第10話 凍える森
13
暗闇の中ダイビングスーツを着込んだジェイドが岸から這い上がる。国境警備兵に見つからないように、直ぐに草むらへと身を隠した。
次々と班員が岸に辿り着き、最後にヘルレアが陸へ上がった。ヘルレア自らがしんがりを務めると提案し、いざとなったらやりたいようにやらせる、という物騒な提案からくるものであった。
無事、大河を越えたものの監視塔から光りが煌々と照り、兵士も見回りを繰り返している。
「随分と古めかしい警備だな。監視塔に有人の監視か」ジェイドが暗視スコープで監視塔を見上げる。
警備兵が小銃を持って辺りを警戒している。兵士が持っている自動小銃は、四十年前に製造が始まった旧式の銃だ。過酷な環境にも耐えられるように設計されていて、また、その整備し易さから、子供でも取り扱いが可能なので、今でも紛争地帯の戦闘員の多くがこの銃を使用している。しかし、国軍に属するはずの国境警備兵が持つにしては些か古めかしい。
エルドが川からの国境越えを勧めた通り、警備兵は疎らであり、居たとしても兵士自体の気が緩みきっているように見受けられる。警備兵達は大河を超えられるわけがないと考えているようだった。
大河の川幅は広く、水深が深い上、中心部に行くほど流れが急になっていく。水温も低く氷のように冷たい。普通の人間なら岸に行き着く前に力尽きてしまうが、そこは
手振りでジェイドは班員に指示を出し、王はやりたいようにやらせる。草むらを伝って警備兵の目を掻い潜り、金網付近へと近付く。ユニスが金網を切ろうとすると、ヘルレアが近寄って来て金網を一気に引き千切った。四人は東占領区へと進行したのである。
森の中へ紛れ込み、ダイビングスーツを着替えると二手に分れる事となった。東占領区に入る以前に決めていた事であり、ジェイドとヘルレア、ユニスとエルドが組みとなって動く。四人は二手に分かれてオルスタッド等の捜索を開始した。
夜の森の中、ヘルレアがジェイドの前を走っている。ヘルレアが付かず離れずの距離を保っているのは、おそらくジェイドの走る速度に合わせて走っているからだろう。日頃から鍛えていて、暗視スコープを着けているジェイドといえども夜の森を走るのは骨が折れる。木の根や段落のある地形、転がる石など、枚挙に暇がないほど障害が多い。
普通はヘルレアと同じように走ることなど到底無理だ。王は暗闇の中でも物が見えているようで、一人だけ裸眼で居続けた。今も昼間と同じように、まるで平地を走っているかのように、息も上げることなく周囲に気を配っている。
ジェイドはため息をつく。
――このまま形式を守っていたら、完全な足手まといの重石だ。
――仕方がないか。
――どうか、お許しを。
ジェイドが暗視スコープを外すと、視界は真の闇となる。直ぐに眼を閉じて何かを絶ち切るように、頸を微かに振る。
そうすると、闇に淡い線が浮かび上がって来る。それは幹の直線であり、根が複雑に組み合い形作る輪郭線だった。
暗視スコープを付けている時よりも、視界が澄んでいて物がくっきりと見える。足元に転がる小さな砂礫も捉えられるようになり、小山のように噛み合う大岩を乗り越え、行く手を阻んでいる倒木を潜る。ジェイドは小高い複雑な根を飛び越えながら、ヘルレアを追う。
「お前、人間なのに、この闇で眼が利くのか?」
「何、気にするな。ただの特異体質だ」
「変な奴だな」
ヘルレアはジェイドの速度が上がったのを確かめると、更に速度を上げる。
改めて王の異質さを感じる。獣以上に俊敏に動き、人間よりも知性が上回る。ジェイドに見えているのはほんの一部でしかなく、実力は計り知れない。片王だけでなく、ヘルレアさえもが敵に回ってしまったら、とジェイドは
「王の気配はどうだ」
「過去に滞在していたのは確かだ。でも今現在いるかどうかは確証が持てない。力を行使してくれればいいのだが」
「それは遠慮願いたいものだがな」
「しかし、それしか王が確実にいると言い切る事ができない」
ジェイドとヘルレアは森を突き抜けると、車道へ行き着いた。二人は道を見失わない距離を保って森の中を歩く。
月の光さえない夜だった。
空は厚い雲に覆われ、大気は切りつけるような冷たさを持っている。大河を越えた後のジェイドには寒さが一段と身にしみた。二人は無言で足場の悪い森を進む。
