第6話 拙い恋話

 次の日、やっぱり放課後、理科室へ行ってしまった。でも先生は居なくて、帰ろうか、少し待とうか迷ったけど、やっぱり待つことにした。

 職員会議かな? 一応、教科書とノート持って来ておいて良かった。


 それから、30分くらいして先生は帰ってきた

「あれ? どうしたの?」

「昨日の授業で質問があったから……来ちゃいました」

 そう言うと、「ちょっと待ってて」と言って、教員室からコーヒーが入ったカップを2個持ってきてくれた。

 あの日以降、はじめて2人きりで会話をする。本当は用も無いくせに急に来ちゃったけど、どんな会話からしたらいいかな。そんな事で頭をいっぱいにしていると。

「また満点取るつもりなのか……」

 先生は、ちょっと嬉しそうに言いながら、私の前にカップを置いた。すると一瞬で理科室じゃなくて、カフェになったみたい。秋の幻想的な夕日をバックに最高なシチュエーションだった。


「ね、先生、今日もデートみたい」

 自然に口からそんな言葉が出ていた。さっきまでのドギマギしていた自分が嘘みたいに相当気を許しているみたいだった。

「ふっ、いつも楽しそうでいいな」

 コーヒーを飲みながら、目を細めて笑った。また、子供扱いしてる。別にいいけど、どうしたらもっと先生に近づけるのだろう。

「私だって、悩みとかありますよ」

「ん? どんな?」

 カップを置いて目線を合わせてくれる。

「最近親がよく喧嘩してたりとか……」

 そう言うと、真剣に見つめる先生の眉尻が少しだけ下がって、両手で掴んでいたカップから手を離した。

「そっか、お前も頑張ってるんだな」

 そう言って、頭をポンポンって優しく撫でてくれるから、ちょっとだけ泣きそうになってしまった。


先生を好きすぎて、泣きそうになった。



「また、何かあったら相談して」

 そう言ってくれたけど、きっと同情してくれてるだけなんだろうな。先生の優しさとその理性はいつもセットになっていて、それを壊す術が見つからない。でも、下手なことをして逢えなくなるのはもっと嫌だった。この特別な時間を2人で過ごせただけでも喜べばいいのに、もっともっと欲張りになってしまうこの気持ちが、どうしようもなかった。

 今まで、何かをこんなに欲しいと思ったことなんて、無かったかもしれない。


 さっきまでの綺麗な夕日は完全に落ちて、薄暗い道を帰った。なんだかちょっと夢が覚めたみたいな感覚。頭には先生の温かい手の感触がまだ残っていた。


「おーい、唯」

 後ろからかすかに聞こえてきたのは聞き覚えのある声で、振り返ると蒼だった。

「なに? こんな時間まで何してたの?」

「え? 勉強よ勉強! 蒼は?」

「なにそれ、珍しいな! 俺はバンドの練習の帰り、ほら文化祭でもやるからさ、気合い入っちゃってんのよ」

 蒼は相変わらず楽しそうで、キラキラして見えた。

「頑張ったらなんか、腹減っちゃったなー」

「何か食べてく?」

 そんな流れで、ハンバーガーショップに入った。帰りに2人で居るのってかなり久しぶりで、ちょっとだけ話を聞いて欲しかったから尚更嬉しかった。


「へぇ、ついに好きな人できたんだ!」

「まぁ、そうだね…」

「えー? 何組? どんなやつ?」

「それはまだ秘密、もっと進展したら教えるよ」


 蒼にこの拙い恋話を聞いてもらった。好きな人の話って、なんでこんなにも楽しいんだろう。先生だということは絶対に言えないけど、このどうしようもない気持ちをただ、誰かに聞いて貰いたかった。それだけでも何か救われたような気がした。好きでいてもいいんだって、自分を肯定できた気がした。


 文化祭まで2週間を切ると、放課後残って準備をするクラスも出てきて、校内が一気に華やいだ。図書委員でも定番の出し物があって、古くなった本を売る、『古本市』というものが開かれる。今日はその本の選別作業があって、放課後図書室へ行った。

 文化祭関連で、最近広瀬くんと行動することが増えた気がする。普段静かな図書室が、今日ばかりは賑やかになって、楽しい時間はあっという間に過ぎた。


 帰り道、広瀬くんと校門を出ると、目の前のコンビニから丁度、蒼が出てきた。

「おーい! 蒼おつかれー!」

「おー唯、なにまた勉強?」

「いや、今日は委員会だよ」

そんな会話をしていたら、広瀬くんが私を通り越して「俺たちもコンビニ行こ」、そう言って、どんどん先に行ってしまった。蒼に「またねー」って手を振って、広瀬くんの後を追った。

