凶暴な悪魔は、うっかりシスターの処女を護る為に右往左往する

東紀まゆか

凶暴な悪魔は、うっかりシスターの処女を護る為に右往左往する

「きゃぁあああああああ!」

「ひえぇええええええええ!」


 夜の山道に、少年と少女の悲鳴がこだました。


 蛮刀を手にした山賊に追われる、聖職者の恰好をして、右手に杖(ワンド)を持った少女に。

 まるで未開人の様に、腰ミノ一丁で、髪がボサボサの少年は言った。


「ミリア!早く俺の封印を解け!」

「でも、そしたらベル君、みんな殺しちゃうでしょぉ!」

「この馬鹿シスター!自分が殺されそうな時に、なに相手の心配してんだ!」


 ベルと呼ばれた少年の目の前で。シスター・ミリアは躓いて転んだ。

 慌てて起こそうとするベルだが。

 あっという間に、追いかけて来た山賊に囲まれる。


「やっと追いついたぞ、ガキ共が」

「手間取らせやがって」


 山賊たちの目は、ミリアが持つワンドにはまっている、大きな宝石に向けられた。

 深呼吸すると、ベルはもう一度、ミリアに言った。


「これが最後だぞ。俺の封印を解け」

「絶対に殺さない?手足を全部折って『ほら生きてる』とか無しだよ」

「殺さねぇから、早くしろ!グズグズしてると、こいつらに純潔を奪われるぞ!」

「シスターの処女をいただけるなんて、たまらねぇぜ。その後、娼館に叩き売りだぁ。男の方は、奴隷として売ってやるよ」


 山賊から声が飛び、下卑た笑いが響いた。

 倒れたまま、ミリアはワンドを握りしめ、呪文の詠唱を始めた。


「中央教会のシスター・ミリアが命ずる。闇より出でし、醜き貪欲な忌むべき汚れた唾棄すべき悪魔」


 人の事を散々に言う、ひでぇ呪文だな、とベルはいつも思う。


「そして我が忠実なる下僕、ベルフェゴルの封印を、ここに解かん」

「おい、何をゴチャゴチャ言ってんだ」 


 山賊の一人が、ベルの肩に手をかけた時。

 ベルの首にはまっていた金属製の首輪が、パキン、と音を立てて外れ、地に落ちた。


「来た……」


 ポツリ、と呟くベルの肩に手を置いていた山賊は、悲鳴を上げた。

「あっつぅ!なんだコイツの体、凄ぇ熱いぞ!」


 驚く山賊たちの目の前で。


「来た来た来た、キターーーーーーーー!」


 ザワザワと髪の毛をうごめかせながら。

 ベルの体が風船の様に膨れ上がっていく。


 頭皮を破って二本の角が飛び出し、狼の様に突き出た鼻の下に裂けた口からは、無数の牙が姿を覗かせた。


 華奢な少年から、本来の姿に戻った悪魔ベルフェゴルは、地の底から湧き出る様な雄叫びを上げて、山賊たちに襲い掛かった。



「ご連絡いただければ迎えを出しましたのに……。それにしても、これだけの山賊を、シスターお一人で?」

「はい、神の心を説いたら、皆さん改心して下さいました」


 翌朝。

 近くのデュアマンテの街から、迎えに来てくれた司祭の前で。

 シスター・ミリアは得意げに言った。


「それにしては、皆、ボロボロの傷だらけの様な……」


 司祭が連れて来た騎士に、山賊たちは引っ立てられていく。

 近くで、そっぽを向いているベルを見たデュアマンテの司祭は、眉をひそめた。


「なるほど。中央教会では、悪魔の使役などという野蛮な事を、まだ行っているのですか」

「野蛮はどっちだよ」


 司祭と目を合わさず、ベルは答えた。


「あんたら地方の司祭が、教会の権威を笠に着て、好き勝手やってるって言うから、そこのお嬢さんが視察に来たんだぜ」

「こっ、こら、ベル君!」


