カーチェイス・ボルケーノ
吟野慶隆
第01/15話 チュートリアル
三月二十三日、水曜日、午後三時。
燭田(しょくだ)燐華(りんか)が運転している車の十メートルほど後ろを、溶岩流が、車と同じくらいの速度で、追いかけてきていた。
彼女が走行しているのは、アスファルトの車道だった。一本道で、緩やかな下り坂になっている。それの両脇には、林が広がっていた。道は、北に向かって伸びており、溶岩は、南から流れてきていた。
車線は二本あったが、燐華は、中央線を跨ぐようにして、車を運転していた。さいわいにも、道路上には、他の車はいなかった。みな、とっくの昔に、避難を終えているに違いなかった。
「あと、もうちょっとで、東西に流れる川があるはずよ」助手席に座る、爛崎(らんざき)燠姫(おきひめ)の声が聞こえてきた。「なんとかして、向こう岸に渡りさえすれば、溶岩流は、川に落下して、追いかけてこなくなるわ」
彼女は、長い黒髪のうち、後ろ髪はポニーテールに纏め、横髪はストレートに垂らしていた。紺色のワンピースを着て、黒いベルトを締め、黒いタイツを穿いている。
「承知しました。お嬢さま、何かに掴まっておいてくださいね。何が起きるか、わかりませんので」
燐華は、そう返事をした。彼女は、長い銀髪を、ツインテールに纏めていた。いわゆるメイド服を着ている。
車は、すでに、ほとんどトップスピードに達していた。にもかかわらず、溶岩流は、距離を開けることなく、むしろ、じわじわと縮めながら、二人を追いかけてきていた。
それから、しばらく走ったところで、十字路が見えてきた。東西の道は、何の変哲もないが、北の道は、工事中となっており、バリケードが立てられていた。
「突っ切ります!」
燐華は、そう言うと、ハンドルを、ぎゅっ、と握り締めた。
数秒後、車は、交差点を通り過ぎると、バリケードを、がしゃあん、と撥ね飛ばして、北の道に進入した。カラーコーンを、ぱこっ、と弾いたり、プラスチックパイプを、べきっ、と折ったり、木製パレットを、ぐしゃっ、と潰したりした。
大して時間をかけずに、燐華たちは、工事現場から出た。その直後には、もう一つ、十字路があった。そこを直進し、北に向かって走り続けた。
そして、しばらく進んだところで、数十メートル先に、東への急カーブがあるのを発見した。その後、道路は、北に曲がり、西に曲がり、北に曲がっていた。ちょうど、直線の途中が、東に向かって、ぽこっ、と膨らんだようになっている。今、車の走っている道と、すべてのカーブが終わった後に伸びている道は、ほとんど同じ経度上にあった。道路の、東に膨らんでいる部分の内側のエリアには、地面に、背の低い雑草が生い茂っており、何本か、背の高い樹木が立っている。
「ショートカットします!」
そう燐華が言った数秒後、車は、東へのカーブを直進した。歩道に乗り上げ、その拍子に、軽く跳ねた。
一秒も経たないうちに、どしっ、と、カーブ内側のエリアに着地した。ざざざざざ、と、雑草を掻き分けながら、進んでいく。樹木は、スラロームして避けた。
数秒後、問題に直面した。十数メートル先に立ち並んでいる、二本の樹木の間隔が狭く、この車の幅では、通過できそうにないのだ。
「く……!」
燐華は、きょろきょろ、と辺りを見回した。そこで、問題の樹木の数メートル手前、右斜め前あたりに、岩があるのを見つけた。それは、横倒しになった三角柱のような見た目をしており、斜面は南北に、垂直面は東西に向けていた。
「あれです!」
燐華は、くるり、と、ハンドルを勢いよく右に切った。数秒後、車の右半分を、岩に突っ込ませた。
斜面を、右のフロント・リアタイヤで、駆け上がる。それらは、ぐわっ、と宙に浮き上がった。そのまま、左のフロント・リアタイヤでの、片輪走行を開始した。
燐華は、バランスが崩れないよう、気をつけながら、車を、二本の樹木の間に突っ込ませた。なんとか、通り抜けることに成功する。
「よし……!」
燐華は、ぐるん、とハンドルを左に回した。右のフロント・リアタイヤを、どし、どしん、と落下させると、両輪走行を再開した。
