貴女を守りたい!【少年探偵団の事件簿】

だるっぱ

事件簿1 貴子

第1話 僕は見てしまった

 小学校六年生の卒業文集で、書かされたテーマは、「将来、何に成りたいのか?」だった。男子の多くは野球選手を選んでいた。その年の阪神の掛布は格好良かったから、みんな掛布に憧れていたんだと思う。でも、僕は違った。僕は「探偵」に成りたいと書いたんだ。怪人二十面相の物語に登場する小林少年のように、悪をやっつける、格好良い探偵に成りたかった。今から考えるとおかしな話だと思う。探偵の仕事なんて、格好良いことなんてない。たぶん、浮気の調査ばっかりなんじゃないかな。悪をやっつける探偵なんて、実際のところ、物語の世界の中だけだと思う。でもね、その時の僕は、そう思っていたんだ。貴子お姉さんの事を想い描きながら、格好良い探偵になりたいって、本当に思っていたんだ。



 ◇   ◇   ◇



 一九八一年 七月三日 金曜日。学校に行く時は降っていた雨が、帰るときには止んでいた。傘を振り回しながら、僕は足早に家に帰っていく。太田から逃げる為だ。捕まったら、どんな面倒ごとに付き合わされるのか、分かったもんじゃない。区画整理された住宅地にある、僕の家に帰ってきた。僕は、玄関を勢いよく良く開ける。


「ただいま」


「おかえり」


 台所からお母さんの声がした。僕は、二階にある自分の部屋に駆け上がっていく。ランドセルを下すと、道路に面した窓を開けた。窓から体を乗り出して、表を見回す。目の前には、同じような造りの二階建ての家が建ち並んでいる。僕の家の正面には、中学一年生になる孝一お兄ちゃんと、小学四年生になる理香ちゃんが住んでいる。裏の通りにも、正義君の家とか稔君の家もある。近所の友達が学校から帰ってくるのを、僕は二階の窓から待ち構えた。みんな、早く帰って来ないかな〜。


「た〜けや~、竿たけ〜」


 竿竹を販売する小さなトラックが、家の前の路地をノロノロと走ってきた。ノロノロとしているのはスピードだけではない。マイクから流れる、販売の為のアナウンスも、とても悠長で、何だか子守歌のようだ。焼き芋の移動販売もそうだけれど、この手のアナウンスは、大体がゆっくりしている。


 そのトラックの後を、赤い自転車に乗ったお兄さんが、ユラユラと車体を揺らしながら走っている。とても格好良いサイクリング自転車だ。竿丈のトラックくらいなら、簡単に追い抜くことが出来そうに見える。だから、そのゆっくりとした走行が、ちょっと可笑しかった。クスっと笑った時、その自転車が止まった。僕は慌てて顔を隠してしまう。もしかして、僕が笑ったことに腹を立ててしまったのだろうか。ゆっくりと顔を出すと、そうではなかった。自転車のお兄さんは、空を見上げて、周辺を伺っている。何か考えるような素振りを見せていた。ペダルに足をかけると、また走り出す。僕は、ホッとした。程なくして、ランドセルを背負った和也がやって来た。


「おーい、和也」


 僕が呼びかけると、和也が見上げた。


「何や、ヒロ」


「今から、何処か遊びに行かへん?」


 和也が、困ったような表情を浮かべた。


「あかんねん。今から、塾や」


「そうなんや」


「またな!」


 和也は、僕に手を振って去っていく。僕は、そんな和也を見送りながら、窓に頬杖をついた。六年生になってから塾に行く友達が多くなった。昔は、学校が終わると、近所中の友達が集まって遅くまで遊んでいたのに、そんな機会が段々と少なくなってしまった。環境が変わったのは、それだけではない。僕は、同じクラスの太田に目を付けられるようになった。太田は、僕を見つけると、何かと、ちょっかいを掛けてくる。本当なら、僕も学校で皆と遊んでいたかった。でも、太田に絡まれるのが嫌で、直ぐに帰ってきてしまったのだ。そんなことを思い出すと、何だか暗い気持ちになってしまう。


