒコやルークの反応は兵士として順当だ。脅威に対して鈍過ぎる方が問題であろう。しかしながら、口頭で伝えられているというのに、ここまで敏感に反応するのは、やはり
カイムはヘルレアの様子を見る。何の反応もなくぼんやりと部屋の中を見ている。人の姿は全く目に入っていないようだ。
「改めて紹介しよう、この方はヨルムンガンド・ヘルレイア――恒例として、略称でもってヘルレアとお呼びする。王とも、お声かけする事を許される」
チェスカルが顎を引くように小さく礼を取ると、班員の二人を指し示した。
「こちらは私の部下で、ハルヒコ・ホンダとルーク・トラスという者です」
ヘルレアは一応ひらひらと手を振ると、そのまま興味を失ったようだった。
カイムが席に着くと、ヘルレアは隣に座る。
「今回、コールデルタ、ローザ村に置ける蛇についてですが、住民に紛れて惑わし
ジェイドが眉根を寄せる。
「コールデルタと言えば西方の小国か。なかなかに豊かな国と聞き及んでいるが」
「はい。しかし、今回は山村――しかも、妖樹の森を切り拓いた土地ですので、ある程度生活水準は下がっています。巣がある可能性は低いと」
「妖樹の森とは、
「結果的に私達が出るしかないということです」チェスカルが頷く。
「一応、名目はカイムの私兵だというのに、この短期間でライブラにも名指されるわ、一体どういう状況なんだか」
「それだけ特殊な事例が頻発しているということだろう。通常部隊や他の部隊では手に余る。こうなってくると別部隊を編成するべきだが、人を育てるにも時間がかかる」カイムがため息をついた。
「何だか別の会議が始まってるっぽいんですけど」チェスカルの班員ルークが手を挙げた。
ハルヒコがルークを睨む。
「上の方達が話している時は、口を出すなルーク」
カイムが笑う。
「いや、議題は守るべきだな」
ルークが嬉しそうに手を挙げる。
「はい、はい。散発的な使徒発現の可能性が一番高いのでは」
「たしかにそうだが、例え僅かな可能性でも、綺士の出現を最前提に動く」
カイムにはチェスカルの言葉に、会議室の面々が神経を尖らせたのが否応なく分かった。
皆、堕綺羅を意識している。ヘルレアはほぼ断定する形で堕綺羅の出現を示唆していて、
「――堕綺羅の災禍は所詮、憶測にしか過ぎない。四日前、東占領区で片王――クシエルが発現した、それが今判明している事実であり、情報がそれ以上無いというのなら、手放しに信じられるはずもない。現実的に考えて、クシエル発現地点とコールデルタでは距離的に移動不能と思われません。クシエル発現の可能性も視野に入れては」チェスカルの班員であるハルヒコが手許の資料を見る。
「クシエル――ヨルムンガンド・アレクシエルに付いては今後、発現有として行動して頂きます」
ヘルレアが手を挙げる。全員が驚いた。
「チェスカル、質問。私の堕綺羅発言が無視され過ぎだと思うのだが。どう言う了見だ」
「例え堕綺羅でクシエル達が東占領区に集中していようと、していなくても警戒するのは当たり前……で、いいでしょうか王」チェスカルは微かに緊張している。
ヘルレアは納得したようだったが、その姿勢は椅子に深く腰掛けだらけている。
「で、それよりも何故、私までここに居るんだ」
「さあ、何故でしょう」
「知らん。それより服を何とかしろ」
「何とかしたくても、まともな服がないだろう。銀行に行けないだろう。金がないだろう。の悪循環だ。東亞武装銀行にこの姿では行けない」
「資産十億超えか、なかなかだな。ライブラとはそのように儲かるものなのか。いやはや、恐ろしい世界だな」
「それは、ピンからキリまであるさ。世界蛇が貧乏ではお笑い草だ。私の場合、元々ライブラから生活資金三億レニーと月々五千万レニー受け取っていたからな。後はなるようになれだ」
「どんな世界だ」ジェイドは半笑いだ。
チェスカルは大きな咳払いをする。
ルークが興味深そうに、大きな水色の目で、隣に座るヘルレアを遠慮なく見ている。
ハルヒコはルークと違い、反対に王を見ようとしない。
「ちなみにユニスとエルドはまだ東占領区に滞在しており、二人の隊員及びオルスタッド・ハイルナーは負傷により欠員とする、のが前提となります」
カイムは手許の資料を繰る。
コールデルタは温帯地域に位置し、その気候から作物の生産が盛んであったが、近頃、電子部品の需要が高まり国の主な産業となった。特需による好景気よって国民生活は向上。今現在も景気は上向きにある。
資料には主な産業、中規模から大規模に連なる企業の名前が羅列されている。双生児が巣にしそうな組織がないか確認する為だ。
ジェイドは資料をチェスカルに差し出し指差す。
「ローザ村は、南方の山奥のようだが孤立し易い、
「なる程、その可能性は大きいです。考慮して任務に当たりましょう」
蛇は共食いすると強化する、というのが定説だった。理由は判明していないが、綺紋に関わりがあるのではないかと云われている。全般的な能力の向上や、強いものでは異能を習得するものまでいる。その蛇は一般的に身喰いと呼ばれる。
「チェスカル、この情報はどこから漏れた」カイムが資料を流し読みする。
