白百合の微笑み〜ラブストーリーは程遠い
カイ 壬
第1話 白百合の君
「ここへはよくいらっしゃるのですか?」
白いワンピースを着た、ショートカットのとても感じのよい女性が声をかけてきた。
「いえ、初めてなんですよ。こういった
コーヒーショップのテーブル席に座ってノートパソコンと向かい合っていたところだ。
「まあ、お若いのに『
すらりと伸びた
「たまにはチェーン店のコーヒーショップでも使えば、いいアイデアが湧いてくるかなと思いまして」
「いいアイデアが湧いてくる……ですか。どのようなアイデアなのでしょう?」
女性はきょとんとした顔を
天然なのか計算なのか。とても可愛らしいしぐさだ。
「卒業論文です。就職先も決まりそうなのに、まだ卒業論文を書き終えていないんですよ」
「それでコーヒーを飲みながら、怖い顔してパソコンをにらんでいらしたのですね」
ピンクのショルダーバッグを携えた左手で口元を押さえながら、涼やかな視線が送られてくる。
「そんなところです」
右手で後頭部を
年の頃は二十三、四だろうか。僕とさして変わらないように見える。
「こうして出会ったのもなにかの縁ですわね」
「コーヒーを恵んでくれ、と言われても僕もしがない苦学生。せいぜい一杯だけですよ」
「ご冗談がおじょうずですのね」
このまま立たせておくのも忍びない。
立ち上がって向かいの席を引いて彼女を座らせた。
「ありがとうございます。お優しいのですね」
「女性から優しいと言われたのは今日が初めてですよ」
「あら、またご冗談を」
どうもにもこの笑顔には敵わない。なんでも言うことを聞いてしまいそうになる。
まぁ身近にいる女性たちは僕のことを男性とも思わぬ振る舞いを日頃からしているしね。
そう思えば、素直そうなこの女性とじっくり話したいと感じた。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。
「
「へえ、面白い企業があるんですね。ということはもう社会人なのですか?」
「ええ。こう見えて新卒なのですが」
またまぶしい笑顔が輝いた。
彼女は理解しているのだろうか。自分の笑顔の魅力に。
「でもそれならスーツ姿じゃないと。なぜその格好で?」
「こちらのほうが相手の方にプレッシャーをかけないかと思いまして」
「プレッシャー……ですか?」
答えを聞く前に、店員が彼女の注文をとりに来た。
メニューをちらっと確認してミルクティーを頼むと、再び視線が合う。
「コーヒーショップでミルクティーなんて、ちょっと変ですわね」
「いいんじゃないですか。メニューに載っているのなら」
「それもそうですわね」
今度ばかりは僕も一緒に微笑んでいた。
「初めての方があなたで本当に助かりました」
その言葉が引っかかった。
「初めて?」
「はい」
「他の人ともこんなことをやらなければいけないんですか?」
思わず左右に首を振り、あたりを確認してしまった。
「あまり妙なしぐさはしないでいただけますか? 試験官が見ておりますから」
小声で注意されてしまった。
と、言うことは……。
「え? これ、今まで、誰かに見られていたの?」
「はい、ばっちりと」
右手で後頭部をしきりに掻いてしまった。
こんな美人と楽しい会話を楽しんでいるところを、誰かに見られていたのか。
彼女はいったい何者なのだろうか。
怪しげな版画を売りつけてくる人だろうか。それとも新興宗教の勧誘?