 去り際に、蒼が「あいつ?」って聞いてきたから、ううんって小さく首を振ったけど、昨日の恋話の相手を完全に広瀬くんだと勘違いしているみたいだった。きちんと否定する間もなく、ニヤっとして蒼は行ってしまった。


「あの子仲良いよね? 友達?」

「あ、そう、幼馴染だよ」

「ふーん、そうなんだ」


 広瀬くんは、自分から質問してきたくせに興味なさそうに返すと、半分こするアイスを片方くれた。アイスを食べながら、駅までの道を2人で帰った。なんか、これもデートみたいだなってぼんやり思った。



 昼休み、先生に逢いたいなって思って廊下の窓から理科室を見ていた。気づくと最近いつもそうしてるかも……我ながら、ちょっと怖いな。それなのに暗幕は閉まったままで、今日も先生の顔見れないのかなって諦めかけたその時

「広瀬くんー」

 女の子の高い声が耳に響いた。

「ん? なに?」

「あのさ、文化祭なんだけどさー、私と一緒に回らない?」

 あっ、広瀬くん誘われてる…そう思って教室の中を見ると、広瀬くんと目が合ってしまった。

「あー、ごめん、他の人と約束しちゃったー」

「えーー、残念、遅かったかー」

 そう言って、他のクラスの女の子は残念そうに行ってしまった。ぜんぜん、いいのに……、広瀬くんって律儀なところあるから先約の私を優先してくれたのかな。


「さっきの、断っちゃって良かったの? 私なら別に一人でも大丈夫だよ?」

 そう声を掛けると、あからさまに機嫌が悪くなった気がした。

「なに? そっちこそ、無理して僕と回るなら別にいいけど」

 なんだろう…

「そういうつもりじゃ、ないんだけどな……」

 急に不機嫌になるし、やっぱり広瀬くんって何考えてるのかさっぱり分からないや。

 

 今日は先生にも逢えないし、広瀬くんは不機嫌だし、散々な1日だったな。家に帰って誰かと話したい気分だったのに、母親は真剣な顔でパソコンに向かっていて話しかけられない雰囲気だったし、父親はやっぱり家に居なかった。

 土日は行く当てもなくて、家に閉じこもっていた。こんなにつまらない時間を無駄に過ごしているけど、先生は今、何をしているのだろう。


 ふと、気になって


『先生、今何してますか? 文化祭、たこ焼き屋やるんで来てください!』

 そうメッセージを打ち込むと、送信ボタンを押した。すると、思いの外すぐに着信音が鳴った。


『今日は朝から溜まった洗濯物を干して、掃除をしてるよ。たこ焼き、楽しみにしてるね。』


 先生が慌ただしく家事をする姿を想像すると、ちょっとおかしくて笑ってしまった。先生の家かぁ、行ってみたいな……。そんな、叶うはずもない欲がふつふつと湧き上がって、少し切なくなった。


 もし…もし先生が恋人だったら、逢いたい時に逢いに行って寂しかったら抱きしめて貰えるのにな。テレビの音がかき消されるように何も聞こえなくなって、スマホの画面を見つめたまま。


『先生、好きです』


 そう打ち込んでみたけど、すぐに消してしまった。

それだけでもハラハラして、とても心臓に悪い気がした。



 それから、バタバタと1週間は過ぎ、金曜の午後、廊下からぼんやり窓の外を見ているとおもむろに先生の後ろ姿が見えた。


――こっち見て!


 ちょっと寝癖がついている後頭部に、そう念じると、フワッとこちらを振り返った。2階から3階を見上げる形で、小さく手を振ってみる。尾っぽを振っている犬みたいだな、私。でも、先生はそんな私に気付いて手を振り返してくれた。

 

 たまたまの通りすがり、を装いたかったけど、余裕がなさすぎて無理。今日も逢えないと思っていたから、飛び上がるほど嬉しかった。


「ねえ、そろそろ行くよ」

 突然、後ろから声がして、現実に引き戻される。

「買い出し、もう行くよ?」

 振り返ると広瀬くんがカバンを持って立っていた。今の、見られちゃったかな? 変に思わないよね? 少し心配だったけど、どんどん行ってしまう背中を必死に追いかけて、同じ班のメンバー6人で買い出しに出かけた。


 業務用の大容量の食材が並ぶスーパーと容器などが大量に買える問屋とで2手に分かれ買い付けをしてから、また学校に戻って確認するという流れにした。

「じゃあ、スーパーの方は学校まで運んで貰えるから、俺たち2人で行こう」

 そう言って、広瀬くんと私で食材の買い出しを担当した。事前にリストアップしていたおかけで、買い出しは順調に進んだ。粉類や野菜、紅生姜やその他の材料を買って私たちは学校へ戻った。

「ほんと、午後の授業なくて良かったねー」

「うん、そうだね」

 ちょっと今日は口数が少ない広瀬くん。学校に着くと、スーパーからの配達を待ってから帰った。

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