異世界百鬼夜行

木ノ戸

第1話

死にたいと思っていた。生きていくために必要なことは自分にとって辛いことばかりで、こんな辛い日々が自分が死ぬまで続くのだと。そう思ってしまった人間が解放されることを願うのはきっと自然なことだろう。

だから自分がいよいよ死ぬとなったその瞬間、襲ってきた恐怖と混乱はあまりに鮮明で強烈で、とても熱かった。

そう、熱かったのだ。自分に感情があったことを久しぶりに思い出したような。

別に普段の日常を無感情に生きてきたわけじゃない。笑いもすれば泣くこともある。ただ感情が長続きしないだけ。過ぎてしまえば辛い日常が感情を塗り潰してしまう。何に幸せを感じていたのか忘れそうになる。

だからこの熱がひどく懐かしく、大切なものだと思えた。たとえ死の恐怖なんて歓迎しない感情だとしても、自分はまだ生きているのだと思えた。

生きているんだ。自分はまだ。5秒にも満たない短い命だとしても、まだ。

「生きたい」

口にした願いが叶うことは無いだろう。だがそれでもよかった。自分の間違いに気づくことができた。

自分は死にたかったんじゃない。

「生きて、いたかったんだ」

視界が黒一色に塗り潰される。後悔も不安も感じる暇はなかった。唐突に、呆気なく自分の人生は終わった。

でも逆によかったのかもしれない。きっと今の自分は、笑っているだろうから。

「こりゃまた良い笑顔なことで。自分が死ぬってことわかってるのかね?」

誰かの声がした。呆れたような声音で、だけどどこか慈しむような。

「生きたいって言えるのは良いことだ。気づくのが遅すぎたとしてもね。さてと、そろそろ目を開けてもらえるかな?」

反射的に目を開いた。まず見えたのが小さな箱のようなもの。表面は緑色に発光していて濃くなったり薄くなったりと色合いを変えるそれはテレビで見たオーロラの光を思わせる。重力から解き放たれたかのようにゆるやかに回転しながら宙に浮いていた箱は自分が見ていることに気づいたかのようにぴたりと静止した。

「なるほど。君の目にはそう見えるのか」

箱の向こうにはどこまでも黒い空間が広がっていた。この箱が無ければ自分が目を開けていることにさえ気づかないだろう。

「質問をしてみようか。君は現状をどう捉えている?」

死ぬ寸前に見るという走馬灯か、あの暗転が気絶であって自分は既に死んでいるのか。だとすれはここは死後の世界だろうか。

「覚えている……いや、欠損ありか。死後の世界という認識でほぼ間違いないけど、あまり驚いていないようだ」

死んだらどうなるかを考えない人間はいないだろう。まさかこんな寂しい場所だとは思わなかったが。

「そう、寂しい場所だよここは。なにせ魂が行き着くところとして想定されていない。言わば箱庭の外だからね」

なるほど、自分は迷子のようなものらしい。

「迷子なんて優しい表現とは程遠い状況なんだけどね。魂の消滅なんてあってはならないことさ。どんな不手際があっても決して起こりえないことだ」

声音に怒りが混じる。相当危険な状況らしいことは理解できた。

「君がここにいることには原因があるんだろう。私が君を助けられたこともね」

自分はこの声の主、おそらくは神様に助けられたということらしい。

「神様、ね。間違ってはいないけど格としては底辺もいいところさ。こんな場所にいるってことがその証拠」

それはつまりこの神様も世界からなんらかの理由で外れてしまっている、ということだろうか。だとしても自分を助けてくれたことは紛れもない事実だ。感謝してもしきれない。

「なんとも素直な存在だね君は。では、長話もなんだし君にとって大事なこれからの話をしよう。君は再び世界の中に戻ることになるんだが、残念ながら元いた世界に戻ることはできない」

元の世界に戻れないとなれば、これから自分は異世界で生きることになるわけだ。

「そう、異世界転生だ。君の記憶を見せてもらったが君の世界ではよくある話だったようだね。中には人以外の存在に生まれ変わるものもあると。君がこれを聞いてショックを受ける心配はしなくても良さそうかな?」

神様の口振りからなんとなく察する。人としての生はどうやらここまで、ということのようだ。

「原因は私と君のどちらにもあるんだ。まず私は人が祈り求めた神様じゃない。邪神と呼ばれる存在でそれなのに魔に属する者も私を崇めることはない。誰からも忘れられた望まれない神、それが私」


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