第4話 縮まる距離

 それから、補習最終日になった。

 

 今日が終われば、あと1週間ちょっと夏休みが続いて、新学期まで先生に逢えないのか。

「はい、始め!」

 チャイムが鳴って、先生の号令で最後のテストが始まった。

 問題を解き進めるとともに、今までの補習のおかげなのか、どの問題も簡単に思えて、満点がとれそうな予感がした。問題を全て解き終えてから、油断せずにちゃんと見直して、それから前を向く……

 いつだったか、少し前に見たのと同じ光景……デジャヴかと思うくらい同じに。先生と目が合った……。

 分かっていたから、あまりドキドキはしなくて、今度は私も同じように微笑み返していた。

 

 テストが終わってから、いつも通り理科室へ行くと、先生は相変わらず同じ席でお弁当を食べていて、もう授業は全て終わったのに、私に何も聞かず「おつかれ」と声をかけてくれた。いつも通りの先生だった。

「ねえ先生、私がもし満点取ったらどうする?」

「ふふっ、そんなに手ごたえあった?」

「どうだろ、わかんないけど」

 本当はすごく自信があったのに、先生からの答えが気になって自信がないフリをした。


「何して欲しいの?」


 ストレートに届くその声の先で、先生が真っ直ぐ私を見つめていた。

 自分から質問したくせに、自分がどうしたいかなんて考えてもいなくて、ただどんな答えが返ってくるのだろうという好奇心だけで、いざ聞かれると困ってしまった。

 どうしたい? 何がしたい? 私……。時間が止まったような先生の眼差しの先で、回らない頭をフル回転させながら、再び先生の目を見た。


「先生とデート、したいな……」

 

 語尾が消えそうなくらいの音量で、我ながら大胆なことを口走ってしまったと瞬時に自覚した。でも、もう撤回はできない。

 私の唐突なお願いを聞いて、何て答えるんだろう。先生は、ちょっと面食らった顔をして、次の瞬間、目を細めて笑った。


「うん、いいよ、分かった」


 どういうわけか、すんなりと受け入れてくれたみたいだった。想像していたのは、そんな答えじゃなくて、先生っぽいつまらない返事をされるのかと思っていたから、それから何て言葉を返していいのか分からなくて、なかなか声にならなかった。

 ほんとにいいの? 先生の目を見つめたまま、時間が止まってしまった。



 家に帰って、湯船に浸かる。テストの点数が気になって気になって仕方がなかった。テストの答案は、夏休み明けにホームルームで担任から返されることになっていた。


 デート、どこ行こう……


 考え始めると顔がほころんでしまう。まだ満点って決まった訳じゃないのに……。

 早とちりして後でガッカリしたくないから、もう考えるのはやめようかな。でも、もし行けるとしたら……。そんな風に、頭の中で何度もその一連を繰り返していた。

 お風呂から上がって部屋に戻ると、ふと、広瀬くんが貸してくれた本が目に留まった。まず先に残っている宿題を片付けようとしていたのに、パラパラと読んでみると初めの冒頭分で引き込まれるような本当に面白い本で、一気に読み終えてしまった。

