第5話 秘密基地
太田たちと一緒に、秘密基地に向かう。現場から遠ざかるに従って、段々と気持ちが落ち着いてきた。でも、未遂に終わったとはいえ、物を盗もうとした罪悪感が、僕の心を引き摺ってしまう。前を走る太田を、僕は睨む。恨みがましい気持ちが湧き上がってきた。全部、太田の所為だ、と叫んでしまいたい。
僕が住む、川添町まで帰ってきた。スーパーダイエーを中心とする、商店街の傍を自転車で走る。すると、前方から自転車に乗った貴子お姉さんが向かってきた。僕は、つい嬉しくなって、手を挙げた。貴子お姉さんが、応えてくれる。
「あら、ヒロ君……じゃなかった、小林少年!」
そう言って、元気に笑いかけてくれた。僕は、自転車を止める。貴子お姉さんも自転車を止めた。僕の事を面白がって「小林少年!」と呼んでくれた。僕の頭の中に、怪人二十面相の物語が、次々と思い出されてくる。
「ねえ、貴子お姉さん。僕ね、一晩で怪人二十面相を、全部、読んじゃった!」
隣に、太田や小川が居ることも忘れて、僕は、元気よくお姉さんに報告した。
「まー、凄い」
貴子お姉さんが驚いた表情を見せてくれた。僕は、得意になる。
「とっても、とーっても、面白かった」
お姉さんが、嬉しそうな表情を浮かべた。
「そんなにも喜んでくれるなんて、私も嬉しいよ。これは、名探偵小林少年の誕生かな?」
僕は、顔を赤くして、ニヤけてしまう。
「そんなこと……」
先程までの、鬱積した気持ちが消えていく。上目使いにお姉さんを見た。
「期待しているからね」
ニッコリと微笑んでくれた。僕から視線を外すと、お姉さんは、太田や、小川にも微笑みかける。
「ヒロ君のお友達ね」
「はい! 太田と申します」
突然、太田が裏返った声で叫んだ。僕は、驚いて大田を見る。どうしたんだ?
「ヒロ君と、仲良く遊んであげてね」
どうやら、貴子お姉さんに話しかけられて、緊張しているようだ。
「ハイ! であります」
ハイ! であります? なんだそれ……。貴子お姉さんは、そんな太田を見て、クスクスと笑った。
「面白い子ね。じゃあ、またね」
そう言って、貴子お姉さんが去っていった。僕は、その後ろ姿を名残惜しく見送る。そんな僕の背中を、太田が、ドンと小突いた。
「痛いよ!」
僕は、太田に非難の目を向けた。
「なー、小林。あの人、貴子さんて言うんか?」
「ああ、そうだよ」
「どんな関係やねん?」
「どんな関係って、隣に住むお姉さんだけど」
「俺に、紹介してくれよ」
「えっ! 紹介って、お姉さんは中学生だよ」
「そんなん、見れば分かる。俺も、貴子様と楽しく話をしたい」
「なんだよ、貴子様って……」
「いいんだよ。俺にとっては、貴子様なの。それより、小林」
「なに?」
「怪人二十面相って、お前が読んでいた本か?」
「そうだけど」
「俺にも貸してくれ」
「えっ、どうして?」
「俺も、その本を読んで、貴子様に報告するんや」
「え――――!」
露骨に嫌な顔をすると、太田が、僕のことを睨んだ。
「取り上げるわけやない。読むだけや。読んだら必ず返す」
僕が黙っていると、太田は語気を強めて言った。
「分かったな!」
僕は従うしかなかった。僕の家が近所だったこともあり、一旦家に帰り、太田に怪人二十面相の本を貸すことになった。でも、なんだか不安だ。僕は再度念を押した。
「絶対に返してよ」
「大丈夫やって。それより、今から秘密基地に行くぞ。付いて来い」
僕たちは、また、自転車を走らせた。向かう先は、学校の前の廃墟となった工場だ。太田に本を貸したことは嫌だったけど、秘密基地に行けるのは、素直に嬉しい。僕の中の、好奇心が膨れ上がる。
