人降る夜に

おもちさん

人降る夜に

 お前は糸の切れた凧だよ。飲んだくれの台詞だ。朝晩問わず酒を飲み、肝臓悪くして早世した親父殿の、最も心に残る言葉。


 それを頂戴して早20年。当時は気にかけてもいなかったが、最近になって、鋭い指摘だったなと思う。



「さてと。今宵は誰が降ってきますかねっと」



 ベランダで、リクライニングチェアに寄りかかって夜空を見上げた。天気は快晴。星が僅かばかりしか見えないのは、下品に煌めく街明かりのせいだ。12階の部屋は喧騒に悩まされるのは稀だが、大通りから届く雑音は不快そのものだ。車のクラクションだの、酔っぱらいの叫び声は、心地良さから程遠い。



「来た来た。あれはタレントかな?」



 記念すべき第一号は最近メディアで活躍中のモデルだ。あの堕ち方は失言とか、そんなレベルではない。不倫やパワハラ辺り。しかも悪質なものだろう。



「有頂天になるとな、堕ちた時が辛いんだよ。落差が激しい分ダメージでかいからな」



 ロング缶のビールをプシュリ。まず一口だけ飲んで、つまみも解放。サラミ、サラミ、ジャーキー。口が塩辛さに塗れた所で、ビールをシュワッと流し込む。


 美味い。この為に生きてると断言できる。ビールとつまみの工場を持っていけるなら、無人島で暮らしたって良い。



「いやむしろ行きてぇわ無人島。煩わしさも無いし。でも、歯医者に行けないのはキツイか」



 こうして眺める間にも様々な人が降ってきた。半分以上は見覚えがある。TV画面越しにふんぞり返る代議士、バラエティでお決まりの名物シェフ、最近はインフルエンサーなんてのも多いか。


 せっかく苦労して登りつめても、一夜にして地に堕ちるんだから、労力と釣り合わないように思う。それでも人は上へ上へと生きようとするから不思議だった。



「何がそんなに楽しいんですかね。偉くなったってロクな事無いだろうに」



 何口目かのビールを呷った時だ。卓上のスマホが汚らしく鳴いた。無視を決め込みたい所だが、着信相手がドクロマークであることに落胆し、応答した。



「なんだよ。今日の仕事はお終いだろうが」



 電話口から聞こえた声は、少し申し訳なさそうであるものの、割といつも通りだった。



「すみません。どうしても看て貰いたいって。下まで来て貰えますか?」


「もう酒を飲んじまった。仕事なんて出来るかよ」


「いえね、高校生のお嬢さんなんですけど、もう可哀想なくらい沈んだ顔してて。凄く辛そうに見えます。少しだけでもお願い出来ませんか?」


「うん無理、また今度って伝えて。よろしく」



 相手はなおも食い下がろうとする。それに構わず電話を切り、電源も落とした。


 空を見上げれば、堕ちていく人は増える一方だった。まるで流星群みたいだ。酒を片手にそう思っただけだ。


 翌朝。怠惰なオレでもルール通りには働かねばならない。着たくもない白衣を着込み、座りたくもない椅子に腰掛け、長々とした話に耳を傾ける。


 ちなみに生来から無駄を嫌う性分なのだが、いつの頃からか、最後に一言付け足す癖が付いていた。



「動けない時は休めば良いのです。あなたが仕事を休んでも、誰かが穴を埋めてくれますよ」



 昨今の世情を反映してか、訪れる人は働き世代が多い。



「来年の不安は、来年の自分が処理してくれます。今から深く考える必要も無いのでは」



 たまに肩書が立派な人もやって来る。重責が似合う程に顔のシワも深い。



「過去は変えられません。今を生きる私達に出来るのは、堪える、控える。あとは改善する、くらいでしょう」



 患者は最後の一言を聞くと、大抵は気配を変えた。全身にまとう真っ黒な霧も、いくらか薄まった後、診察室から立ち去る。言葉を添えるだけで経過が良くなるなら安いもんだ。



「次の方どうぞーー」



 本日最後の患者。しかしそれは大物だった。全身を覆う黒々とした霧は相当に濃く、所々が棘のように尖っている。これは長い付き合いになるかもしれない。前途多難な治療を思うだけで頭痛を覚えるようだった。