 慌てるミリアに構わず、司祭は微笑んで言った。


「大丈夫ですよ。一部の教会が堕落している事は、私の耳にも入っています。ここデュアマンテでは、そんな事はありません」


 司祭の案内で、ミリアとベルはデュアマンテの街に入った。

 活気のある街で、人々は皆、司祭を見ると親し気に挨拶した。


「平和そうで、いい街じゃない」


 そういうミリアに対し、ベルはポツンと言った。


「街が本当の顔を見せるのは、夜の帳が降りてからだぜ」



俺には何もなかった。

天地が分かれ、世界が出来た時から、俺は一人ぼっちだった。


やがて人間という生き物が現れ、群れて暮らしだしたが。

奴らは俺を見ると、恐れおののいて逃げ、罵声を浴びせた。


やがて奴らは、神という物を創り出し、俺をその対極にいる悪魔だと言い出した。


愚かな連中だ。

俺の方が、ずっと前からいるのに。


人間はどんどん増え、どんどん群れて行ったから。

俺は見つからない様に、山の奥へ奥へと逃げていく。


俺は一人だった。

俺には何もなかった。


そう、あの日までは。


「この子を、お願い」


 山道で、行き倒れになっている旅の親子を見つけるまでは。

 虫の息の母親は、俺を見ても恐れず、残された力で、小さな赤ん坊を差し出した。


「この子だけでも、どうか、助けて」


 それを最後に、こと切れた母親から。

 赤ん坊を託され、俺は戸惑った。


 あの母親は、自分の命より、赤ん坊の命を優先した。

 生きる物は、全て自分の命が第一のはずだ。

 人間は、自分より、他の命を優先する事が出来るのか?


 その謎が知りたくて。

 俺は赤ん坊を抱いて山を下り、街へ向かった。


 長年、人間を観察していて、奴らは困ると、教会という所へ行くと知っていた。

 だから赤ん坊を教会の前に置いて、帰ろうとしたが。

 夜中にも関わらず、見つかってしまった。


 火がたかれ、武器を手にした人々が遠巻きについてくる中を、俺は教会に向かった。

 教会でも、坊主どもが、効きもしない祈りや呪いを懸命に唱えていたが。

 一番偉そうに見えるジジイが、ニコニコと笑いながら。

 俺を恐れもせず、赤ん坊を受け取りながら言った。


「一人は飽きたか?」


 心の中を見透かされたと思い、俺は驚いた。


「まず、赤ん坊を助けてくれた礼を言う。長く生きていると、お前の様な者が、たまーに訪ねて来る。どうせ永遠に生きるのじゃろ。数十年だけ、一人を止めてみんか?」


 そして俺は。

 守護天使ならぬ、守護悪魔になった。


 あの時の赤ん坊……シスター・ミリアの守護悪魔に。


 俺はもう、一人じゃない。


 俺には、ミリアしかいないんだ。



 まどろんでいたベルは目を覚ました。

 宿屋の床に座り込んで休んでいたら、旅の疲れから眠ってしまった。


 随分、昔の夢を見たぜ……。

 ミリアは、この街の教会の開いた歓迎パーティに行っていた。

「ベル君もおいでよ」と言われたが。

 守護悪魔という風習の無いこの街では、嫌われ者になるであろうとベルは辞退した。


 それに大事な仕事がある。

 この街の本性を、それが現れる夜のうちに探っておかないと。

 ベルは窓から屋根に上がると、夜の街へと走り出した。



 こいつは、わかりやす過ぎだろ……。


 デュアマンテの教会の屋根に乗り、天窓から室内を見たベルは思った。

 典型的な、堕落した教会だ。


 室内には、麻薬効果がある香が焚き染められ。

 司祭たちが、半裸の女たちを侍らせて酒を飲んでいた。


 ミリアは!