その後すぐに、カーブ内側のエリアを抜けた。半ば飛ぶようにして、歩道を越える。北に向かって伸びている車道に下りた。
燐華は、車を走らせながら、ちら、とサイドミラーに視線を遣った。車の背面と溶岩流の先端との距離は、残り、四メートル弱。そう確認した直後に、それは、三メートル強になった。
「あれが、川よ!」
助手席から、燠姫の声が聞こえてきた。燐華は、視線を、フロントウインドウへと戻した。
数十メートル先にて、川が、右から左に流れていた。道は、それに向かって、まっすぐに伸びており、岸の十数メートル手前で、丁字路に接続していた。
丁字路の向こう側、道と岸の間には、小規模な公園があった。背の高い雲梯や、サイズの大きいシーソー、幅の広い滑り台などが設けられている。敷地は、長方形をしていて、その辺のうち、岸に接している物には、客の転落を防ぐためか、金属棒で構成された柵が立てられていた。川の向こう岸、公園のちょうど真向かいには、学校がある。
「あれを使えば……!」
燐華は、そう呟くと、ハンドルの角度を調節した。丁字路を、直進する。東西に伸びている歩道へ、それに直交するように、乗り上げた。
その拍子に、車が、軽く跳ねた。数瞬後、ずしゃっ、という音を立てて、着地する。そこは、公園の中だった。
数秒後、車は、滑り台の降り口に突っ込んだ。そのまま、スロープを駆け上がる。すぐさま、それの頂点から、ひゅばっ、と飛び出した。
燐華は、さっ、とサイドミラーに目を向けた。リアタイヤが、滑り台から離れた直後に、それが、溶岩流に飲み込まれたのが見えた。
溶岩流は、車より先に、岸の柵に到達した。それは、柵を構成している金属棒の隙間をくぐって、川に落下し始めた。水に浸かった部分が、じゅう、じゅうう、という音を立てながら、固まり始めた。
その頃には、車も、柵の上を越えていた。川の上空を、向こう岸めがけて、突き進んでいた。
「お願い、届いて……!」燠姫が、喉の底から絞り出したような声で言った。
数秒後、車の各タイヤは、ばっしゃあん、という音を立てて、水に没した。
車は、向こう岸にある学校のプールの底に着地していた。プールは、南北に長い長方形をしていた。水が張られているが、深さは、五十センチほどしかなかった。
燐華は、サイドブレーキのレバーを限界まで引き、ブレーキのペダルを限界まで踏んだ。車は、ばしゃしゃしゃしゃ、という音を立てながら、一気に減速していった。
数秒後、フロントバンパーが、プールの北壁に衝突した。
同時に、車は、完全に停止した。フロントバンパーは、こつん、という音を立てただけだった。
「はあー……はあー……」
燐華は、右手でハンドルを、左手でサイドブレーキのレバーを握り締めたまま、荒くなっていた呼吸を整え始めた。数秒後、燠姫が、がちゃっ、と、助手席側のドアを開けて、外に降りた。
燐華は、慌てて、燠姫の後を追った。彼女は、プールサイドに上がると、南に向かって駆けだした。
しばらくして、プールサイドの南辺に到着した燠姫は、向こう岸──さきほどまで二人がいたほうの岸に、視線を遣っていた。燐華も、同じ方向を見た。
坂の上からは、相変わらず、溶岩が流れてきており、岸を越え、次々と川に落下しては、じゅう、じゅうう、という音を立てていた。公園の遊具や柵は、大部分が溶岩に埋もれており、溶解し始めている箇所もあるようだった。
「あれなら、溶岩は、当分の間は、こっちの岸には、達しないでしょうね……」燠姫は、そう言うと、ふううっ、と、肺に溜め込んでいたらしい空気の塊を、一気に吐き出した。「もちろん、何時間も流れ出し続けたら、いつかは、川を埋め尽くして、こっちの岸まで来るかもしれないけれど……その前に、わたしたちの避難は済むわ」
「はい」燐華は、こくり、と頷いた。「では、さっそくですが、避難しましょう。徒歩ですが……なに、さきほどまでとは違って、じゅうぶん時間はあります」
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