「ええと、近所にお住まいの……17歳。高校生ですか」



 初診に現れたのは未成年の少女だ。それは予診票に目を通す事でやっと理解した。霧が濃すぎる為に、見た目では年齢も性別も判断がつかない。



「今日はどうされましたか?」



 尋ねてみれば、たどたどしくも返答があった。年相応に若々しい響き。しかし滲み出る憎悪が、それらしくないと感じる。



「ここなら、何でも解決してくれるって聞いた」


「私はマジシャンでも魔法使いでもないですよ。お話を聞いて、薬をちょっと飲んでもらって、心の健康を取り戻すお手伝いをしています」


「ある男に恨みがあるの。復讐したい」


「まぁ、聞くだけ聞きましょうか」



 少女が感情を剥き出しにして語るのは、青臭い恋愛模様だった。初めての恋人ができ、夢のような毎日を送っていた矢先、彼女はもう一つの人生の味を知ることになる。


 裏切り、という名の苦味を。



「許せないわ。彼を奪ったのは、私の親友なのよ! 最高の友達だと信じてたのに……!」


「辛いお気持ちは分かりますがね。変な事を考えるのはおよしなさい。世の中には楽しい事も多くあるでしょう」


「分かったような口を利かないで! 私がどれだけ大好きか知らないクセに! こんだけ一方的に傷つけられて泣き寝入りしろっていうの!?」


「簡単に浮気するような恋人が欲しいですか?」


「えっ……」


「この先、あなたにとって大変な時期は少なくありません。受験だったり仕事なんかですね。そうやって懸命になる最中、裏切るパートナーなんて足枷じゃないですか。私だったら要らないですね」



 そこまで伝えると、目の前の霧がボロリと削げた。覗いて見えた顔は若い、いや幼い。生気の抜けた表情でなければ、やはり年相応の造りに思えてくる。



「薬の処方については見送りましょう。心が辛くなった時、また来てください。その都度必要に応じて検討しますので」



 診察が終わると、少女は静かに立ち去っていった。その間でさえも霧は端から零れ落ち、部屋の隅に溶け込んで消えた。



「なかなか強烈な娘が来ましたね」



 助手が、髪留めを解きながら呟いた。



「お前だって、患者として来た時は大差無かったぞ」


「いや、あの頃は、ブラック勤務で病んでた訳ですし」


「別に良いんだよ。誰だって浮き沈みがある。調子の善し悪しはコントロール出来るもんじゃない」


「先生にもあるんですか? そういうの」


「オレは浮世の理(ことわり)とは無縁でありたいね。空を泳ぐ凧の様に、ずっとフワフワ浮いていたい」


「それって結局は浮き沈みのない、単調な人生って事じゃないですか」


「そうなるな。オレはそうありたい。毎日70点くらいの生き方」



 本日の診察は終わり。今日期限の書類を片付け、明日までの作業は全て手つかずで帰宅した。


 仕事場と同じマンションの12階。ドアを開ければそこはオレの城だ。いつもの銘柄、ビールにつまみを取り出し、やはりベランダへ。



「今宵はどんなもんですかねっと」



 早くも何人かが堕ちるのが見えた。タレントらしき身綺麗な人に混じり、知った顔まで並んでいる。



「あのオッサン、オレの患者じゃねぇか……」



 過去をやたらと気にしていた初老の男だ。若かりし頃の強引過ぎたビジネスに、心を悩ませている様子だった。老い先短くなった事で悔やんだらしいが、少し遅すぎたか。本人による暴露か、それとも他人によるものかは分からんが、こうして堕ちる人として顔を連ねている。



「まぁ安心しなよ。堕ちるとこまで堕ちたとしても、浮かぶチャンスだってあるさ」



 多くを求めて昇っては堕ちていく者、オレのようにフワフワと浮かぶだけの者。どちらが正しいとか、幸福であるとか、答えはあるんだろうか。そこまで考えて、気持ちをビールに向けた。小難しい事は哲学者にでも任せれば良く、オレの役目ではない。


 人の降る夜。その顔ぶれの中に、先刻の少女の姿は無かった。少なからずオレの言葉が効いたのだろうか。そんな事をボンヤリと考えていた。


 サラミ、サラミ、ジャーキー。そしてビール。今宵も緩やかに時間が過ぎていく。



ー完ー

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