 今の私には有り難いくらい、引き込まれて夢中になれた。


 それから、残りの宿題に追われるように過ごしていると、あっという間に1週間は過ぎた。



 夏休み明けの登校日、小麦色した生徒たちが、駅から流れるようにして学校へ向かう。

 今日は先生に逢えるかな? やっぱり期待している自分がいた。


「おはよ」

 後ろから声をかけられて、振り返ると広瀬くんだった。

「おはよう……、そうだ! 本面白かったよ、ありがとう」

「そう? なら良かった」

 微笑みながらそう言う広瀬くんを見て、今日もご機嫌だったから嬉しくて、話しながら教室まで一緒に行った。


「もう夏休みは終わり! 秋はいろんな行事もあるし、気を引き締めるように!」

 朝のホームルームで、担任の小林先生から喝を入れられたけど、テストの答案が気になって、私には全く響かなかった。


「浅見ー!ちょっと取りに来て」

 そう呼ばれると、固唾を飲んで答案を受け取った。このクラスでは、補習は私だけだったから一応、周りに分からないようにしてくれてるんだ、有り難いな。


「よく、頑張ったな」

 手渡すときに、不意にそんな言葉をかけられて、一気に目が覚めたような感覚だった。

 そして、気になって席に着く前に裏返した。


――100点


 答案の右上に堂々と書かれた赤い文字がはっきりと目に映った。やったーー! 心の中で、両手を挙げてジャンプしていた。傍から見ても違和感がないように、必死に喜びを堪えたけど、緩んだ表情は隠せなかったみたい。


「なに?どうしたの?」

 気まぐれで興味を持ってくれたのであろう広瀬くんに、思わず答案を見せびらかせた。

「ジャーーーン!」

「おっ、凄いじゃん」

 そう言うと、広瀬くんまで嬉しそうに笑ってくれた。初登校日初日は、午前中のホームルームが終わると宿題を提出して下校になる。チャイムが鳴ると、急いでカバンを持って走り出していた。

 夏休みは終わってしまったけど、変わらずあの席に先生が居るような気がして、先生に会いたくて、真っ直ぐと走り出した。


理科室の前に来ると、コンコンと一応ノックしてみる。だけど、私の勢いは止まらなくて、そのままドアを開けた。

「あ、やっぱり来た」

 そう言うと、フワッとした花のような笑顔で迎えてくれた。

「先生、満点だったよ!」

「うん、良く頑張ったね」

 目を細めて笑うと、ゆるりとした空気に包まれた。でも、デートのこと、覚えてるのかな……。なんて切り出したら良いのか一瞬考えていたら

「どこ行きたいんだっけ? 考えた?」

 優しく誘導してくれた。ドキドキとした鼓動が止まらないのと、嬉しすぎて涙が出そうで、思わず両手で顔を隠した。それから、ううんって首を横に振ると

「じゃあ、考えといて、んで、決まったら教えて」

 そう言って、メモ用紙にさらさらとアドレスを書いてくれた。先生との距離が少しずつ少しずつ縮まって、今は誰よりも一番近いって信じたい。このまま、好きが溢れていって、先生の気持ちまで欲しくなっていったら、もっともっと苦しくなって、もう今のようには戻れなくなるだろう。

 だから、デートしたら良い思い出にして、また普通の先生と生徒に戻るのがいいのかな……。そんな先のことまで考えてしまった。悲しいけど、それが現実。そう自分に言い聞かせて黙っていると。


「言っとくけど、秘密のデートだからね」


 先生の言葉に、顔が紅潮するのが分かった。


 夜はすっかり涼しくて、秋を感じるのに、やっぱり今夜はなかなか寝付けなかった。

 どこ、行こう……秘密のデートか……

 先生と二人だけの秘密を共有することになるなんて、なんだか悪いことをしているみたいに、心が繊細に揺れ動く。別に悪いことなんてしてないのにな。ただ、好きで、好きが日に日に増していって、怖いだけ。先生から見たらまだ子供だし、受け入れて貰えるなんて思ってないよ。

 あぁ、どこへ行こう。自分でデートプランなんて考えたこともなくて、大人はこういう時、どこでデートするんだろう、先生が決めてくれないかなぁとぼんやりしてしまう。


 そして次の日の昼に、初めて先生にメールをした。

『ドライブに連れてってください』と。返信が来るまで、ずっとドキドキしながら待っていると、やっと夕方になって返信が来た。

『了解。土曜日でいいかな? また連絡します。』

 さっぱりとした返信が返ってきた。土曜日か、何着て行こう……そう思うと居ても立っても居られなくなって、すぐにクローゼットの中の全ての洋服を引っ張り出した。大人っぽい格好で、少しでも先生に近づきたい一心だった。そして、二人きりで過ごす1日を想像したら、結局その日もなかなか寝付けなかった。

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