モニタールーム
ぎこり。
背もたれに体重を預ける。
昼食を終えた私は、モニターに向かう。
映し出されている映像は、ある男の
男は年の頃14ほどの、学生のようであった。
毎朝、自転車で1時間ほどかけ、遅刻ぎりぎり登校する。
授業は怒られない程度に真面目に受けるが、自発的に挙手発表するほどでもない。テストをすれば中の上。
周囲の評価は"真面目"である。この男の無個性さを言い得たよい評価であると思う。
そう、無個性。
男には個性というものがまるでなかった。
朱に交われど赤くなりきれず。
藍より出でてるも青にもなりきれぬ。
自分の中から溢れ出るエゴがまるでない。
私がこの映像を見て11年、彼に抱いた印象は"つまらない"である。
映像は午後の授業を映している。
今日の教科は数学であるが、どれに対しても望む姿勢は変わらない。
教師の話を聞くフリをし、教科書と参考将をめくり、練習問題を解く。
時折指されるときにはソツなくこなす。眠くなったら船をこぐ。
特別怒られるほどでもなく、特別褒められるほどでもない。
どこまでも退屈な日々。
私はそれでも、映像を見始めたころ、この無為な日々を"個性"で解釈することを試みた。
つまりは、この、延々と続くなんの変化も無い日々こそが、彼の個性ではないのかと。
無為に耐えることのできる精神性、中道を行く能力は非凡なのではないか、と。
この仮説は、彼が思春期に入ったころに崩れ去る。
彼は、年頃の男子らしく、熱っぽく夢を語るようになったのだ。
自身にはなんの変化ももたらさないくせに、まるで呪文のように唱えれば叶うかのように。
なんのことはない。彼は彼自身の虚無さを全く認識していなかっただけだった。
そのことに気がついた時、私は得も言われぬ"諦め"のような感覚を覚えた。
同時に、この退屈な映像を、残り65年も見続けることにたまらなく嫌気が差した。
しかし、私は自分からこの役目を放棄することは許されていない。
この拷問のような日々を変える力は、私には一欠片も与えられていなかった。
スピーカーからチャイムが流れる。
キーンコーン。カーンコーン。
いつの間にか、午後の授業はすべて終わり。
HR、前から回ってくるプリントを後ろへと回す。
"進路希望調査"。
志望校を3つ書く欄がある。
彼ならば、自分の学力で問題なく行ける進学校を3つ上げて終わりだろう。
そしてまた、似たような、何も変わらない日々が続くのだ。
そう思うと、私の、諦めていたはずの胸の内から、ふつふつと熱いものが滾った。
それは食道を通り、声の出ない声帯を震わせ、何もつかめないはずの腕を振り上げさせた。
がじゃん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます