めくらましごっこ

絵空こそら

めくらましごっこ

 帰宅すると荷物が届いていた。

 私の住むアパートのドアの前に、それは置かれていた。段ボールの上面にはただマジックで『古渡匠海様へ』と、小綺麗な文字が並んでいる。

 私は困惑した。伝票も貼られていないということは、誰かが直接私の住居にこの箱を運んできたということになる。

 新手の詐欺かも知れないと思った。いっそこのまま、警察に届けてやろうかとも考えたが、恋人や友人の悪戯である可能性も捨てきれない。一体誰が、何を置いて行ったのか、多少興味があった。私は部屋から鋏を取って来て、玄関先で箱の封を解いた。中身を確認してすぐに、箱を部屋の中へ運び入れた。



『古渡匠海様


 お久しぶりです、匠海君。突然のお荷物、お手紙、さぞ驚かれたことと思います。申し訳ありません。私は、小学校に上がる前まで匠海君の隣の家に住んでいた理乃と申します。あの頃はよく一緒に遊んでいましたけれど、覚えておられるかしら。

 今日、こうして手ずからお荷物をお届けに参ったのは、宅急便だと足が付くと思ったためです。今日、私は死にます。ちゃんと遠いところで、一人で死にます。ここへ寄ったことは誰も知りません。住所は探偵を使って探し出しましたが、彼らには守秘義務がありますから、決して口外しないでしょう。屹度しがない家出女の自殺として、新聞に載ることもなく処理されるでしょう。だから安心して、匠海君にはこのお金を使って欲しいと思います。


 私は匠海君に謝らなければならないことがあります。いいえ、いくら懺悔してもしきれません。あなたのお母様にも。面と向かって謝る勇気がないから、自死を選ぶのです。どうか、臆病な理乃を許してね。

私が謝りたいのは、あなたのお父様のことです。

 匠海君のお父様は、私たちが小学校に上がる少し前、交通事故で亡くなりましたね。私たちの目の前で。お父様はトラックの運転手でした。旧式のトラックを愛用していたものですから、街を走っていると一目でわかりました。あの日も、私たちが遊んでいた公園を偶然通りかかって、その直後、住宅地のブロック塀に衝突して、還らぬ人となりました。

 思い出したくない、辛い話題かも知れません。でも、どうか堪えて、最後までお読みいただきたいのです。

 ところで、あの頃私たちの間で流行っていた、「目くらましごっこ」を覚えていますか?暗い部屋の中に、光を反射させた鏡を向けると、ちょうど鏡の形の光が、暗い壁にぽっと浮き上がるのです。その現象を利用して、よく公園のドラム缶の中や、滑り台の下で、先に光を当てられたほうが負け、という「目くらましごっこ」をしていたのを、覚えていませんか。

 私はそれを、中学校の理科の実験をしているときに思い出しました。光の屈折率についての実験です。懐かしい気持ちと共に、悲しい気持ちも蘇ってきました。なぜならあの日を境に、とても仲良しだった匠海君と遊ぶことはなくなり、あなたはそのまま引っ越してしまいましたから。私は持っていた手鏡で、窓から差す日を、理科室の黒い机に反射させました。あの頃と同じように。その時ふと、ある可能性が、雷のように私の目を焼いたのです。

 匠海君のお父様のトラックが公園の傍を通りかかったのは正午でした。12時を知らせる鐘が鳴っていましたから、よく覚えています。あの日はとても空が高い秋晴れの日で、太陽の光が燦燦と降り注いでいました。私たちはお父様のトラックを見つけ、夢中で駆けよりました。その直後です。トラックが塀にぶつかったのは。

 お父様が事故を起こした理由は不明とのことでした。持病も無し、突発的な心不全などの症状も見られず、車に故障もなし、ただハンドルを切るタイミングを誤ったのだろうと……。

 私たちがトラックに駆け寄った時、私は大きな鏡を持っていました。鏡が大きい方が、「目くらましごっこ」で相手に当てられる面積も大きくなりますから、母の化粧台からそれを持ち出していました。

 私がお父様のトラックに手を振った時、その鏡が光を反射して、お父様の目に当たったのではないか。本当の目眩ましのように。

 その可能性に気づくと、大変な悪寒が身体を駆け抜けました。私は絶えず、その光景に憑りつかれるようになりました。人を殺したのだという実感が日に日に増し、夜も眠れなくなりました。いっそのこと、警察に自首しようかと思いました。でも、そんなに昔の事故を、立証できるはずがありません。家族にも打ち明けようとしました。でも、打ち明けたところで、どうすればいいのでしょうか。私は悩みました。悩んだ末に、死んでしまおうと思ったのです。でも、それでは何の償いにもなりません。だから働きました。お金を貯めました。お金で、人の命が返ってくるわけではありません。でも、せめてもの償いに、このお金を送らせてほしいのです。こんなはした金と思われるかもしれません。ただの自己満足かもしれません。それでも、何もせずにただ死ぬよりもよかったと、思いながら死にたいのです。

 匠海君、あなたからお父様を奪ってしまって、人生に暗い影を落としてしまって、本当にごめんなさい。願わくば、これからのあなたの人生が、健やかでありますように。』


 手紙はそこで途切れていた。痙攣したような筆跡を見つめながら、私は混乱していた。

幼少の折に父が死んだのは事実である。しかし、手紙に書かれていたようなことが死因であるとは、どうにも信じがたかった。

 視線を落とすと、段ボール箱が目に入る。その中には一万円札が、隙間のない程ぎっしりと詰め込まれていた。

 彼女は本当に自殺したのだろうか?それを確かめるまで、この金は受け取れないと思った。









 線香を点け、手を合わせる。目の前にある遺影には、僅かに幼少の面影があった。

 あれから私は、自殺事件を調べ上げ、理乃を探し当てた。

 理乃は死んでいた。私の住んでいる県から遠く離れた自宅で、首を切っていた。

 理乃の遺影や、理乃の母のやるせない顔を見ていたら、涙がこぼれてきた。私と母と、兄弟たちは、父の死を受け入れ、それなりに人生を謳歌してきた。報われないのは、人生を滅茶苦茶にされたのは、理乃のほうではないのか。確証のもてない可能性に振り回され続け、誰にも打ち明けられず心を病んで死んでしまった彼女が憐れだった。私は目を閉じ、もう一度彼女に弔いを捧げた。








 数週間が過ぎた。

 送られた金は全額医療機関と孤児院に寄付をした。私利私欲のために消費して良い金だとは、到底思われなかった。

 私はアパートの窓際でカーテンを捲り、鏡で光を反射させて、薄暗い部屋の壁に四角く光る模様を浮かび上がらせていた。「目くらましごっこ」。一人遊びは虚しいものである。

 鏡を回転させた時、誤って鏡を取り落とした。音を立てて欠片が飛び散る。

 瞬間、記憶が目を焼いた。動悸と呼気が激しくなり、じっとり冷たい汗が噴き出す。

 私は思い出してしまった。あの日、父のトラックに駆け寄った時、理乃は何も持ってはいなかった。その前に落として割ったのである。

 そうだ、あの時、鏡を持っていたのは……。

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めくらましごっこ 絵空こそら @hiidurutokorono

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