第2話 時代遅れのすけこまし

「よう兄ちゃん。いい女連れてるじゃねぇか」


 見た目にはスーツをビシッと着こなしているようでいて、その実ガラの悪そうな男が近寄ってきて、先ほどまで高中さんが座っていた席に腰を下ろす。


 このセリフ。聞くのはいったい何度目だろうか。


 姉たちと外出すると、たいていこの手の輩が釣れるんだよな。


「あの人は僕の姉ですよ。一緒にいて当たり前ですが」

 これで少数は「コブ付きかよ」と去っていく。


 だがこいつはその他大勢のパターンだ。

「ふん、こっから先は大人の時間だ。テメエはひとりでおうちに帰って早くねんねするんだな。俺はお前の姉ちゃんと寝るからよ」

 キヒヒと笑う男を見ていると、徒労感に襲われる。


「姉の身を守るために僕がいるんですよ。あなたみたいな人を近づけないために」


 ウェイターがミルクティーを運んできた。明らかに迷惑そうな表情をしている。


 こいつは高中さんのために運ばれてきたミルクティーを、なんのためらいもなく飲み始めた。


「おい、やろうってのか? 相手を選んだほうが身のためだぞ坊主」

「僕はこう見えて、中国武術の使い手です。八卦掌はっけしょうってご存知ですか?」

「知らんな」

 あっさりした反応だ。


 なにもわかっちゃいない。

 ケンカを売る相手を間違えたことすら気づいちゃいないんだ。

 倒されてから気づくんだよな、この手の輩は。


 ノートパソコンを閉じてメッセンジャーバッグにしまった。


「そのミルクティー代を今払ってくれませんか? 姉が飲んでもいないものの代金なんて払うつもりはありませんので」


「テメエあの子の家族なんだろ? ケチくせえこと抜かしてんじゃねぇぞコラ」


 やっぱりこう出てくる。

 なんてワンパターンなんだ、こういう人たちは。


 ちょっとおどせば相手は逃げ出すとたかくくっているのだろう。


「実は俺とあの子は許婚いいなずけの間柄なんだ。つまり、テメエなんて用なしなんだよ。わかるか坊主」


「姉に許婚いいなずけがいたとは初耳です。家族すら知らない人物が、しかも姉の名前も知らない許婚いいなずけなどいるのでしょうか」

「ほう、信用できないと?」

「まったく」

 きっぱりとはねつけた。


 なるべく短く返答するに限る。

 多くを話すと高中さんが姉でないことはすぐにバレる。


 あの人は姉です。


 短くそう突っぱねれば、多くの場合あきらめて立ち去るか。

「どう見てもあの子とは似ても似つかねぇ顔立ちだよな。本当に姉弟なのか? 俺をけむに巻こうってんじゃねぇのか?」

 業を煮やして一戦まじえようとするか、だ。


「一卵性双生児でもなければ、姉弟でも顔が瓜ふたつになるわけがありません」

「全然似てねぇって言ってんだよ」


 駄目だコイツ。

 難癖なんくせつけて僕を追い払おうと粘っている。


 まぁあれだけの美人とお近づきになるチャンスを見逃すようじゃ「すけこまし」の名折れだろう。

 なぜこうまでして女性にこだわるのかね、こういう人たちは。

 しかもたいていは一夜限りの間柄だ。

 翌日には女性はこいつらから使い捨てられる。

 わかっていても相手の見た目さえよければ付いていくなんて、相当尻軽なはずだ。


「姉は今化粧を直しています。戻ってきたらここを出ますので、紅茶代今払ってくださいね」

「坊主、可愛くねぇな。今すぐ代金払って店を出ていくのはテメエのほうなんだよ」

「これ以上つきまとうと、お店を騒がせてしまいます。手を引くなら今のうちですよ」


 男はにわかに顔色を変えた。

「テメエ! いい度胸だな、表へ出ろ!」

「孝也、お待たせ」

 まるで今まで見ていたかのようなタイミングで高中さんが現れた。

 しかも下の名前で呼んでくれた。これで舞い上がるなというのがおかしいな。


 だがここで浮かれたら今までの芝居が台無しになる。

「敦子姉さん、ずいぶんと早かったね」

「あなた、敦子さんとおっしゃるのですか。お美しい。どうです、弟さんの子守りなどせずこれから私といいところに行きませんか」


「ごめんなさいね。私紅茶をまだ飲んでいないので……。あら、私の紅茶、なくなっているわね」

「こいつが飲んだんだよ」


「紅茶なら好きなだけ飲ませて差し上げますよ。ね、私と次のお店に行きましょうか。私の車、テラス製の最新EVなんですよ。ほら、表に停めてある、あの車ですよ」

 敦子さんは大きな窓ガラスの向こうを見ていたが、顔から笑みが消えている。


「ずいぶんと高そうな車ですわね」

 そのまま外を見つめ続けている。