有刺鉄線が張り巡らされた工場の敷地内には、本体である工場の建物とは別に、社宅として使用されていた団地が二棟建っている。コンクリートで出来た五階建ての白い建物で、それぞれ二本の螺旋階段がある。その階段を挟むようにして左右に部屋があり、五階まで積み上げられたような構造になっている。
焼けただれた工場も怖いけれど、それ以上に、この団地の方が怖かった。一見、普通の建物に見えるけれど、近づけばその怖さが分かる。所々、窓が開けられていて、部屋の中が荒らされた様子が確認出来るからだ。覗いてみると、洋服や下着が散乱しているし、食器やフライパンが床に投げ出され、人間が生活していた生々しい様子が、そのまま残っていた。建物の前にも、人間が生活をしていた残骸が、同じように散らばっている。錆びついた三輪車や、割れてしまったポリバケツ、泥で汚れてしまったお人形さんとかが、恨めしそうに転がっているのだ。この団地で幽霊を見たという話は、色んな友達が口にしていた。だから、誰も近づこうとはしなかった。
その団地の前の、有刺鉄線の一部が破れていた。太田は、その破れ目から自転車ごと中に入って行く。小川も入って行った。固唾を飲みこんで、その様子を見ていると、太田が振り返る。
「小林、早く来い」
そう言って、僕に手招きした。一人では入れないけれど、太田と小川が居ることが心強かった。僕も、自転車ごと敷地の中に入って行く。太田は、気持ちが悪い団地には目もくれず、迂回して団地の裏側に回った。そこは、子供が遊べるような広場になっていたが、今では雑草が生い茂っている。その雑草の先に、一台の朽ちたバスが眠っていた。街中で走っている四角いバスとは違って、ボンネットが伸びた古い型のバスだった。至る所が錆びていて、再び目が覚めるような様子はなかった。太田と小川は、そのバスの横に自転車を止めると、中に入って行った。僕も、同じようにして、バスの中に入って行く。
「おい、小川。先にジャンプを見せてくれ」
太田は、小川からジャンプの最新号を受け取ると、一番後ろの座席に座り込んだ。その座席の周辺には、ジャンプが山のように積み上げられている。毎週、発売日になると、ジャンプを購入しては、この秘密基地で読んできたことが察せられた。小川が、僕の顔を見る。
「なあ、小林」
「なんや」
「そのキン消しを、俺にも見せてくれよ」
僕は、袋に入っているキン肉マン消しゴムの塊を持ち上げる。曰く付きのキン消しだ。僕の中の罪悪感が、また蠢いてくる。小川は、僕からその袋を受け取ると、傍の座席に座り、中身の検分を始めた。
「凄いぞ、小林。キン消しが十体もある」
そう言って、一体づつ袋を開け始めたので、僕も手伝うことにした。確かに凄い。僕の手が震えた。なんと、僕が開けた袋から、キン肉マンが出てきたのだ。
「キン肉マンや……」
小川が、僕のキン肉マンを見て、目を広げた。
「大当りやん! 俺も、買ってるけど、キン肉マンだけが無いねん」
そう言って、僕のキン肉マンを取ろうとした。しかし、僕は、そのキン肉マンの消しゴムを触らせなかった。
「おい、小林。貸せよ!」
小川が、僕を睨んだ。でも、僕は渡したくなかった。僕が苦労して手に入れたキン肉マンだ。「盗め!」と命令したのは太田だけど、実行したのは僕だ。よく考えてみると、このキン肉マンの消しゴムは、全て僕のものでも良いはずだ。
「貸してもいいけど、このキン肉マンは僕のものやで」
小川が、僕の言葉に怒りだした。
「小林のくせに、生意気やぞ」
そう言って、また手を伸ばしてきたので、僕と小川はもみ合いになってしまった。僕と小川に、体格的な差はない。だから、僕も負けてはいない。ドタバタと取っ組み合いをしていると、太田が立ち上がった。
「こらこら、何しているんや!」
