第30話 崩壊と回復
定款の変更が行われ、松野も橋本も取締役を降ろされた。奈津美も店を去り菊池がこの店の代表者となった。営業方針も大きく変わることになった。菊池は従業員のほぼ全員を女性とする店に方向を転換した。男は一人もいらない。
菊池は知っている。男がいれば俺と同じことをする。
菊池の狙った客は銀座の女性の後ろにいるパトロン達であった。
彼らは各界に絶大な力を持つ有力者ぞろいである。だが女には甘い。
女を捉まえて、その資産のごく一部をこの店で使ってもらう。女をつかまえるのに菊池には苦労は要らない。計画は盤石に見えた。
ある日、奈津美が経営をしていたころに、この店に商品を預けていた業者から、商品の返還を求める要求があった。高級時計100個、預り証に記載された金額は1億円であった。
預り証には時計1個ごとのシリアル№が記載されている。
業者は他に一括でより高額で売れる商談が成立したと言った。
もとより預り品である。要求されれば返還するのは当然である。菊池と業者により預り証に記載されたシリアル№と、現品の確認作業が行われた。ところが預けた時計のシリアル№は100個全て一致しなかった。実は預かった品は1個一万円以下のコピー品であった。
この業者からこの時計を預かったのは菊池であった。奈津美から信頼されていた当時の菊池は、商品の預りまで一切を任されていた。預り時点で1個ごとの確認を怠った菊池の失態である。業者は当初からの計画であったろう。相手は菊池より一枚上手であった。
預り証に記載された金額、1億円は即刻支払わなければならない。話し合いの末、
支払いは2週間後となった。その間にマリアを説得し、1億円の融資を受けようと考えた。他に方法はない。実行しなければ預り品無断転売で訴訟となる。勝つ見込は100%ない。
☆☆☆
翌日、代々木上原の菊池邸をスーツ姿の二人の男性が訪れた。一人は元、菊池章一郎が社長を務めていた会社の総務部長の名刺を差し出した。もう一人の男性は弁護士であった。二人はこの家の明け渡しを求めた。
「この家は会社の所有物件です。社長の住居として会社が購入し管理しております。先代社長の菊池章一郎氏の業績を考えて、奥様にはその後も無償貸与としてまいりましたが奥様が再婚されたとのことにより、当社の果たすべき役割は終えたと考えております」
弁護士は十数枚の書類を見せたが菊池は目はぱっちりと開き、まばたきもせずに書類を見下ろしていた。だが書かれた内容はおろか、文字そのものが全くを見えないほどの衝撃たを受けた。
婚姻届をだす前に、不動産の権利の確認を怠った菊池の失態であった。
菊池が手にしたものは、愛してもない歳上の妻と、莫大な借金であった。
☆☆☆
ジョージィと原島は、向島のマンションで過ごす残りわずかな日々の思い出として近所の店での食べ歩きや、隅田川のほとりの散策で過ごしていた。この風景も見納めとなる。思えば代々木上原の菊池邸の前で始めて交わしたキスの後、この向島までのタクシーの中に残ったジョージィの匂いが思い出された。
するとたまらなく欲情が沸き起こり、原島は家具もなにもなくなったがらんとなった部屋の一角に、わずかに残された一組の布団のなかにジョージィを引き込むと、まるでこれが最後といわんばかりの激しさで愛を確かめ合った。手と唇で全身にもっと隠された秘密はないかと探し続け、窪みを見つけると舌を挿入した。がらんとした部屋にジョージィの「あぁ~」と快感にうめく声が響いた。
明日からしばらくはボスロフ邸で過ごす。ジョージィとふたりだけの時間は無駄にしてはならないと、その後もいつまでも愛の行為は続いた。
☆☆☆
向島とは隅田川を挟んだ向かい側の浅草のホテルに、奈津美と諜報部員はいた。
全てを失い、空っぽになった奈津美の心の空間を男は埋めてくれた。
体も同じく隙間のすべてを男の体で埋め尽くした。口も耳も奈津美の体のすべてを奈津美自身が見ることがない部分まで、男の唇は攻め続けた。頂点に達した奈津美の体はもうそのまま、眠っているかのように動かなかった。声も出せない程の快感が全身を支配していた。
失意の奈津美は男の体で生き返った。翌朝も男の求めるままに、奈津美自身も燃え尽きるかと思えるほどに愛し合った。
女の気持ちの切り替えは早い。朝のコーヒーを飲みながら奈津美は男の次の要求を待つほどになっていた。
「こんどはいつ?」
「明日だ、大丈夫か?」
もちろん、奈津美には何の問題もない。
ふたりを乗せたタクシーは、諜報員の指示により、乗り向島へ向かった。
隅田川に掛かる吾妻橋にさしかかると、ビール会社の屋上に輝く金色のオブジェが見えてきた。不思議なデザインのオブジェが何となく、怪しい陰謀を隠す諜報部員の心を表しているいようにみえた。そう、このオブジェは「心の炎」と呼ばれている
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