第二夜 静かな眠り
スキーリゾートのペンションにしては落ち着いた宿だった。
元々温泉民宿だったそうで、それを改築してペンションにしたそうだ。
ゲレンデからは少し離れているが、温泉民宿だった名残で小さいながらも露天風呂もあり湯治客もいるようだ。
宿代もリーズナブルで食事も旨かった。
ゲレンデが遠い事もあまり問題ない。
男子大学生が三人のスキー旅行なんて酒とナンパが目的でスキー・スノボは単なる手段でしかない。
午後にチェックインを済ませたものの、その日は温泉に浸かって夕方からビールで乾杯である。
夕飯の後も部屋につまみと酒を大量に持ち込み、明日のナンパ計画という議題でバカ騒ぎである。
夜の十時を過ぎた頃だろうか、俺がトイレに行って帰って来ると部屋の前に品の良い老女が立っていた。
ペンションで借りた物であろう浴衣に丹前といういで立ちで俺に微笑みかけてきた。
「ねえ、あなたこの部屋に泊まっていらっしゃるの?」
俺は怪訝に思いながらも隠す必要もない事でもあるし頷いた。
「ええ、この部屋に泊まっていますが何か?」
「まあ、それなら良かった。いえね、ちょっと気掛かりな事が有りましたの」
そう言うとる老女は俺と一緒に部屋の中に入ってきてしまった。
部屋にいた二人の友人は驚いてこちらを見ている。
「いったい何なんだ。あんたは」
少し怒気を含んだ俺の声に老女は動じることなく話を始めた。
「いえね。あなたが部屋を出て行かれるときに、入れ替わりで部屋の中に何かが入ったように見えましたのでね。なーに、直ぐに済みますよ。そうすれば今日の夜は安心してぐっすり眠れますから。」
まるで訳もわからずに呆然とする俺たちを尻目に、老女はツカツカと部屋の奥まで入り込んできた。
そして部屋の中をぐるりと眺め回すと、壁に掛けてある何の変哲もない風景画が描かれた安っぽい額縁に目をやった。
「これこれ、これの様ですわね」
そう言うとテーブルの上に目を向ける。
「ごめんなさいね。少しだけお借りいたしますね」
そう告げるとたばこの横に置いていた百円ライターを手に取った。
そうして暫く額縁の下をまさぐると、おもむろに額縁を持ち上げた。
そして額縁の下の壁に右手をかざす。
その右手の下には何やら赤い細長い紙の様な物が張ってあるのが見えた。
そして左手に持っていたライターを右手に持ち変えるとその紙の前で火を灯した。
老女はそのライターの炎を紙の前でユラユラと左右に揺らすと、口の中でモゴモゴと何やら呟いた。
そしてがライターを消して額縁をもとの位置に戻しライターをテーブルに置いた。
「みなさん。これで今夜は静かに眠る事が出来ますわ。それではおやすみなさい」
そう言ってニッコリと笑って一礼すると部屋から出て行った。
放心状態だった俺は、我に返って慌てて廊下を見たがもうそこには誰も居なかった。
「いったい何だったんだ」
「そんなの俺も解らないよ。トイレから帰ってきたら部屋の前に立ってたんだ」
「あれだよ、絶対あれはお札だよ。この部屋なんか出るんだ。」
「なんでも俺がトイレに出て行った時にこの部屋に何か入って来たとか言ってた」
「ヤバいんじゃねえかー。お前あの額縁の下見てみろよ」
「ぜってー嫌だ。そう言うんならお前が見ろよ」
「もう勘弁してくれよ。俺こういうの弱いんだよー」
結局俺たち三人は部屋の照明を明々と灯したまま頭から布団をかぶって怯えながら一夜を過ごした。
翌朝、酔いと疲れも有っていつの間にか眠っていた俺たちは、部屋に差し込む朝の光で目が覚めた。
最低の目覚めだったが、なぜか頭はすっきりしていた。
部屋のドアをノックする音が聞こえる。
「はいどうぞ」
俺が答えるとドアが開き昨晩の老女が顔を覗かせた。
「おはようございます」
そう言うと部屋の中に入ってきて、あの額縁を持ち上げた。
そうして、あろうことか張り付けてあった赤い紙をペリペリと剥がして袂の中にしまうと部屋を出て行く。
俺は慌てて後を追いかけて廊下に出た。
「あんた、あれはいったい何なんですか」
「別に何でも御座いませんわ。ほらお陰で昨日の夜は静かでしたでしょ。わたくしもとてもよく眠れましたわ」
老女はそう告げると”火の用心”と書かれた赤い紙を持って隣の部屋に帰って行った。
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