「ただいま」


 今度は隣に住む、西村お姉さんが帰ってきた。今日は、珍しく帰ってくるのが早い。中学二年生になるお姉さんで、とっても綺麗な人だ。セーラー服姿が良く似合う。お姉さんはテニス部に入っているから、いつもは帰ってくるのが遅い。お母さんの話だと、最近、地区の大会で優勝をしたそうだ。昔は、一緒に遊んだこともあったけれど、最近は無い。無いというよりも、お姉さんは少し近寄りがたい人になってしまった。四年生の理香ちゃんなら、何でも話せるけれど、西村お姉さんは、子供というよりも、もう大人だ。


「貴子、勉強しなくてもいいの。明日も、テストでしょう」


 隣りから、西村のおばさんの声がする。


「テストなんて大丈夫。それよりも、体を動かしたいの。大会が近いし……」


 お姉さんの声も聞こえた。すると、セーラー服を脱いだお姉さんが、表に出てきた。白いシャツにスカートだけの軽い格好に着替えている。手に、テニスラケットを持っていた。家の前で、そのラケットを振りかぶると、何度も素振りを始める。凄く一生懸命だ。僕は、そんな西村お姉さんを、じっと見つめる。久しぶりに見るお姉さんは、とても背が伸びていた。長い髪の毛はそのままだけれど、その……胸が膨らんでいた。ラケットを振るたびに、その胸が揺れて、髪の毛が宙を舞う。僕は、そんなお姉さんから、目を離すことが出来なかった。僕の中が、何だか熱くなってくる。


「何を見ているの、ヒロ君」


 動きを止めると、西村お姉さんが振り返り、僕を見上げた。思わず、隠れようとしたけれど、遅かった。目が合ってしまい、動くことが出来なくなってしまう。


「別に……」


 僕が、そう呟くと、お姉さんは腰に手を当てて、僕を睨んだ。


「はぐらかさないで! ジロジロと見ていたわよ。私、知っていたんだから」


 お姉さんは、僕を睨んだまま胸を張った。その膨らみが、ことさら大きく主張される。お姉さんに問い詰められているのに、僕はその膨らみが気になって仕方がない。何も言い返すことが出来ずに、時間だけが過ぎていく。その時、僕の視界の中に、先程の赤いサイクリング自転車が入ってきた。僕は、お姉さんから目を逸らして、その自転車を見てしまう。


「ちょっと、ヒロ君」


 お姉さんが、非難の声を上げたとき、事件が起こった。その赤い自転車の男は、手を伸ばして、お姉さんのその胸の膨らみを、触ったのだ。


「キャッ!」


 驚いたお姉さんは、胸を抱えてしゃがみこんでしまう。僕は、その赤い自転車の男を見た。大きなお兄さんで、帽子を被っていた。慌てたようにペダルを踏み、そのまま走り去っていく。呆然として見送っていると、お姉さんが立ち上がった。


「ヒロ君」


「はい」


「ちょっと降りてきて」


「はい」


 断ることは出来なかった。僕が悪いわけではないのに、何だか僕が怒られているような気持ちになった。階段を降りて、靴を履く。玄関を出ると、腕を組んで仁王立ちになっているお姉さんがいた。僕は、思わず俯いてしまう。恐る恐る近づくと、お姉さんは僕の腕を引っ張って、門柱の影に僕を押し付けた。驚いて顔を上げると、お姉さんが僕に顔を寄せてくる。


「ヒロ君」


 お姉さんの目が真剣だ。


「はい」


「いま、見たことは、誰にも言っては駄目よ。分かった?」


 僕を睨みながら、噛んで含むようにして言った。


「はい」


 頷きながら僕は、お姉さんの匂いが気になる。汗の混じったその甘い香りは、僕の頭の中を蕩けさせるのに、十分な匂いだった。僕の記憶に、痛烈に刻まれてしまった。

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