姫巫女は大火の真相を知る 前編

 ◇


「何をやっとんじゃああ、お前はアー!」

「ひえっ……」


 突然の怒声。

 しわがれたその声はほっそりとした枯れ木のような外観からは想像もつかないほどにたくましい。

 耳がキーンとした。


 鼓膜が振動で震え、これならバーレーンで飼い慣らしていた、貴族用の雄々しい飛竜だって逃げ出すに違いない。

 エミーナはアデルの替え玉になったことをあっさりとラボスに見抜かれてしまい、そのおしかりを受けていた。

 鞭でお尻や胸、手のひらを打ち据えられたほうがまだましだった。


 それほどにラボスの大声は後にのこる……。


「聞こえているのか! エミーナ!」

「はっはい……」


 聞こえるわけがない。

 鼓膜はあいからず振動っぱなしだ。

 脳のどこかで地鳴りと低空を飛竜が飛びぬけて行ったあとの音の壁があるような、そんな感じがする。


 まだまだそれは止むところをしらなくて、どろりとした水のようなものが耳から耳へと移り、それぞれのバランスを取ろうとしているように感じれた。

 めまいが止まず、吐き気まで出てくる始末だ。

 ラボスの叱責は間違いなく一つの武器になる。

 その場にいた誰もが彼の声の被害者になり、誰もがそう感じていたはずだった。


「しゃきっとせんか!」

「無茶を言わないでください……。ラボス様のお声のせいで騎士の方々まで」


 とエミーナは地に片膝をつけようとして踏ん張っている神殿騎士たち数名を指さした。


「ふむ! あれで地に伏せなければなかなかのもの。見事じゃ」

「見事ではありません! 一体なにを混ぜたのですか!」


 やり過ぎです! とエミーナに突っつかれてラボスは顔をしかめた。

 まさか単なる叱責に、『竜王の咆哮』と呼ばれる戦う相手の意欲を削ぎ、心を萎縮させてしまう。

 使い方によっては相手を死に至らしめることも可能な高等魔法をそっと声に添えた、とは今更言い出せるはずもない。


 そんなことを言えば、「いやいや訓練、訓練」としらばっくれたところで後からエミーナはもちろん。

 大事な孫娘のように思っているアデルから嫌われてバーレーンにもどれと言われかねない。


「いや……すまん。つい、若気の至りでな。闘気をすこしばかり発してしまった」

「闘気? んもう……勇者様たちと過ごしたあの時代といまを混同されては迷惑です! これは姫様に報告しますから」

「ええっ、いや待て、エミーナ。それは……」

「だって、もう御老人だからおさまりも付かないのなら、仕方がないではないですか。死ぬかと思ったわ……アデルめ」

「何か言ったか?」


 いえいえ、とラボスの質問を首を振ってうやむやにするエミーナだった。

 乳姉妹からというよりは、姫巫女として命令されたら身代わりにならざるを得なかった。

 姫巫女様の命令は絶対なのだ。


 まあ、それも含めてお断りできかねる状態でした、とエミーナはラボスに報告するしかない。


「ぐぬぬ……姫様め! 断れぬ家臣に押し付けての横暴、許さん!」


 などとラボスの怒りの矛先を逸らすことに成功したエミーナは、幾重にも張り巡らされた厚いベールの向こうにうっすらと見える神官たちの報告を、改めて受け始めた。


 ◇


 路地から別の路地へと屋根伝いに移動し、たまたま見つけた辻馬車に金を放り投げて後ろを見るな。そう告げ、周囲を適度に散策させて、アパートとは別方向に急がせた。

 貴人と若い娘が酔狂で遊びに出ている。

 そう見せかけたのだ。


 それから王都を幾重にもぐるりとまいている南の運河から水を引き入れた内堀を越え、外堀を目指して馬車を進ませた。

 ここまでが八分くらい。

 釣りは要らないと言ってさらに金貨を一枚御者席に放り込み、危険を承知で走行する馬車から軽やかに飛び降りた。

 御者が後ろを振り返ったときには、二人の客は近場の路地に姿を消していた。

 黒と白の衣装を身にまとっているしか見えなかった、と後から御者は語ったという。


 アデルは最後までライシャを抱きかかえたままで一連の行動を行い、ようやく立ち止まったかと思うとその姿は髪色よりも明るい銀光に包まれた。

 ライシャがあかりもの明るさに目をしばたかせたとき、二人はどこか見知らぬ部屋。アデルの隠れ家にいた。


「ここに座って」

「え、でもっ……貴方誰?」

「いいからいいから」


 そう言い、アデルは腰の刀を引き抜いた。

 ひっ、とライシャが小さな悲鳴をあげる。

 自分に向けられと想像したからだ。


 しかし、その刀身を銀髪の麗人は高く両手で掲げるようにして持つと、凛とした声で命じていた。


「ほらー頼むわよ? あなたの神力で私たちが抜け出て来た痕跡を消してちょうだい! 精霊の通り道なんかもね?」


 アデルがそう頼むように命じると、ククリ刀は心得たとばかりに黄色のような閃光を一際強く放った。


「うわっ?」


 持ち主がその色の意味を理解していなくて驚いていたのがどこか滑稽だった。

 やがて光が収まると、刀身には辺りの景色を断片的に映し込まれていき、その中にはロディマスやリジオの姿。

 あの馬車から降りた辻馬車の御者の姿までかわるがわるに映り、そのどれもがアデルとライシャに関わる記憶を忘れたかのように各々の仕事に戻っていく。


「やっぱり炎術師たちは無理かあ……強すぎるのね」

「あの……なに、これ? あなたどなた様?」


 側で同じように不可思議な刀身に魅入っていた少女がふと、アデルの顔を隣から見上げる。

 そこには怯えと恐怖が色濃く刻まれた顔があった。


「あー……私は、そのっ……ふぇっくし」


 小さく可愛らしいそれでいてどこか間の抜けた声がした。

 くしゃみをしたのはアデルだ。

 黒いショールでまとめ上げた銀髪がはらりと一筋、その顔にかかっていた。


「大丈夫?」

「あーいいの、大丈夫。気にしないで……氷の精霊を使いすぎたのかもしれない」

「氷の精霊?」


 なんですか、それ。とライシャが首を傾げる。 


「いいのよ。とにかく、この髪と顔に見覚えないかなあ?」


 アデルはショールを解き、豊かな腰まである銀髪をライシャに見せた。

 リビングにあたるそこにはベランダに続く窓があり、外から午後の斜陽がアデルの銀髪を金色のように美しく染め上げる。


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