太田が、近づいて来た。小川の奴が、太田を見て助け舟を求める。
「小林の奴が、キン肉マンを渡さへんねん」
太田は、もみ合っている僕と小川を纏めて押さえつけると、僕からキン肉マンを取り上げた。僕は、悔しさに唇を噛んでしまう。太田という圧倒的な力を前にして、僕はあまりにも無力だった。太田は、手に持ったキン肉マンの消しゴムを、ジロジロと見つめる。
「格好ええな。流石、キン肉マンや」
そう言うと、倒れ込んでいる僕に、キン肉マンを返してくれた。僕は吃驚して、太田を見返した。次に、太田は小川を見ると、手に持っていたジャンプを差し出した。
「小川、ジャンプを読めよ。今週は、凄いぞ。キン肉バスターがさく裂や!」
小川の奴は、ジャンプを受け取りながら、太田に問いかける。
「キン肉マンの消しゴムは、ええんか?」
太田は、すまし顔で答えた。
「キン肉マンの消しゴムは、小林のものや。コイツ、頑張ったしな」
僕は、驚いた。てっきり、このキン肉マンは、取り上げられるものと思っていたからだ。身体を起こして、座り直す。何となく、僕は、太田に言ってしまった。
「三人で分けようか? このキン肉マンだけは、僕がもらうけど……」
太田が、嬉しそうに笑った。
「小林、中々、ええことを言うやないか」
太田が、小川を見る。
「それでええやろ、小川」
小川は、唇を尖らしながら、渋々頷いた。
「まー、別にいいけど……」
太田は、座席に広げられたキン肉マン消しゴムに手を伸ばす。袋から出した物も、袋に入ったままの物も、一緒くたにして、三つに分けた。その一山を、小川が拾い上げて、呟いた。
「桃園の誓い、みたいなもんかな」
太田が、怪訝な表情を浮かべる。
「なんやそれ?」
「三国志の話や」
「なんやねん、三国志って?」
「中国の昔話や。三人の男がな、義兄弟の誓いを立てて、暴れまわる話や」
「へー、なんか格好ええやん。今日から、俺たちも仲間や。仲良くしようぜ」
太田の「仲間や」という一言に、僕の心が震えた。太田は、手を伸ばすと、キン肉マン消しゴムの一山を掴んだ。僕も、残りの一山を手に取る。ギュッと握りしめた。太田が、それらの様子を見て、豪快に笑った。
「アッハッハッ! ええ感じやないか。義兄弟や! キン消しの誓いや!」
僕も、なんだか笑いが込み上げてきた。横を見ると、小川も笑っていた。ひとしきり、三人で笑いあった。その後、キン肉マン消しゴムの袋を開封して、お互いに見せ合う。二体目のキン肉マンは、出てこなかったけれど、お互いに満足することが出来た。太田が、僕に語りかける。
「なー、小林」
「なんや?」
太田が、怪人二十面相の本を持ち上げて、僕に見せる。
「この本を読んだら、貴子様は喜んでくれるかな?」
えっ! 言葉に詰まった。どの様に説明したら良いのだろう。そもそも、自転車男の捜索をする為に、貰った本だ。太田が読んだところで、貴子お姉さんが喜ぶわけではない。でも、昨日の事件のことを話すのは、ちょっと問題がある……。
「その本は、昨日、貴子お姉さんから、もらったんやけどな……」
太田が、目を開く。
「お前、この本を、貴子様から貰ったんか……羨ましいな」
「まー、そうやねんけど……」
僕が言葉を濁すと、太田が不思議そうに僕を見る。
「なんや、言いにくそうにして。俺たち仲間になったんやし、何でも言えよ」
仲間……その言葉が、また、僕の心をくすぐった。強引な誘いだったとはいえ、一緒にキン肉マン消しゴムを、盗みに行った事を思い浮かべる。僕は、太田や小川に対して、これまでに感じた事のない絆みたいなものを感じ始めていた。
「実はな、貴子お姉さんから、口止めされているんやけど……」
「なんや! 口止めって?」
