新時代の幕開けはひそやかに始まる
アデルの決断は大神殿に静かな衝撃を与えた。
各部署を統括する神官長たちは彼女の政策を快く受け入れなかった。
各地からの供物はそれだけで財産になる。
王国内で大神殿が政治に関して大きな影響を持つには金が要るからだ。
自分たちの利権も絡み、大神殿は大きく揺れそうな予感がアデルにはしていた。
「間違った判断だったかな?」
「姫様、お言葉が市民の娘にようになっております」
「爺はいちいちうるさいのー。大神殿がいろんなところと裏で癒着してどうするのよ……世界の情勢は刻一刻と変わってるっていうのに、ここだけはまるで時間が止まったみたいに世界は変わらない」
「宗教の中心地というものはそういうものかもしれませんな」
「何、達観してるのよまったく……」
「爺は慣れておりますよ」
あーそうだった。
彼はこう見えて、生まれ故郷のバーレーンでは氷の精霊に仕える大神官だった。
どこの神殿も中身は変わらないらしい。
ドロドロとした権力闘争の歴史を数十年もの間、彼は見続けてきたのだ。
規模の大きい小さいがあるだけで人の営みは何も変わらないのかもしれない。
「ええ、ええ。そうでしたわね! 丁寧な言葉遣いってこれでいいの? 私が生まれる以前から大神官……神殿を統括する責任者の一人だった爺は、この太陽神の大神殿を見てどう思うの?」
「どう思うと言われましても。そうですな、まず戦争が終わりました。魔族との間にも強固なつながりが必要となる時でしょう。今回の魔王との同盟について、何もかもが悪いということはないと思います」
「……私の戴冠式に合わせて、前代の姫巫女様が確約した約束だからそれは仕方ないけど。あの方は一体どこに行かれてしまったのかしら……」
「退任すると言われてそのまま行方不明になられたとは、どうにもおかしな話ですな、姫様」
「本当にね。どこに行かれてしまわれたのかしら」
先代の姫巫女アイギスは戦乙女とも呼ばれた好戦的な性格だった。
魔族との和平を良しとせず、太陽神の名において聖戦に戦士たちを送り込んだのは記憶に新しいところだ。
しかし、東の大陸からはるばる西の大陸へと派遣された彼らは、その半分も戻ってこなかった。
冒険者に神殿騎士、ムゲール王国の誇る魔導師たちもそうだ。
戦争というものは憎しみと悲しみと怒りと参加した者たちに痛みしか残さない。
そんな虚しいものだとアデルは改めて思うのだった。
「これまで戦争はこの王国の主要産業だったからそれがなくなった今は新しい産業を起こさないといけないわね」
「太陽神様の神託のもとに戦士たちは戦っておりましたが……。帰還兵の中には、心や体を病んだ者も多いと聞きます」
「もうっ! 都合のいい時に辞めてしまわれたのね! あの御方はっ!」
新しい指導者に残された課題は多い。
託された課題といってもよかった。
どこから手をつけたものか。そう悩みながらもアデルが真っ先に行なったことが、大神殿の内部から腐敗を取り除くことだった。
まずはここから始めなければ。
そのために対決すべき相手も多いわけで……アデルは政敵の名前や顔、彼らの情報を頭のなかに思い浮かべる。
次代の姫巫女と期待されていた、女官長イシュタリア。
年齢はアデルより少し上で王族の一員でもある、公女。
血筋としてはアデルと同等の格式を持つが、庶子であるアデルを軽んじる勢力の代表格でもある。
その他にも、太陽神の大神官が二人。教会における政策の決定権を有する枢軸卿が三名。
どれもイシュタリアと親しく、一枚岩でもないけれどアデルと距離は近くない。
前代の姫巫女アイギスが残っていてくれたらある程度の派閥が自分にも付いてくれただろうに。
そう思うと、残るは国王一族と総合ギルドのギルドマスターたち。
そして……。
「四大公爵家のうち、一家はすでに敵に回ってるし。大神殿の統括権力者はあと一人、か」
「教皇様ですか」
「そうね。この太陽神の大神殿、本家本元はここじゃないもの。西の大陸の北部にあるじゃない……あちらの教皇様や聖女様に助力願うしかないわ」
「大神殿なのに、地方組織とはなんともおかしな話ですが」
「爺の所属する氷の精霊王様だってそうでしょ? いらっしゃるのは極北の大地だわ」
氷の精霊王様、か。
アデルは座る玉座の横にたてかけた神器をちらりと一瞥する。
これのことは数少ない従者たちと父親の盗賊公爵フライにしか漏らしていない。
神器を与えてくれたからいまここに来る決断ができたことは間違いがないが、それにしても自分を選んだ太陽神くれたものではないことに幾ばくかの不安も抱えていた。
「それはその通りでございますが、我が精霊王様は親しくしていただいておりますでな」
「爺の自慢はもういいわ……。それよりも新しい産業よ。それに仲間も必要だし……自由に動けて私に忠誠を誓ってくれる手足のような存在が欲しい」
「幸いにもこの王都にはバーレーンの民が多く住んでおりますよ。フライ様の管轄する盗賊ギルドの面々もおりますれば」
「お父様の力に頼り過ぎたら、あいつらみたいになりそう」
「あいつら?」
「私が捕まえたローンの王族たち。最初は仲が良かったけれど都合が悪くなればああなる。お父様は家族とか身内とかよりも仲間と権力を愛するもの。私を利用して王国を好きにしたいって考えがどこかにないとも限らない」
「姫様。実の父親を捕まえてそんなことを考えられては……」
「有りえる話でしょう? だからやりたくないの。でもそうねー」
天空大陸はその地下に莫大な量の鉱石が眠っている。
故郷の力を借りて、王都のみならず国内外にそれを使って新たに輸出する施策を講じれば、戦争産業から脱出できるかもしれないとアデルは考えていた。
「フライ様のお力を取りあえずは利用されてはいかがですかな。あくまで利用でございますが」
「爺も悪いわねー考えることが悪人っぽいわよ。利用価値がなくなったらぽいって捨てられそう。この私も」
「そんなことはありませんぞ。姫様にだけはこの命が続く限り、末永くお仕えいたします」
「でもね、爺と連れてきた兵士たちや女官たちだけでは何もできないのよ。この大神殿の外で王都の民から信頼を集めなければ、大神殿は変えられない。大神殿が変わらなければ、王国は力を失いいつかは滅亡するかもしれない。やっぱり誰か必要ね」
そうなると誰がいるだろうか。
席を立ち、一人が使うにはあまりにも荘厳で広すぎる自室のテラスから、眼下に広がる王都を彼女は一望する。
ふと、視界の端に黒く焼け焦げたような一部の土地が目に入った。
先日の大火で焼失した地域だ。
貴族たちも大きな被害を出したと聞く。
大火事……ね。
思い出すのは行列の中に飛び出してきた少女と……彼だ。
どこかで目にしたことのある、記憶の片隅に眠る懐かしい香りのするバーレーンの民だった。
あの少女を託したが、彼は行列の中にいきなり出現したようにも見えた。
魔法を使うことを禁じたあの空間で、それでも彼は難なくそれを行使して自分の身を守ろうとしてくれた。
その意味では信頼ができるかもしれないし、魔法の腕は大したものだといえるだろう。
「彼なら……」
自分を補佐してくれるかもしれない。
そして預けた少女も気にかかる。
「爺、調べて欲しいことがあるの」
アデルはお目付け役のラボス爺にそっと告げた。
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