少女は姫巫女と遭遇する 後編
部屋に辿り着くまでの間、なんども少女は抵抗した。
それも必死にとかいうものではなく、この死に物狂いで、と言った方がただしいかもしれない。
「姫巫女様が待ってるから!」
「嘘っ、嘘つき! っ話して―ー!」
このままだと大きな声で叫ばれて、周囲からの注目を集めてしまう。
裏通りと言っても、時間帯は夕方でまだまだ陽光も差し込んでいるところも多い。
うっすらと陰になっているというだけで、そこいらに誰もいないというわけではないのだ。
家々からは夕食の買い出しだの、出していた洗濯物を取り込もうとするご婦人方だの、裏でなにかちょっとした小さな仕事を仕上げている男性だの。
立ち止まり、肩に担ぎあげた少女がいやだいやだと叫びながら抵抗していたら、衆目を引く。
貧民街のように誰もが互いに干渉しないような場所でなら、ああいつもの人さらいか、で話は済んだかもしれない。
しかし、ここは大通りの真裏にある商人街の一角。
左右に一本外れたら、そこには王都でも名だたる商人たちが看板を掲げて商売をしているのである。
その裏側にあるのは商品の搬入口や従業員たちの出入りする裏口に他ならない。
ときにはやんごとなき立場のお客様たちだって利用するのだ。
誰もいないはずがなかった。
「ちっ!」
アデルは腰に巻いていた布をライシャの顔にあてがうと、そのままぐるっと巻き上げてしまった。
「ひっ」
いきなり視界を防がれたライシャは途端、身体を硬直させてしまう。
生き物ならなんでもそうだ。
どんなに暴れていても、視界を塞がれたら身体は瞬間的に萎縮してしまう。
そうなっているのである。
無論、数舜後には抵抗が激しくなるがその前にライシャの着ている夜着のだぶだぶの袖口を引き出して結わえ付けた
頭を背中にやるようにして右肩に担ぎ上げると、右手で膝裏をがっしりと抑え込んで抵抗できないようにしてしまう。
まるで本当の人さらいみたい……。
本業は聖職者なんだけどなあ、と自分の行いを鑑みつつ、ここはさっさと別の道から逃げ出そうとアデルは神器に心で問いかける。
別の道を!
腰のククリ刀がそれを受け、左右のうち、一本後ろに戻った道を往けと指示をだす。
「ありがとっ!」
「誰か! 助けて―っ!」
「あー……口を塞いでおくべきだったかも」
「なに言ってるのよ、放しなさいよ! この嘘つき」
右耳の後ろでぎゃんぎゃんと叫び声が聞こえる。
「おい、何やってんだ!」
「あちゃー」
まずいのは事の成り行きを見ていた辺りの商家の下男とおぼしき連中が、悲鳴を聞いて捨ておけないと集まりだしたことだ。
王都では誘拐と拉致監禁は捕まれば即死罪である。
それは老若男女問わず、特に子供の人さらいなど許されるものでないというのが、当たり前の常識だった。
彼らはその辺りに落ちていた棒っきれだの、鉄のなにか物騒なものを手に手に取ってそれでもまだ十数メートル向こうから急ぎ足で駆けよって来る。
犯罪を犯す者にかけられる情けなんてものがあるわけがない。
少なくとも目の前には被害者がいるのだ。
見事に助け出せば褒章がまっているし、そうでなくても主人に誉められることは間違いがない。
そこまでの打算と共に、彼らはアデルに駆け寄ろうとしていた。
「面倒くさいなあっ、もう!」
義憤に駆られる人間を黙らせるのは容易な事ではない。
それよりももっと簡単にあっけなく、それでいて効果的に足止めをする方法がある。
「ほーら、もってけー!」
アデルは懐に手を入れると、ジャケットの内ポケットから十数枚の貨幣を取り出してそれをばら撒いた。
「なんだ?」
「おい、これ……銀貨だぞ!」
「なんだと? まて、俺にも寄越せこの!」
などとやってくる男たちにめがけてそれを投げつけてやれば、人というのはげんきんなものだ。
降ってわいたお宝に我先もと飛びついてしまう。
手に武器なんて放り投げて、銀貨を取り合おうとする様は滑稽を通り越して哀れだ。
たかだか銀貨でプライドも魂も売り渡す……っと思いきや、そうでない者も数人はいて。