 部屋の隅で壁にもたれかかっているミリアは、いつものシスター服だったので、ベルは安堵した。

 大方、強い酒を飲まされ酔いつぶれているのだろう。


 だが彼女のワンドは、最初に会った、いけすかない司祭の手にあった。

 左手にミリアのワンドを持ち、右手の盃で酒を飲みながら、司祭は言った。


「ネズミが一匹、入り込みましたな」


 こいつ、勘が鋭い。

 天窓を破り、ベルは司祭の前に飛び降りた。


「これはこれは。悪魔くん。このワンドが無いと、ただの子供でしたっけ」


 ミリアのワンドを振りかざし、司祭は得意げに言う。

 それを知っているという事は……。こいつ、あの山賊たちとも通じてやがるな。


 得意げな司祭に、ベルは言い返した。


「お前らは、いつもこうだ。弱き者から集めた献金を着服し、孤児院の子供を売り飛ばし、女を薬漬けにして娼婦にする。神の名の下に私腹を肥やす奴を、俺とミリアは、腐るほど見て来た」

「悪魔にお説教されてしまいましたよ。こいつは傑作だ」


 司祭の言葉に。麻薬の煙に酔った周囲の連中も、下卑た笑い声をあげた。

 ベルはカッとなった。


「俺は悪魔一匹、長い時を生きて来た。だがお前らみたいに、口では綺麗ごとを言って、弱い者から巻き上げる。そんな汚いマネはしねぇ!」


 握りしめた拳を顔の前にかざし、ベルは言った。


「悪魔には悪魔の意地がある!昼は神の言葉を語り、夜に掌を返す様な事はしないぜ!」

「ご高説ごもっともですが、これがないと、君は無力でしょう?」


 ワンドを見せびらかす司祭を睨みつけたまま、背後のミリアにベルは叫んだ。


「ミリア、目を覚ませ!」

「う~ん、もうちょっとぉ~」

「ミリア、お前ションベン漏らしてるぞ!」


 幼少期に言われ続けた言葉に、ミリアは慌てて飛び起きた。


「えっ、ウソ!やだ!って……あれ?」


 周囲を見渡したミリアは、破廉恥極まる状況を見て、全てを理解したのか、赤面しながら言っった。


「今度の街は、まともだと思ったんだけどなぁ……。ベル君、またいつものアレ?」

「いつものアレだよ。お前、やすやすと引っかかってんじゃねぇよ」


 フラフラと、千鳥足で歩み寄って来たミリアは、ベルの横に立ち、司祭に向かって言った。


「え~っと、うぇっぷ。中央教会の視察官として命じます。悔い改めて、教区長に自首しなさい」


 ワンドを手に、司祭は笑った。


「あのまま山賊に捕まっていれば、命は助かったろうに。中央教会には、君たちは山中で殺された、と報告しておきます」


 ワラワラと、斧や棍棒を手にした男たちがベルとミリアを取り囲んだ。


「無敵の悪魔ベルフェゴルも、これがなければ役に立ちまい」


 ワンドを手に、得意げに言う司祭に向かい。

 ミリアが、あっけらかんと言った。


「あ、それ、関係ない」

「え?」

「みんなベル君を襲う人は、それを狙うから」


 胸元に下げたペンダントを手にし、ミリアは言った。


「ベル君の封印を解くのは、こっち」

「な、なんだと」


 狼狽える司祭の前で。


 ミリアは祈る様に、ペンダントを両手で握りしめ、言った。


「えーと、ベル君の封印を解きます」


 パキン、とベルの首輪が外れ、床に落ちた。


「おっ、お前、いつもの悪口だらけの呪文はなんだったんだよ……来た来た来たキターーーー!」


 ベルの絶叫と物が破壊される音、悪人たちの悲鳴が夜の街に響き渡った。



「後片付け隊が今日、到着だって。連中を教区長に引き渡して、次の司祭が就任するって」

「それってもう、結果がわかってて、近くに待機してたって事だよな……」


 翌日。ミリアとベルは、デュアマンテを出発し、次の視察地に向かっていた。


「お前もう、簡単に敵に飲まされるなよ」

「なぁに?心配してくれるの?ベル君」


 当たり前だろ、と言いかけた言葉を、ベルは飲み込んだ。


「お前の事なんかどうでもいい。作戦実行に邪魔なんだよ」

「え~。冷たいなぁベル君」


 むくれるミリアの横顔を見て、ベルは思った。

 俺はもう、一人じゃない。

 少なくとも、あと数十年は、お前がいる。

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