「コールデルタ、ローザ村麓の保安官事務所に保護された子供からです。保安官では危険すぎる現場だという事で、巡り巡ってステルスハウンドに来たもようです」
「村の子供か。よく逃げ切れたものだ」
「ちなみに証言も僅かながらに取れています――ローザから来たの。お父さんとお母さんが
中会議が沈黙に包まれた。
カイムは眉をひそめる。誰もが苦いものを顔に浮かべていたのだが、ヘルレアだけは何も聞いていないかのように見える。
チェスカルがクリアボードの拡大資料を示した。
「コールデルタ、そのローザ村の位置ですが隊長が仰ったように大変
「チェスカル、質問」
「何ですか、王」チェスカルは僅かにお座なりだ。
「ボードの資料とか手元の資料は、何故全て紙なんだ。最近は電子データ一辺倒だろう。ステルスハウンドは貧乏なのか。電子化の波に乗れなかった残念な組織なのか」
「秘密保持の為に全て焼却するからです。それが外部への情報漏洩を遮断する有効な方法の一つです。……
ジェイドが王へペンを投げる。ヘルレアは見もせずペンを掴み取ると、ジェイドへ向かって空を切る音がして、床にペンが刺さっていた。
「ヘルレアを養える資産は十分過ぎる程あるから、そこは思い違いをしないでくれ」
「アメリア国の七割でも買ってくれるのか」
「子供みたいな表現するな」
王はデスクに肘を付き、ぶ厚い紙束である資料に、指一本で穴を空けていた。完全に飽きているようだ。
「王、何をしているのですか」ルークがヘルレアをこっそり見る。
「飽きた。お前はルークというやつか」
「はい、よろしくお願いします」
「なんだ、まだ子供ではないか」
「俺はもう二十三ですよ。王こそまだ十代半ばくらいではないですか」
「人間と蛇を一緒にするな。私など、おそらく保って一年の命だぞ」
「そのような事で威張らないでください。死んだら駄目です。カイム様の努力が水の泡ではないですか」
「そう言われてもな」
「カイム様、格好いいではないですか。あと凄くお金持ちですよ。一生困りませんよ。あとはステルスハウンドの一番偉い人ですから」
「そうか、そうか」
「あと、優しいですし」
ヘルレアがルークの顎を指先で軽く押し上げた。
「カイムの代わりに、君が夫になるか? 試してみてもいいぞ」王が妙に可愛らしく上目遣いになった。
元々ほんのりピンク色だったものが赤く染まった。ルークが椅子から転げ落ちた。
カイムが資料を落とす。
チェスカルがわざとらしく最大音量の咳払いをした。
「カイム様、ルーク、話を聞きなさい。王はお好きにどうぞ。けれど、我が班員を挑発はしないでください」チェスカルはヘルレアに慣れ始めたようだった。
「はい、はい」ヘルレアは、おもしろそうにカイムを見た。
遊ばれている。ルーク――それはカイムも。
「下衆め」ハルヒコは蔑みの目でヘルレアを初めて見た。
ヘルレアは、ハルヒコに猫のように妖しげな笑みを送った。
「では、コールデルタにおける作戦及び部隊編成についての話を始めようと思います」
「僕はジェイドを休ませようと思っているのだが異論は」
「俺は休まずとも動ける――と、言いたいところだが、さすがにクシエルと遭遇して休息が必要だ」
「カイム様のご意向で、隊長は今回の作戦に参加しない、という事でよろしいですね」
「今回は完全にチェスカルの班しか出ないという事か」
「規模が村にまで
「確かに不安材料が多い分、人数がほしいところだ」
「オルスタッド副隊長が居て下されば……」
「ラスティン、ランドルフ。あいつ等は死んでしまったんだな」
ヘルレアは手を挙げる。
「チェスカル、質問。皆の反応を見ると、端的に言えば私にコールデルタへ行ってくれというおねだりだろう」
カイムは慌てて立ち上がる。
「違います。ご意見を伺いたくて、お連れしました」
これ以上ヘルレアと離れるわけにはいかない。カイムよりジェイドの方がよほど親しいくらいだ――あるいはルークの方が。
「だ、そうだ。王さま何かご意見は」
ジェイドは半眼でヘルレアを見る。
「なら、ぶっ殺せ。以上」
カイムがヘルレアを連れて退出を始めると、チェスカル達の空気感が変わる。これから本格的に話が始まるのだ。もうこれは専門家達の世界になるので、カイムやヘルレアは邪魔になるだけだ。
カイムとヘルレアが廊下を二人だけで歩く。
「先程のあれでは、作戦も何もならないだろう、何がしたかったんだ。カイム」
「ルークやハルヒコにお会いして頂きたかったのです」
「そういう事か。ジェイドとチェスカルがいればなんとかなるものな」
「個々が強過ぎるというのも、何とも難しいものです。なまじ戦う術と自信を持つだけ、如何なる凶器にもなりえましょう。そんな彼等を、王に殺してもらいたくはなかったのです」
「お前も苦労しているな。でも、救援要請は早く着手してやらないと全滅するぞ」
「物事には順序というものがあります。人間は弱いのですからどれが優先されるべきか、見極めて行動しなくてはなりません。憐れみが先に立ち過ぎれば死にます」
ヘルレアはカイムを一瞥すると、先を歩いて行った。
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