第32話 そして永遠に
ジョージィは原島にまだ話していないことが一つあった。
それはある芸能事務所が彼女をタレントとして勧誘していたのだが、 ジョージィじ自身にその意志がなく、誰にも言わぬままになっていた。
ジョージィは今後ニューヨークに住み続けるにせよ、日本に戻るにせよ、この事務所には返事をしておくべきだと考えた。その事務所はツインタワーのすぐ近くにあった。
ジョージィと原島は羽田を発つ日の朝、その日の予定の確認をした。
先ず代々木上原に行きマリアとお別れをする。代々木上原に向かうには渋谷からタクシーに乗る。
「ちょっと待って、新宿にしてくれない?」とジョージィは言い、マリア邸に行く前に芸能事務に寄ることを原島に話した。
「じゃあ、その間僕はどこにいたらいいの?」
「あのカフェのテラスで待っていて」
あのカフェのテラスは二人の思い出の場所だ。待ち合わせにはぴったりの場所であった。
☆☆☆
奈津美はその日の朝、諜報部員の部屋を出てからぼんやりと、行く先も決めずに歩いていた。自分のアパートに帰ると寂しさで、とても耐えらないのは分かっていた。
自分をどこまで愛しているのか分からぬままに、得体の知れないあの男と一緒にいたのもそのせいだ。その男はこれからジョージィを拉致するために、新宿に向かっている。奈津美が考えたあのカフェに。
男は「おれは一人で行く。お前は帰れ」と言った。
諜報部員が奈津美を拉致の現場に同行させなかったのは、奈津美に最後の良心が生まれては困るからである。
奈津美が現場に居れば何らかの邪魔になるかも知れない。諜報部員は邪魔なものは一切排除する。
奈津美は自分がどこヘ向かっているのかさえ、分かっていなかった。見上げると、ビルの隙間から東京タワーの上のほうが見えた。いつの間にか、東麻布まで来ていたのだ。この付近は都心にありながら、昔の東京の景色を残していた。
昔風のレストランの前で、小学校低学年と思われる子どもたちが数人で遊んでいた。
そのレストランに入り、ガラス窓の外に見える子どもたちをただじーっと見た。
自分も子どものころはそうだった。仲の良かった男の子とよく遊んだ。まだゲームで遊ぶより、外で子どもどうしが集まってなにかをやっている事が多かった。そんな昔の自分を思いだし、ひとり懐かしさに浸っていると、わずかに残った良心が戻って来た。
自分はジョージィと原島をロシア人の諜報部員に売ったのだ。だが二人には何の恨みもない。
原島に至っては元は同じ会社の中で、何をやっているのか分からない秘密の部署にいた仲間でる。
あのKEYをポストに入れてしまった時も原島はいた。自分の失敗を原島は黙って助けてくれた。
恨むとすればそれは進藤だ。原島ではない。ジョージィでもない。あの二人を助けなくては。
良心が戻った奈津美は原島に電話をかけた
「おかけになった電話番号は現在使われて……」
オペレーターの自動音声を聞いて、原島のスマホがすでに解約されていることを思いだした。
他に連絡の方法はないだろうかと考えた・・・・そうだ思いだした!
会社が存在していたころに使用していたパソコンに、原島のアドレスがあるはずだ。
メールが繋がれるかも知れない!
だが、そのパソコンは自分のアパートにある。奈津美は走った。さっきまでの目的のない足取りとは違った。息がきれるほどに走った。
アパートに帰るとしばらく使っていなかったパソコンのキーを叩いた。
「ジョージィが危ない。あのKEYの店でロシア人が待っている。あそこに行ってはだめ。絶対に行ってはダメ」
☆☆☆
原島はあの懐かしいカフェのテラス席にいた。思い出がいっぱい詰まったこの席で、あの時ジョージィと始めてここで話をした。あの時と同じ席で。
芸能事務所に寄っているジョージィを待ちながら、原島は紺野と狩野にメールを打った。自分が今ニューヨークへ向かおうとしていることを。
あの二人にだけは是非とも伝えたかった。見てくれればいいのだが。昔はメールは便利なものだと思っていたが、すぐに返事がくるとは限らない。声も聞こえない。そのうちにこのパソコンも、過去のものとなるのだろうか。
ふと着信を見ると、奈津美からのメールが入っていた。
ジョージィが危ない? KEYの店? 一体何のことだろうと、奈津美のメールの意味を少し考えた。
そうだこの店のことだ。すぐ近くにポストが見えた。あの時は奈津美がKEYをポストに閉じ込めてしまった。
だがジョージィが危ないとは何のことだ?
100メートルほど先に、こっちに向かっているジョージィの姿が見えた。
ジョージィと原島の中間くらいの路上に、白い小型セダンが止まっていた。
段々とジョージィが近ずいて来た。するとジョージィを追い越すように、青い大使館のナンバープレートの黒い大型セダンが走って来た。
大使館の大型セダンは白い小型セダンの後ろに止まった。ジョージィが近ずいてくる。大使館の黒いセダンのドアーが開き、大きな体の外国人が降りてきた。
と、そのとき、一人の女性が白い小型セダンのドアーを開き、ジョージィを中に押し込んだ。女性は諜報部員の方をちらっと見た後、クルッと背を向けて、人込みの中に消えていった。 それはとマリアであった。
ジョージィの目には自分を待つ原島の姿が見えた。
「ショーゾー、アイシテル!」とジョージィは叫んだ。
ジョージィの声は原島には聞こえなかったけど、ジョージィの唇の動きはしっかりと見えた。ジョージィを乗せた白いセダンは猛烈な勢いで、その場を走り去った。
ジョージィの耳に「お帰り、ジョージィ」と、スコット・シンプソンの声が聞こえた。
原島のすぐ目の前で起きたあっという間のできごとであった。
ただ呆然と見送るしかなかった原島は、その場に座り込んでしまった。
ジョージィは諜報部員の手から逃げることはできた。だが、スコット・シンプソンの手に渡ってしまった。もうジョージィを取り戻すことはできない。
虚しさと、悔しさと、悲しさが、胸をえぐり取られた痛さと、えぐり取られた後の穴のような空虚感がどっと湧いてきて、周りの景色もただの白い霧の中にいるように感じた。
力なく目を向けた先に、黒いガラスのドアーが微かに見えた。
そのガラスの中に白いブラウスのジョージィの姿があった。
「ジョージィ」と叫んだ。だが返事もなく振り返ることもなかった。
それは黒いガラスに映る、高層ビルの白い影であった。
高層ビルの白い残像 shinmi-kanna @shinmi-kanna
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