第7話 沙緒莉と脱衣所で
僕は今まで生きて生きた中で一番早くお風呂から出たのだ。脱衣所は鍵をかけているのだけれど、何かが起きてはいけないと思い僕はさっとお風呂を済ませたのだ。と言っても、頭も体も全身綺麗に洗っているので問題はない。ただ、湯船に浸かっていないだけなのだ。冗談だとは思うのだけれど、真弓が本当に入ってくるかもしれないという恐れもあったのと、沙緒莉姉さんと陽香が浸かったお湯に入るのが何となく恥ずかしかったというのもあるからだ。
脱衣所で髪を乾かしていると、ドアノブがガチャガチャと音を立てていた。一瞬何かわからなかったのだけれど、それと同時に真弓の声が聞こえてきた。
「ねえ、昌兄ちゃんはもうお風呂終わったの?」
「うん、今は髪を乾かしててこれから出るところだよ」
「ええ、早すぎるよ。そんなに早くてちゃんと体を綺麗にしたの?」
「ちゃんと洗ったよ。真弓はそこで何しているの?」
「何しているのって、昌兄ちゃんと一緒にお風呂に入ろうと思ったんだよ。それなのにさ、昌兄ちゃんってもうお風呂から出てるってどういうことなのさ」
「どういうことなのって、お風呂が終わったってだけの話だよ」
「沙緒莉お姉ちゃんのせいで昌兄ちゃんと一緒にお風呂に入れなかったじゃない。もう、どうしてくれるのよ」
「どうしてくれるのって、昌晃君も困ってると思うよ。真弓はもう子供じゃないんだから一人でお風呂に入れるでしょ?」
「入れるけどさ、ここのお風呂は今日初めて入るからちょっと怖いんだよね。幽霊とか出たら守ってくれる人がいないしさ。昌兄ちゃんなら守ってくれるかなって思ってるんだけど」
「え、幽霊なんて出ないから大丈夫だよ。沙緒莉姉さんが入っている時って幽霊出たの?」
「ううん、出てないよ。でも、真弓ってちょっと怖がりなところあるからね」
「怖がりなんじゃないよ。お風呂が特別怖いってだけなの。寝る時は一人でも平気だし、夜だってお散歩に行ったりも出来るよ」
「じゃあ、一人でお風呂に入るのも平気でしょ?」
「だから、お風呂は特別なの。もう、昌兄ちゃんが出ちゃったなら沙緒莉お姉ちゃんと二人でそこで真弓が出るまで待っててよ」
「え、普通に嫌だけど。ここで真弓の事を待つのなんてお姉ちゃん嫌だよ。お姉ちゃんだってみんなとゲームしたいもん」
「そんなこと言わないでさ、昌兄ちゃんは待っててくれるって言ってるし、沙緒莉お姉ちゃんも待っててよ」
「いや、僕はそんな事言ってないけど」
「もう、昌兄ちゃんはずっとそこで待っててくれればいいの。そんな事を言うんだったら、沙緒莉お姉ちゃんはいなくてもいいよ」
なぜか扉一枚隔てて沙緒莉姉さんと真弓が喧嘩を始めてしまった。その理由も何となくお風呂が怖いという真弓のワガママなのだ。しかも、僕は何も言っていないのにここで真弓がお風呂から出てくるまで待たないといけないらしい。それはちょっと嫌だな。
僕は神が完全に乾いているのを確認すると、ドアの鍵を開けてからゆっくりとドアを開いた。そこにはなぜかもう下着姿になっている真弓が立っていたのだが、僕の横をすり抜けるとそのまま全裸になってお風呂に入っていった。お風呂のドアは少しだけ空いているのだけれど、僕は真弓の方を見ないようにしていた。そんな僕を沙緒莉姉さんは申し訳ないといった表情で見ていたのだった。
「ごめんね。いつもはこうじゃないんだけど、初めての家だからちょっと緊張してるのかも。あの子って緊張すると怖い幻覚が見えるみたいで、今みたいにワガママになっちゃうのよね。もうすぐ中学生になるっていうのに変な事で困らせちゃってごめんなさいね。でも、良かったらここで昌晃君とお話ししたいんだけど、いいかな?」
「あ、僕は構わないですけど、何か飲み物を持ってきますか?」
「そうね、でも、それだったら私が何か持ってくるよ。昌晃君は何がいいかな?」
「そうですか。それなら、炭酸系がいいです。お願いします」
「わかったわ。炭酸ね。炭酸なら何でもいいの?」
「はい、コーラかサイダーがあると思うのでどっちでもいいです」
「ねえ、真弓も何か飲み物欲しい」
「駄目、お風呂から出てからにしなさい」