そんな心を見透かしたかのように、
「ちなみに、勧誘でも押し売りでもありませんわ」
と先制されてしまった。
「事情がありまして、こちらの詳しい身分は明かせないのです」
「事情ですか」
「身分がバレたら研修はやり直しになるのです」
ちょっと面白い展開になってきた。「身バレ厳禁」ってどんな会社なんだろう。
「それを聞くと、こちらとしてもどのような企業なのか
「あら、あなたって意外と
それはそうだろう。
「誰だって、目の前で隠されたら気になって仕方がなくなるでしょう?」
「餌がもらえると思っていたのに、目の前で隠された猫の気分なのかしら?」
そんなものです、と答えて彼女の姿をもう一度よく確認してみる。
よく見るとショートカットから覗く左耳にワイヤレスイヤホンを着けていた。
たしかこのタイプはマイクも内蔵されていたはず。
なるほど、会話は筒抜けなわけか。
白のワンピースにピンクのショルダーバッグ。ピンクのハイヒールは五センチくらいか。
先ほどの立ち姿からして、身長は一六〇センチはあるようだ。
少し大柄ともいえるが、スマートな体形のため威圧感はなかった。
顔立ちも綺麗に整っていて、控えめに言っても美人だ。
もしかして「度胸試し」をされているのかもしれない。
見ず知らずの人物と気さくに話せるかどうか、相手に不信感を与えないか。
そういったところをチェックされていると考えれば、彼女の挙動に納得もいく。
しかしそれを彼女に直接聞くわけにもいかないだろう。
なにせ会話は傍受されているのだから。
顔をかるく左右に振ってみた。
「試される相手に選んでいただけて光栄なのですが、ということは店内にも監視役がいそうですね。あ、返事はいいですよ。状況がだんだん飲み込めてきましたから」
へたに周囲をきょろきょろ見まわして、彼女にマイナス評価を与えるわけにはいかない。
「吉川さん、あなたのことをもう少し教えていただけますか? 私のことばかりお聞きになっておりますけれど」
「あ、そういえばそうですね。僕は帝都大学生です。就職活動は内定を三ついただいているのですが、肝心の卒業論文がまだ仕上がっていないんです──って、これは最初に言いましたね」
「ええ、確かに」
また感じのよい笑顔が見られた。
たいていの男性はこれでイチコロだろうな。
でも、
「三人兄弟の末っ子で、上ふたりが姉なんですよね。しかもかなりの美人で。ふたりとも付き合う男性には苦労していないようです」
「吉川さんはどうなのですか?」
「僕は駄目ですね。姉ふたりが美人なので、ほとんどの女性に魅力を感じないのです」
美人は三日で飽きる、とよく言われる。
毎日女優ばりの美貌の持ち主をふたりも見ているから、飽きというよりあきらめに近い。
姉たち以上の美人にはなかなかお目にかかれなかった。
「美人を見慣れているから……。では、私も美人ではない、ということでしょうか?」
少し肩を落としたように見えたのですかさずフォローした。
「いえ、高中さんも間違いなく美人ですよ。うちの姉たちとは別方向の。あの人たちは美人を鼻にかけていますからね。あなたは押しつけようとはなさらない。姉たちにも見習ってほしいところですよ」
「お姉様方がお聞きになったらあとが怖いのでは?」
「もう慣れっこです。僕はこのとおり
高中さんは左耳のワイヤレスイヤホンに意識を集中させているようだった。
ちぇっ。せっかくこちらの話をしたんだけどなぁ。
できることなら、もっと高中さんの話が聞きたかった。
こんな試験の相手としてではなく、ひとりの女性として言葉を交わしてみたい。
ショルダーバッグからスマートフォンを取り出すと、おもむろに、
「ちょっと失礼致しますね」
と席を立ち、店の奥へ向かっている。
たしかお手洗いがあったな。化粧直しならありがたいんだけど。
美人がより増していたら、心臓を撃ち抜かれそうだ。
彼女が戻ってきたら、夕食にでも誘ってみようかな。
でも苦学生には違いなく、豪華なフランス料理とまではいかないけど。
行きつけのラーメン店ならツケはきくし、そこにするか。
そういえば彼女、白いワンピースを着ていたな。ツユが
それにしてもあんなブランドもので試験に来るってことは、どこかのご令嬢なのか、もしかしてお姫様なのかもしれないな。
昔の映画で、身分を隠してデートを楽しんだお姫様っていうのがあったっけ。
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