第3話『これはどういうことですか?』

「――以上になります」


 顧問の話が終わり、開始の挨拶を終える。

 そして、次はプールならではの恒例行事。


 栄光のシャワーロード。

 プールに入る前の恒例行事であり、地獄の門でもある。

 シャワーという名だが、水量がおかしい。まるで豪雨だ。

 ここに立つといつも思う。何故、ここの水はこんなに冷たいのか、と。


「キャー!」


 プールサイドに響く女子の悲鳴。

 ジタバタと足踏みしながら通過して行く。

 男子はただ行くのだ。そう、心を無にして――。


「もー、早く行ってよ」

「わりぃ……?」


 愛海まなみの声だ。

 すぐさま前進しようと思ったのだが、背中の感触につい立ち止まってしまった。

 最初は手で触られた感覚だったが、接触しているが面積が明らかに増えている。

 マシュマロのような柔らかい感触に動揺していた。


「前見えなーい」


 いやなにこれ、どういう状況。これ、俺動いていいの?

 てか、本当に愛海まなみか? あの愛海が俺に触れてるのか?

 絶対、後で説教されるよねこれ。俺悪いの?


 愛海にグイグイと少しずつ押され、色んな意味での地獄は終了。

 お説教タイムが待ち受けてると思ったが、愛海はしれっと友人の元へ向かって行った。


 何はともあれ練習が始まる。

 前半の練習はレーン選択が自由だ。

 普段の俺は先輩達と一緒のレーンを選択している。

 それに、あの三人の誰かと一緒になると嫌味を言われる可能性があるため、自主的非難をしているというわけだ。

 そもそも、そんなことは気にしていないが、もし本当に迷惑だったら可哀そうだし、さり気なく立ち振る舞っている。

 だが、今日の練習は人数が少ない。


「じゃあ、前半は人数少ないけど、レーン決めは各々適当にしてねー」


 先生からの号令により、計十人がプールへ入った。

 俺は多分一人になる。そう薄々思っていた。

 合計6レーンはほぼ均等に埋まり、練習がスタートした。


「お願いします」

「ああ、よろしく」

「――って、え? どうしたの彩智さち。なんでここに」

「ヨーイ――」


 返答を待つ前にホイッスルが鳴った。

 俺は反射的に潜り、壁を蹴りスタートした。

 それからは、タイムサイクルとスピード差で会話する機会が無く、あっという間にウォーミングアップのメニューが終わった。

 スタート台付近のメニュー表に目を通し、次のメニュー確認をしていると、右側に柔らかい感触と「ぜえ、はあ」と荒い息遣いが聞こえてきた。


「ねえ……直輝、少しそのままで居てください」

「おう、大丈夫か? 立てる?」

「直輝って……普段からこんな辛い練習……してたんですね。全然追いつけなかった……」


 彩智さちはビード版に顎と腕を乗せ、水中で姿勢を低くしていた。

 この口ぶりだと、無理にスピードを上げていたようだが、まだ序盤なのに大丈夫なのだろうか。

 練習再開まで残り三分。


「なあ、大丈夫か?」

「はい……もう少しだけ体を貸してください」


 前半の練習も程無くして終わり、10分の中休憩も終わりを向かえた。

 後半は、途中から他の部員も合流し始めた。

 人数が増えて来たタイミングで彩智は別のレーンへと移動して行った。

 妥当な判断だ。後半からはレーン毎にタイム設定やセット数が異なってくる。

 俺も熱が出始め、もっと早くなりたい一心で、より一層練習に取り組んだ。




 本日の練習内容も無事終了。

 今日の鍵当番は、急遽休みになった人の代わりに、俺が担当になっていた。

 全員が着替え終わり、帰路に就いたことを確認。

 施錠も終わり、職員室へ向かおうとした時だった。


「お疲れ様」

「うおっビックリしたー。どうしたの、忘れ物?」


 角を曲がったところで美雪みゆきと鉢合わせた。

 不思議と動き出さない美雪みゆきにそのまま疑問をぶつけた。


「もしかして今日の部活で、俺何か迷惑かけた……?」

「いいえ、そんなことはなくてよ」

「それじゃあどうしたの?」

「そ、その……ご一緒に行きません……?」

「――なんだ、いいよ」


 どことなく目線を逸らされたが、断る理由もなく了承した。

 夕陽のせいか、美雪の頬は赤く染まっているように見えた。


 短い距離だが俺達は二人並んで歩いた。

 この時初めて美雪とちゃんと話した。

 珍しい話をしたわけではない。本当に些細な話。


 短い時間だった。

 鍵を返し終え校門を出たところで、テレビや漫画でしか見たことのない黒いリムジンが止まっていた。

 そして、横には黒いタキシードに身を包んだ一人の老爺ろうや


「では、本日はここでお暇致しますわ。また明日お会いしましょう」

「は、はい……また明日」


 俺は、自分が知らない別世界を目の前に気圧され、言葉遣いがうつっていた。

 美雪が車に乗る際、笑顔で手を振られたが、どう対応すれば良いかわからず棒立ちしていた。

 ここ数日で彼女の移り変わる様々な表情を初めて見た。

 品格のある御令嬢だとばかり思っていたが、俺らと同じ年相応の少女だった。



 彼女と別れ、一人帰路に就いてふと感じるものがあった。

 俺の心がさらりと揺れ動くのを――――。

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