沙緒莉姉さんは真弓が脱ぎ散らかした下着を軽く畳んで洗濯籠に入れていた。僕はなるべく見ないようにはしていたのだけれど、沙緒莉姉さんの動きが洗練された感じだったので思わず見入ってしまっていた。でも、真弓の身に着けていた下着は見ていないと思う。
お風呂のドアが少しだけ空いているのが気になって閉めようとしたのだけれど、僕がドアを閉めようとしているのを感じ取った真弓がそれを頑なに拒んでいた。なんで閉めようとしたのがわかるのかは謎だったが、そんな事は気にせずに僕は脱衣所の壁によしかかって沙緒莉姉さんが戻ってくるのを待っていた。
「ごめんね。陽香に説明してたら少し時間がかかっちゃった。あの子もここに来ようと思ったみたいなんだけど、おじさんとおばさんと高校の事で話をしてたみたいでさ、向こうにいるみたい」
「高校の事って、まだ入学式も終わってないのに?」
「そうなのよね。あの子は新入生代表として挨拶することになったみたいなんだけど、それの事で何か考えてるみたいよ。でも、内部進学してる子じゃなくて外部受験した陽香が挨拶とかして大丈夫かしらね?」
「大丈夫とは?」
「私もさ、大学からあの学校に通うんで内部事情は分からないけれどさ、ああ言ったところってエスカレーター組と外部入学組で派閥争いとか揉め事とか多そうじゃない。昔から見てる漫画とかドラマとかだとそう言ったので喧嘩になったりしてさ、特に、新入生代表の挨拶とかしてしまったらエスカレーター組のボスから目を付けられていじめのターゲットになったりすることが多いじゃない。だからさ、陽香に何かあったらどうしようかなって思ってるのよ。大学と高校って結構校舎が離れているから何かあってもすぐに行けないし、陽香に何かあったとしてもすぐに気づけないかもしれないのよね」
「でも、そんな事って本当にあるんですかね。漫画だけの話じゃないですか?」
「そうかもしれないけれどさ、一応用心しておいた方がいいでしょ。何も無ければ何もないで良い事だし、何かあったとしても最低限の準備だけはしておいた方がいいと思うのよね。でも、私だけじゃ陽香を守れないと思うし、良かったら昌晃君も陽香を守ってくれないかな?」
「はい、何かありそうだったら僕が守りますよ。出来ることなんて限られているとは思いますが、それでもちゃんと守りますから。陽香に何かあったらみんなが悲しむと思いますからね」
「ありがとうね。それと、良かったら真弓の事も気にかけてもらってもいいかな?」
「ええ、それも問題ないですよ。高校と中学は校舎も近いですし、何かあったらすぐに行けると思います」
「良かった。どっちかって言うと、私は陽香よりも真弓の方が心配なのよね。真弓ってさ、勉強でも運動でも遊びでも何でも一通り高い水準で出来ちゃうのよ。その事で小学校の時にちょっと問題があったのよ。真弓自身はそれに関して何も感じてはいなかったみたいなんだけど、いつからか友達と遊ばないようになっちゃったのよね。それは良くないと思って色々と試してみたんだけど、小学校ではずっと先生以外とは話もしてなかったみたいなのよ。それはいじめに遭ってるんじゃないかなって思ってたんだけど、実際は真弓の方から友達を拒絶してたみたいなのよね。なんて言えばいいのかわからないけど、真弓が優秀過ぎたせいで他の友達と壁を作っちゃったみたいなんだ。真弓はそれを変だとは思ってなかったみたいだし、それで困ることは全然なかったみたいなんだけど、そのままみんなと同じ中学に進むのは良くないような気がしてね、私達三人で大紅団扇大学の受験を決めたのよ。私は大学で陽香は高校で真弓は中学のね。私は真弓はちゃんと合格すると思ってたし、陽香だってケアレスミスをしなければ大丈夫だって確信はあったのよ。でも、私って三人の中じゃ一番勉強出来ないから少し不安だったのよね。でも、今となっては三人とも合格出来て良かったなって思ってるよ。それに、高校には昌晃君もいることだしね」
僕は沙緒莉姉さんの話を聞いて三人ともやっぱり苦労しているんだなと思っていた。良く冷えたサイダーが僕の喉を通る刺激が少し強かったけれど、その強さは嫌ではなかった。真弓も友達がいなかったんだったら、僕は親戚のお兄ちゃんというだけではなく友達みたいに遊んであげてもいいかなと思っていたりもした。得意なはずのゲームで負け越しているからという理由ではなく、もっと一緒に遊んであげたいと思ってしまった。