太田の瞳が、好奇心で輝いた。言ってしまった! ここまで切り出してから、僕の中で後悔が始まる。迂闊だった。貴子お姉さんの顔が、浮かんでくる。しかし、自転車男の調査は、正直、僕一人では手に余る仕事だ。ここで打ち明けて、仲間の力を借りるという選択もある。どうしよう……暫く口を噤んだ後、僕は覚悟した。大きく深呼吸をする。
「昨日の出来事なんやけど、貴子お姉さんな……男に襲われたんや」
「なに!」
太田が、腰を上げた。目が真剣だ。小川も僕を凝視する。思わず、僕は後退りしてしまった。
「どういうことやねん!」
太田は、尚も叫んだ。僕は、お姉さんが胸を触られた事だけは伏せて、概要だけを説明する。その上で、お姉さんの部屋に呼ばれた事。犯人である赤いサイクリング自転車に乗った男を、僕が探すことになった事を説明した。
「その自転車男を探すっていうけど、お前に出来るんか?」
僕は、太田が持っている怪人二十面の本を指さした。
「貴子お姉さんは、僕にこの本を読んだらいいって、言ってくれたんや」
太田は、その本をパラパラと捲った。
「小林、お前、この本は、探偵小説やって、言ってたな」
「ああ」
「俺も、この本を読んで、勉強するわ」
太田は、横にいる小川にも視線を送った。
「小川、お前も、この本を読むんや」
小川は、面白そうに笑う。
「俺は、読んだことあるで。結構、面白かった」
「何や、この中で読んでないのは、俺だけかいな……兎に角、この事件は、俺達で解決する。貴子様を、その男から守るんや。分かったな!」
秘密を打ち明けたことで、結果的に、太田がその気になった。太田がリーダー気取りで、仕切り始めたことは、少し釈然としない。でも、力強い味方が出来た事は、確かだ。太田は小学生にしては、大人みたいな体格をしているし、小川は変な奴だけど頭がとても良い。結果的に、これで良かったんだ、と納得をしていると、小川が僕に、質問をしてきた。
「なあ、その自転車男の手がかりって、赤いサイクリング自転車だけか?」
僕は、その時の光景を頭の中に描いた。
「体格は大きかった。でも、太田ほどは大きくない。中学生か高校生かは、分からない」
小川は、宙を見つめた後、ポツリと言った。
「まず、その赤いサイクリング自転車を見つけることが、先決やな」
太田が、立ち上がった。
「今から、探しに行くぞ」
僕は驚いて、太田を見る。
「今から?」
「当り前やないか! 善は急げや。そいつを見つけたら、ぶちのめしてやる!」
小川も立ち上がった。
「そうやな、捜索開始や」
僕も立ち上がる。一番最後で、恥ずかしかった。太田が、小川を見る。
「小川、どうしたらええんや?」
小川が、僕を見た。
「その赤い自転車を知っているのは、小林だけや。効率が悪いけど、三人で動こうか。人が集まる、スーパーダイエーを中心にして、範囲を広げていこうよ」
僕たちは、秘密基地を飛び出して、捜索を開始する事になった。スーパーダイエーにある、夥しい数の自転車を一台一台確認した。周辺の住宅を自転車で周り、赤いサイクリング自転車がないか探した。でも、その日は、有力な手掛かりは、何も見つからなかった。それでも、三人で自転車を乗りながらの捜索は、とても盛り上がった。本当に、探偵になったような気分になれた。解散するとき、太田が、怪人二十面相の本を僕に見せる。
「明日は、怪人二十面相を読んで勉強するわ」
小川も、僕に笑いかける。
「ありがとうな、キン消し」
僕も、二人に手を振った。
「今日は、ありがとう」
自転車に乗って、僕は家に帰る。今まで、嫌な奴だと思っていたけれど、あいつ等と別れる事が、少し寂しい、と思った。
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