ジェイドは自分がこれ程、気安くとまでは言わないが王と会話をする事になるとは思わなかった。だが、無駄口が叩けるほどではないのも確かだ。沈黙は重くはないが、王の気配がおそろしく重い。ジェイド程の手練れだからこそヘルレアの気配が分かる。押し潰されてしまいそうなほど気配が濃密で、研磨されたように鋭い。
道路沿いの森を長時間一定の配分で歩いていると、徐々に日が昇って来た。太陽が昇って来ても灰色の空は相変わらず暗く、薄闇と感じられるくらいでしかない。気温も変わらず低かった。
ヘルレアが立ち止まりジェイドに道の先を指し示すと、その場所には建造物が見えた。
「人がいるかどうかの気配も分かるのか?」
「分かる。 村か何かだろう。大勢居るようだ」
「小さい村のようだから紛れ込むのは難しいだろう。よそ者は目立つから、直ぐにでも警備兵に通報されてしまうかもしれないな。人探しは人に聞くのが一番だが、東占領区は一体どんな情勢にあるのか分からない。下手に人と接触すれば拘束されてしまうかもしれない。定石で言えばだが」
ジェイドも黙って捕まるわけがないが、王をそういった状況に晒したくはなかった。気の長い王といえど、無礼を働かれればその先に何が待っているのか、想像するだけで恐ろしい。
「日が更に昇るまで待つ」ヘルレアは座り込んでしまった。
「何か案でもあるのか?」
ヘルレアだんまりを決め込んでしまった。仕方なくジェイドも同じように座り込んで待つ事にした。王は目をつむったままで動こうとはしない。
日は高くなり、空はようやく白んで来た。ヘルレアは変わらず身動き一つ取らず、静かに座っている。
「行くぞ」
「おい、村に入る気か」
「私とお前ならば何があっても問題あるまい」
無謀というか馬鹿というか、無鉄砲過ぎる。敵がほぼいないとこうなってしまうのか。
「仕方ない。他に案もなし。どうなっても知らないからな」
ヘルレアは微かに笑った。
村の建物はトタン張りの家が多く連なっている。密集具合はそれ程高くなく、一軒ずつの感覚は広く保っていて、どこか閑散として感じられる。道は舗装されているものの亀裂が多く、あちらこちらに穴が空いていて車での通行には些か辛いものがある。
ジェイドの予想を裏切り、村は早朝ながら人が疎らに行き交っている。ジェイド達を気にしている村人もいない。本来なら慎重を期すはずの村人との対面も、王がいると気が緩み掛ける。自分より強い者が一緒にいるのは慣れないが、王が居ると無意識のうちに頼ってしまいそうになるのが危うい。
「王、二手に分かれよう。ひとまず住人によそ者が来なかったか、何か変わった事がなかったかを聞いてみることにする」
ジェイドとヘルレアは分かれて聴き込みを始めた。
ジェイドは散歩をしているらしき老女に、話しかけてみる事にした。
老女は少し貧しい身なりをしている。荒い綿のシャツに小豆色のロングスカートを履いていて、柔和そうな顔をしていた。
「お尋ねしたいのだが。最近ここいらでよその土地の人間を見かけませんでしたか」
「いいや。この辺りじゃ外の人は珍しいよ。歩いているだけで目立つものだからね。あんた等も十分目立っていたよ」
ジェイドは苦く笑った。やはりよそ者として目立っていたらしい。王がいる以上、溶け込めるとは思っていなかったがこうも早々に指摘されるとは。
「他に何かいつもと違う事はありませんでしたか」
「数日前に大きな地震があってね。北の方に震源地があるとか。色々噂は絶えないよ。今、北の方は入れなくなっているらしい」
ジェイドはお礼を言うと、他の人々にも尋ねて回った。皆が口々によそ者は知らないと言い、地震のことについて尋ねると嬉々として語った。ある人物は噴煙の柱が空にそそり立ったらしいと、噂で聞いたのだと言う。テレビでは情報統制しているのはいつものことなので、あてにならないと言っていた。
ヘルレアと落ち合い、手に入れた情報を交換した。
「こちらでも同じ事を聞いた。かなり大きな地震があったという」
「煙りの柱が立ったというのは気になるな」
「北の方は封鎖状態で、近付くのはなかなか困難なようだが、それは人間に取ってだろう……まあ、私達には関係ないな」
「とにかく、そこに向かって行くしかあるまい」
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