翡翠
吸って、吸って、吐く。
吸って、吸って、吐く。
11月にもなると、早朝はそれなりに冷え込む。
それも10分も走れば心地よくなっていた。
ビル街を抜けると、自然公園の入り口が見える。
今日もまた、翡翠の色のブレスレットをした彼女が、ストレッチをして待っていた。
園内の内外を分ける三段の階段。これが、私達のスタートライン。
いち、に、さん
瞬間。弾かれたように駆け出す翡翠の君。
この公園の外周、それを私と逆の右回りにかけていく。
負けじと、ジョギングからランニングへ。
ペースを上げる。
この公園をコースにするようになったときから、
彼女は決まってこの時間、この場所で私を待ち構えている。
はじめのうちは意味もわからず。
またアスリートと見紛うその美しいフォームに感銘を受け、同じコースを走ろうと試みたこともあった。
しかし、彼女は決まって私と逆の道を走った。
一分一秒でも彼女の走り姿をこの目に捉えたい。
そう思うようになるのにそう日はかからなかった。
この公園は、中央は小高い丘のようになっており、
逆ルートを走る彼女を視界に収めることは困難である。
また道も、スタート地点である階段から百メートルほどだけが唯一直線であり、残りは上下左右に曲がりくねっている。
だから向かってくる彼女を長く捉えられるのは、決まってゴールの近辺である。そのはずであった。
「ハッ・ハッ・ハッ」
しかし、私はその姿を、一度として捉えたことはない。
私が見てきた彼女は、常に彼岸にてすれ違うその一瞬だけである。
その一瞬。その一瞬の輝きが、私をうちから突き動かす衝撃だった。
しなやかな四肢。
黒を基調とするランニングウェアに、白の帽子。
手首には翡翠の色のブレスレット。
一房にまとめられた髪が流れ行くのを、何度見送ったことだろう。
それで満足してしまっていた。できていた日々が懐かしい。
今の私は、いやしくも、それ以上を求めている。
ちょうど半周。
ゆるやかな坂を登り終えたその刹那、彼女とすれ違う。
なんでも無い顔をできていただろうか?
いまだかつて、これほどまでにイーブンだったことはない。
今日こそは、彼女を正面から見据えることができるのではないか。
勢いにまかせて駆け抜ける。
「ハッ・ハッ・ハッ」
そのペースは、とっくにランニングの域を超えていた。
ズルリ
「なッーー」
よくない感触が足元を襲う。
とっさに手を付けただけ、マシだったろう。
ウエアから覗く膝小僧は、じんわりと血をにじませていた。
「あぁ・・・」
痛い。
かつてないハイペース。下り坂だったことも、よくない取り合わせだったろう。
「今日こそは、勝てると思ったんだけどなぁ・・・」
彼女のマネをして左腕につけた、黄緑の腕輪をなぞる。
彼女のものより、幾分もにごったその色に。
どちらが本物かといえば。間違いなくどちらも本物なのだけれども。
「やっぱり、あの子の方が綺麗だなぁ」
フー。と一息。
膝をはらい、慎重に立ち上がる。
惨敗、と頭の中に浮かんだ文字を払うように、また。
ゆっくりと、走り始めた。
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