「何やってんだ、お前ら! 御主人様の顔に泥を塗る気か! さっさと立っておいかけろ!」
と、その上役か兄貴分だろう。
二人ほど、銀貨には目もくれずしゃがみこんだ男たちを飛び越えて、アデルに肉薄しようとする男性たちがいた。
それぞれに剣と役人が持つような棍棒を携えている。
普段ならともかく、ライシャなんて五十キロ近いにお荷物を抱えているアデルは、げげっ、と唸った。
ここで撃退しようとしても、最悪、ライシャを諦めて逃げることになってしまう。
「神器、なんとかしなさいよ!」
「え? 女?」
アデルは神器にどうにかしろと無茶な注文を出し、それを耳にしたライシャは相手が女だと初めて知る。
「あなたは黙ってて! 誘拐じゃないから。姫様が用があるから!」
「なに言って―……」
「お父様を助けたいなら協力しなさい!」
「あっ……」
その一言は効果的だった。
ライシャは姫巫女と父親の名を出されたら思わずそこにすがるような、そんな心理状態だ。
それを誰も責めることはできない。
正しい判断を下せるような精神状態にまだ戻っていないのだから。
「きちんと合わせてあげるから、静かにして! いい?」
小さな反応が戻って来る。
少女の抵抗がやみ、四肢がこわばったまま成すがままにされるしかないというあきらめを知ったのだと、アデルは理解する。
あとはここから―ー後ろに迫る方が近い。
アデルは神器を鞘から引き抜くと、そのくの字に折れ曲がった物騒な刃の先を向けた。
長さは一メートル以上あり、それがどうやって垂直な鞘の中に押し込まれていたのかと迫る男は疑問を頭に浮かべながら立ち止まる。
持っている棍棒で叩き堕とせるか?
そう悩んだ瞬間、アデルが扮した黒布で口元を覆った人さらいは、その不気味な刃を放り投げて来た。
「うおっ?」
眼前で上体を逸らさなければあの開店する刃にえぐり取られていたからもしれない。
それほどに刃は俊敏で豪快な音とともに風を切り裂いて去ってきた。
勢いあまって後ろに崩れそうになる彼は、その刃が空中の一角で起動を変えて投げた持ち主がいる方向へと旋回しながら戻っていくのを目にしていた。
「なんだ、あの武器は!」
店に出入りする狩人の一人がそういやあんな武器を手にしていたかと思い出した。
あれは木をくの字の形に削り出し、彼が放り投げると手元で弧を描きて戻ってくるのだという。
まさかそんな武器を刃で行うやつがいるなんて……。
驚愕だった。
その武器は前から長剣を構えて人さらいに肉薄し、その剣先を突き立てようと腰だめに狙っている剣士の足元めがけて斜面を滑る雪崩のような速度で滑空していく。
「ぐあっ!」
と、鈍い悲鳴があがりそちらを見るまでもなく辺りに散った血しぶきで剣士が下されたことが分かる。
自分たちがかなう相手じゃないんだ。
痛みにのたうちまわる剣士の苦悶の悲鳴を耳にしながら、もはや誰もが回転して手元に戻った剣を構えながら逃げ出した人さらいを追う気力を失っていた。
「ちょっと! 誰が怪我させていいって許可だしたのよ!」
と、そんな小さな叫び声が消えて行った路地裏から響いた気がしたが、残された男たちは苦痛と出血に真っ青な顔をしてのたうちまわる剣士のことに気を取られて誰も気づかない。
「あれ? おい見ろよ……」
人さらいがどこかに消えてから数分後。
いきなり剣士の悲鳴が止み、穏やかにな顔になって目を閉じ、気を失ったかのように見えた。
もしかして毒でも塗られたいたか、と周りの男たちが血の気を引かせるが……。
怪我人の傷口からは裂傷がまるで最初からなかったかのように消え失せていた。
その周囲に巻かれた血しぶきも、地面にどろりと流れでいていた血だまりもそうだ。
何もかもが幻でも見ていたかのように、何もなかったことにされていた。
ただ一つだけ。
あの不気味な空飛ぶ武器により切り裂かれた剣士の太もものズボンだけが、その事実があったことを物語っていた。
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