「最初はさ、ここにお世話になるのも申し訳ない気持ちで一杯だったんだけど、おじさんもおばさんも快く私達を迎えてくれたんだよね。昌晃君は今日まで知らなかったみたいだけど、こうして受け入れてくれてるしね。ありがとうね」
「確かに、聞いた時はびっくりしたけどさ、沙緒莉姉さんたちが悪い人じゃないってのは知ってるからね。それに、僕も受験の時におじさん達にお世話になってるから」
「そうだったね。パパもママも昌晃君に勉強を教えるのは楽しいって言ってたよ。私も陽香も真弓もパパとママに教えてもらうよりも参考書を見たりひたすら問題を解く方が好きだったからね」
「へえ、そんなに問題を解くのが好きなんだ。受験のために結構厳選したりしてたの?」
「いや、そう言った知識はあまりなくてね。とりあえず、問題集一冊に掛ける時間は一週間以内って決めてやってたな。最終的には過去問もやりつくして同じのやったりもしてたけどね」
「え、それってみんなで一冊やってたってこと?」
「違うよ。一人一冊だよ。ウチって、お小遣いが少ないけど勉強にかけるお金は自由にしていいって決まりだったからね。そう言った面では恵まれていたのかも」
「はは、それは凄いや。僕なんて問題集を一冊やり切ったことないかも」
「普通はそう言うもんなのかな。でも、昌晃君がウチのパパとママを説得してくれたってところもあるんだよ。ちゃんと熱心に勉強してくれていたし、パパもママもおじさんとおばさんの事は信用してたんだけど、年頃の男の子である昌晃君の事は少し心配だったみたいなんだよね。でも、昌晃君は大丈夫だったんだってさ」
「大丈夫だったって、ただ勉強を教えてもらってただけだったけど?」
「それなんだけどね、ママが酷いことをしてたんだよ。昌晃君に勉強を教えていた部屋に私と陽香の下着をわかりやすいところに置いてたんだって。それを見た昌晃君がどうするのかってテストを何回かしたみたいだよ」
「あ、それって何となく覚えているかも。おじさんとおばさんがいなくなったなって思ったら、テレビの前とか冷蔵庫の横とかに下着っぽいものが落ちてた気がする。最初は気付かなかったけど、何のために置いてあるんだろうってのは気になってたかも」
「でも、それを拾ったり持って帰ったりしてなくて良かったわ。もしも、それをもって言ってたら私達はここに住めなかったかもしれないしね。だってさ、置いてある下着を持って帰るような人とは一緒に住めないってパパもママも思うだろうしね」
「まあ、そりゃそうだろうけどさ、誰のかわからないようなものは持って帰らないと思うよ」
「そうなんだ。じゃあ、誰のかわかってたら持って帰ったりするのかな?」
「そう言うわけじゃないけど」
「じゃあ、昌晃君は高いところと低いところだったらどっちが好きなのかな?」
「高いところと低いところか。その二つだったら低い方かな。高いところも苦手ではないけど、低い方がいいかも」
「低い方ね。じゃあ、そのままそこに座っていてね」
僕は残り少ないサイダーを少しずつ味わって飲みながら沙緒莉姉さんが何をするのだろうと思って眺めていた。
沙緒莉姉さんは僕の斜め前に移動していた。僕はこれから何をするつもりなんだろうと思いながら見ていると、沙緒莉姉さんは僕に背を向けてから地面に手と膝をつけて四つん這いの姿勢になっていた。僕はその行動と先ほどの質問に何の関連性があるのか理解出来なかったのだが、沙緒莉姉さんは何を思ったのかパジャマのズボンを脱いで履いているパンツを僕に見せてきたのだ。
「もう少し低い方が良かったかな?」
「何を考えているんですか。やめてくださいよ」
「でもさ、誰のかわからないパンツじゃなくて私が履いているパンツなんだからね。だけど、触るのはダメよ」
「そんなことしませんって」
このタイミングで真弓が出てきたら気まずいなと思っていたのだけれど、真弓は気持ちよさそうに鼻歌を歌っているのでまだ出てくる気配はなかった。それでも、僕は目の前で四つん這いになってパンツを見せてくる沙緒莉姉さんの事を直視することは出来なかったのだ。
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