今は無き温もり

@yagiden

今は無き温もり

 他人行儀な義父、気味の悪い義兄、そして変わってしまった母。その人達は今、リビングで夕食を食べている。一家団欒で今日あった出来事でも話してるんだろう。反面、私は独り、自室に閉じこもっている。食すのは緑のたぬき、購入価格138円。

 これは私が望んだ事だ。主に義兄が気持ち悪いという理由で、あの家族とは一緒にいたくない。

 今の私は幸せだと言えるんだろうか。緑のたぬきを見ると、よく考える。

 昔は母と二人、貧乏な暮らしだった。それが母の再婚により、一変して裕福になった。お小遣いを貰え、自分の事にお金を使えるようになってからは、仲の良い友達が増え性格も明るくなったし、今、夕食を共にするよう強制されないのは、ある意味では尊重されている証拠だ。不自由ない幸福な生活を送っていると言えるかもしれない。

 それでも幸せだと思い切れないのは、昔、それ以上の幸せを感じた事があるからだ。

 お湯を注ぎ、3分という待ち時間に、私は過去を振り返える事にした。


「食って行こうぜ」


 それは小学生の頃の思い出。学校からの帰り道、毎日一緒に下校していた男の子が言ったセリフだ。

 秋、冬の寒い季節、町で唯一のスーパーの前を通りかかる時、決まって彼から提案してくれて、私はいつも申し訳なく思いながら頷いていた。カップ麺を買ってフードコートで二人で食べる、というのが毎日の楽しみだったけど、貧乏でお金を持っていない私の為に、彼はいつも代わりに払ってくれたのだ。

 一緒に商品を選ぶ時、お湯を注いでから待っている間、会話の話し始めはいつも彼から。大人しかった私はそれに対して笑うか相槌を打つかしかできなかった。


——我ながら、変わったな、と思う。

 部屋を見回してもそうだ。以前のボロアパートの一室とは断然違う。この部屋には生活の豊かさがある。少なくとも話題を生み出せる程度の人間性は備わっているはずだ。あの頃の儚い少女はもういない。

 机の上にある緑のたぬき、賞味期限約半年後。それを見てから目を瞑り、再び思考に耽る。


「いただきます」


 彼はいつも、律儀にもいただきますと言う。私はそれが好きで、周りの人目を気にせずに真似をしていた。

 彼は毎回、色々なカップ麺に手を出すが、緑のたぬきだけは手に取る事がなかった。別に嫌いだというわけじゃなく、見かけると、赤いきつねか緑のたぬきか、という二択を頭の中で作り、そうなると決まって赤いきつねを選んでしまうらしい。

 そんな時、私はいつも緑のたぬきを選んでいた。いつもはなるべく安価なものを選んでいたが、その時だけは絶対に緑のたぬきにしたい、というこだわりがあった。

 

「天ぷら、半分食べる?」

「食う!」


 このやり取りをしたかった。笑ってくれるのが嬉しかったのだ。もしかしたら彼は、こうなる事を予想して、いつも赤いきつねを選んでいたのかもしれないけど、それでも私を当てにしてくれているのを感じて心が暖かくなったのを覚えている。

 それに、赤いきつねと緑のたぬきは対になる存在だ。私も彼とそう在りたい、その気持ちを込めて緑のたぬきを選んでいた。

 代え難い、幸せなたった十数分間の事。会話を繋ぐ技術などなかった私は、少しでも時間を引き延ばそうとゆっくりと味わって食べる。食べ終わってスーパーを出ても、また明日があると思っていた。ずっと続けばいいと願っていた。


「じゃあな、また明日」

「またね」と小さく手を振って、ボロアパートに入った——。



 ちょうど3分が経った。

 目を開けると最初に緑のたぬきが見えて、少し頬が緩む。寒さの中にあった幸せが、そこにあった気がした。

 蓋を開けると湯気が立つ。熱を帯びたそれが私に触れると、すぐに冷めていった。


「いただきます」


 私は独り、今日も緑のたぬきを食べる。

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