へなちゃぷんC
おかずー
へなちゃぷんC
「私とへなちゃぷんC、いったいどっちが大切なの!?」
リビングで妻が怒鳴った。
すでに深夜零時を過ぎている。こんな時間に大声を出すことは、周り住民へ迷惑をかけることになる。ただでさえ、我々は新婚夫婦としてひと月前にこのマンションに引っ越してきたばかりなのだ。悪評が立つことは避けたいところ。
妻だってそんなことは百も承知だろう。そもそも、妻は冷静沈着、かつ温厚な性格で、大きな声を出すことなどほとんどない。結婚をする前のことだが、私が浮気をしたことが発覚した時でさえ、妻は冷静に話し合いに応じ、過ちを犯してしまった私を寛大な心で許してくれた。
そんな妻だが、へなちゃぷんCのことになるといつも人が変わってしまう。眉毛を吊り上げて、顔を真っ赤にし、大声で怒鳴っては、最終的に暴力を振るう。
そうなることが分かっていながらも、私はいつも通りの答えを口にするほかない。
「私は、へなちゃぷんCの方が大切だと思っている」
「はあ? あんたそれ本気で言ってんの? 私を置いて、こんな時間から会いに行くなんて、頭おかしいんじゃないの」
妻が私を睨みつける。今にも殴りかかってきそうな勢いだ。それでも私は引くわけにはいかない。
私は正直に自分の思いを伝える。妻を愛しているという事実を。そしてへなちゃぷんCは命と同じくらい大切だという真実を。
「私は本気で言っている。私は君のことを愛しているし、これからもずっと死ぬまで一緒にいたいと思っている。心の底から君のことを愛している。他のどんな女性にだって心を奪われたりはしない。しかし、私にとってへなちゃぷんCは人生そのものなのだ。へなちゃぷんCがあるからこそ私は生きていけるのだ。だからこそ、たとえ深夜に君を置き去りにすることになっても、呼ばれたからには会いに行かなければならない」
しかし、私の思いは妻に届かない。
「アホかお前。そんなもんなくったって生きていけるだろ」
妻がテーブルの上に置いてあったワイングラスを取った。
私は説得を続ける。
「よく聞いてくれ。へなちゃぷんCは私の命そのものなのだ。君も一度会ってみれば分かる」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ!」
妻がワイングラスを床に叩きつけた。耳鳴りがしそうなほど甲高い音がリビングに響く。余韻が響く途中、妻の口からさらに甲高い音が吐き出される。
「このクソが! へなちゃぷんCとか知らねえよ! あんなもん社会のゴミだ! ゴミ! なんでてめえがあんなもんにはまってんだよ! 挙句の果てに私より大切だと!? ふざけたこと言ってると首掻っ切って東京湾沈めんぞゴラァ!!!」
妻が地面に落ちていた小ナイフほどのグラス破片を手に取って強く握った。妻の手から血が滲み出る。血が床に垂れる。
このままではいけない。
このままではいけない。
しかし、私はどうしても意見を変えることができない。へなちゃぷんCが私を呼んでいるのだ。なにがあっても会いに行かなければならない。愛する妻が怒り狂い、目の前で血を流していても、私はへなちゃぷんCを裏切ることなどできないのだ。
「落ち着いてくれ。まずはその手に持っているグラスを放そう。ほら、血が出ている」
「うるせえよ! 血くらい出るだろうよ、人間なんだから。お前からも血を噴出させてやろうか。ほら。動けなくなるように刺してやるからそこ動くなよ」
妻が近付いてくる。妻の手から、おびただしい量の血が流れ落ちている。数秒後には私も同じように血を流すのだろうか。
それでもー。
私は自分の信念を曲げることはできない。私にとって、へなちゃぷんCは妻より大切なのだから。
妻が腕を振り上げた。
衝撃。
へなちゃぷんC おかずー @higk8430
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