「私はここのミルクティーが気に入っているのですわ。それを勝手に飲んだですって?」

 語尾が上がっている……。

 一喝やむなしか。


 すると敦子さんは大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出したあと「まぁいいわ」と告げた。


「その代わり、お代は払ってくださいね」

 平然とした態度でウェイターに新しいミルクティーを注文している。


 沸点が意外と低いのかと思いきや、見事に状況をスルーした。

 自分の弱点がよくわかっている大人の振る舞いだ。


 僕の横に座り直して「自分で飲んだものは自分で払うんですよ、お・じ・さ・ま?」とすけこましを諭すような口調だ。


 まずいなぁ。

 すけこましは自身の容貌に自信のある者が多く、総じてプライドも高い。


 もてあそぶ相手である女性に指図されるのを極端に嫌うのだ。


 すけこましも衝動的に顔色を変えたが、瞬時に柔和な顔に戻った。

「よろしいですよ。では私がここの勘定を払ったら、そのあとお付き合いしていただきましょうか」

「お断りします」

 表を見たまま感情の抑揚もなく、一言ではねつけた。


 敦子さんもこの手の状況には慣れているのだろう。

 へたにためらいの反応を見せると、この手の輩はに乗ってズカズカ踏み込んでくる。


 最もよい対応が「きっぱりと言い放つ」ことなんだ。

 自分にその気がさらさらないと宣言されると、こういう輩に付け入るスキを与えない。


 案の定すけこましは取り付く島もない状況で焦ったのか、額にうっすら汗を浮かべている。


「すげないことをおっしゃらないでくださいよ。この私とコーヒーを飲むだけじゃないですか」

 男の「この」にプライドの欠片かけらが感じられた。


 やはり黙ってはいないか。

 ここは追い討ちをかけるべきかどうか。すけこましの顔色を注意深く観察してみた。

「頼みますよ。これから私とお付き合いしてくださいませんか?」

「お断りします」

 またしてもぴしゃりとはねつける。

 やはり場慣れしているなぁ。


 視線を外から外さず、表情も変えず、歯牙にもかけなかった。


 男は最後の望みをかけて頼んだようだが、ここまですかさず断られるとは思っていなかったのだろう。

 今にも食いつかんばかりの表情を浮かべていたものの、二度目の玉砕ではなすすべもないようだ。

 気落ちしたのが表情からも読みとれた。


 極上の美人は男どものあしらい方がじょうずだ。

 どうすれば自分にるいが及ばないかをちゃんと心得ている。


「ちぇっ、仕方ない。出直すとするか」

 男が立ち去ろうとしたとき敦子さんが、

「ミルクティー代、お払いになるのをお忘れになりませんように」と追い討ちをかけた。


 懐の長財布から千円札を一枚抜き出した男は「釣りは要らない。迷惑料だ」とのよいところを見せつけた。

 こんなところまで体裁にこだわっているのか、と嘆かわしくもある。


 すけこましが出入り口に向かって歩いていると、店の外を見続けていた敦子さんが急に叫んだ。

「皆さん、伏せて!」



 彼女は隣に座る僕の首根っこを掴むと、遠慮なくテーブルの下に押し込もうとした。


 なにが起こったのかわからない。


 なぜ伏せなければならないのか。


 出入り口が乱暴に開けられると、爆竹が一回鳴ったと同時にガラスの割れた音も響いた。


「なっ、なんで爆竹が?」


「拳銃の発射音よ」

 敦子さんは事もなげだった。


「殺されたくなければ金を出せ!」


 内容から想像すると、レジ係に拳銃を向けて金を要求しているようだ。

 店内がにわかに騒然とした。女性の悲鳴が複数あがる。


「拳銃!?」

 拳銃がわかる美人っていったい? 銃の国アメリカにでも留学で行っていたのかな?


「三十分ほど前に、一キロほど離れた銀行に強盗が拳銃を持って押し入ったのよ」

「てことは、犯人!?」

「そのようですわね」


 なぜ敦子さんがその事件を知っているんだろう。

 さっき化粧直しに立つ前に、スマートフォンでニュースの確認でもしていたのかな?


「そんな緊急ニュース、僕のスマートフォンには配信されていないんだけど……」

「当たり前よ。報道管制が敷かれているんだから」

「報道管制って──」


「静かにして。これ以上の会話は犯人を刺激してしまうわ」


 なにが起こっているのかさっぱりわからなかった。



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