青の海 ~孤独と静音~
青の海 ~孤独と静音~
*
濃いハワイアンブルーの空に浮かぶフロートのような真っ白な雲。炭酸水の泡たちが音もなく弾けて、グラス越しの光のような太陽がキラキラと網膜を焼く──。瞼を閉じ、深く息を吐き出せば。真っ暗な底なしの海に、どこまでもどこまでも静かに、深く深く沈んでゆく………。
「───り、碧…?」
夏休み明けの校舎。休み時間。窓辺の席と友人達。
「ちょっと、聞いてた? あんた、またワープしてたでしょ」
頬杖から顔を上げ、取り繕いに友人達へと碧(みどり)は笑ってみせる。
「え? 茜のお母さんの話でしょ?」
「あんたねぇー。どんだけ昔の話してんのよ。そんなに前から聞いてなかった訳??」
「ええー? ごめん、ごめん。悪かったって──」
別に友人のする話が退屈だったとか、そういう訳ではない。皆、気の良いクラスメイト達だ。
「──あ。ねえ、碧! お兄さん来てる!」
「一限に借りた辞書」
「あ、うん」
言葉少なに去っていく兄の隣の、派手な髪色の上級生に碧はチラリと目をやった。
「碧のお兄さん、イケメン~」
「そう? 全然、フツーでしょ」
「あんた、贅沢~」
兄を褒められ、悪い気はしなかった。
*
放課後、委員会の帰り。部活動らの音で賑わう校舎。学祭が近付いていた。
音楽室近くの廊下へ通り掛かると、騒がしい曲調の音が耳に入った。
「わー。ね、ちょっと見に行かない?」
「私、こうゆう曲には興味な……ちょっと、茜?!」
友人に引きずられるようにして辿り着いた先には、他にも数人の生徒達の姿があった。興味津々としている他の生徒らに混じって教室内を覗けば、真っ先に目に映ったのは休み時間に兄の隣に居たあの派手な髪の生徒。──激しい曲調、鼓膜を劈(つんざ)く爆音。猥雑なメロディー。そこへ教室の中央、こちら側へ背を向けていたボーカルらしき人物が曲へと歌詞を乗せた。
「───!」
音の波が一気に生命(いのち)を吹き込まれたかのように、碧の元へと打ち寄せた。周りを震撼させる歌声に、周りの生徒らも一様に息を飲んだのが分かった。
乱暴で少し淫らな歌詞が、鮮烈に脳裏へと鼓膜へと押し寄せるのに反し。ボーカルの声色の持つ、引き波のような引力に一瞬で碧は心を攫われた。その場に立ち竦み、ただ目を見張る──。
沸く生徒らに曲を織り成すバンドメンバー達のボルテージも上がる。一瞬、ボーカルの生徒が廊下側を向いた。その彼とふと目が合って───。
一瞬の間、静寂。相変わらずの荒々しい演奏の中、一際艶美な存在感を放っていた筈の歌声が色を失って……彼は教室の真ん中で立ち尽くす。
碧は、音楽室を背に駆け出していた。
「待て! ──碧…!!」
人気のない廊下。追い掛けてきた人物に捕まり、碧は息を切らす。相手も碧と同じように息を切らせ、項垂れていたその顔を上げた。
「お前……、何で…」
碧を追ってきた人物、バンドの中心で歌っていたのは───碧の兄だった。
「…何で、って──。それ、お兄ちゃんが言う??」
息を一つ飲んで、気不味げに蒼(そう)は頭を掻いた。
「……あああ、もう…」
「何で隠してたの…?」
それ以上、言葉の出てこない蒼に碧は素直に疑問をぶつけた。今までそんな話は兄から全く聞いた事がなかったから。
「…何でって。あー、うーん…、だってジャンルとかあれなバンドだったし……」
蒼は碧の顔を見れない様子だった。
「──お兄ちゃん。私ね…?」
「う、うん?」
碧は兄の顔を真っ直ぐに見上げた。
「私、あんな楽しそうなお兄ちゃんの姿、初めて見た」
「碧……」
観念したかのように笑って、「あーあ」と蒼は溜め息混じりにその場へとしゃがみ込んだ。
この日を期に、私の中の青い海には“音”が宿った。魂を震わすような、それでいて何処までも心地よい音の波。激しい潮騒のその下で深く潜る、私の孤独の時間──。
それは。私だけが知る、私が私になれる唯一の至福の時間なのである。
『青の海 ~孤独と静音~』
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