クラブ

「ほんと、器用に食べるよな」


ことことと煮える鍋。

コタツを挟んで反対側。湯気の向こう。

ひょいひょいとカニを剥いては食べる女の手を、じっと見つめる。


「……えぇ、なんか、見られんのめっちゃ緊張すんねんけど」


そう言いつつも、また鍋から一本、足を取る。

パキ、と関節の近くで一折。

殻をするりと外すと、うっすら蒸気をまとった桃色の身が現れる。

口元まで持ち上げられた、たわわなそれは。

ちゅるん。と。

瞬く間に、腱になっていた。


「いやぁ、結構なお手前で」

「ふへ、何なん? 恥ずいわこれ」

「いいじゃん、減るもんじゃないし」

「いや減るやろ、美味しい美味しいカニさんが」

「お、ウマいね。ご褒美に、このグーのところをあげよう」

「何しれっとウチの皿に、こら、ジブンももっと食べぇな」

「んー……」

「あれ、お腹そんなに?」

「いや、こう、なんだろう、損益分岐点かな」

「は?」

「こう、カニを食うという益と、カニを剥くという損がこう、

 今いい感じにペイした感じでさ」

「意味がわからん……」

「これ以上カニを剥く行為に、カニを食う幸福が足りない感じなんだよな」

「なんやそれ……売れば売るほど赤字なんか」

「そう、ちょうどこのカニのように……」

「返礼品のこと何やと思ってんねん。てかウチのやし」

「私を癒やしてくれるのは椎茸くんだけだよ……」


肉厚のかさに開いた十字の切れ込み。

ポン酢をたらりとかけて一口。

うん、うまい。


「てか、言うほどメンドいか? 殻剥くの」

「いや、別に」

「じゃあ今までのなんやったん」

「なんだろうなぁ、この、気づくと気になるんだよな」

「はぁ」

「あるじゃんか、こう、例えば人のまばらな横断歩道。

 いつも誰も通らないそこを、私は毎回律儀に信号待って渡ってるわけよ。

 で、たまたまそこに、一足先に来た奴が

 しれっと信号無視して渡るのを見る、みたいな」

「あー、わかるかも」

「いや、アンタにはわからん」

「は、ひど。わっかりづらいたとえ話、4行も真面目に聴いてた誠意返してぇ?」


そういいつつ彼女は、2つ目のグーの解体にとりかかる。


「いや、こればっかりは分からないほうが幸せだよ」

「何その上っからなの」

「これはいわば、""呪い""のようなものだからな……」

「上ちゃうな、中やったな」

「アンタには影の世界なんか知らずに笑って居てほしいからさっ……!」

「カニの殻剥けないと思って聞くとおもろいな」


2つ目のグーの身を取り終える。

気がつけば、鍋のカニはすべて皿へと上げられていた。


「さぁ、シメの雑炊しよか。卵もってきてー?」

「あ、はい」


カーテンレールにかけた、部屋干しのシャツ。

押されて出来た隙間から。

天をぐるぐると小さく回る匙が、見えた気がした。

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