冬に来た幽霊

寺音

問題編

 文明が発達した現代には数々の暖房器具が溢れている。それでも日本の冬と言えば、炬燵。更に言えば炬燵で蜜柑と言うイメージが定着している。

「しかし、今夜は蜜柑ではなく炬燵でアイスだ! 寒い冬に敢えて身体を冷やす物を食らうと言う、人間にしかできない究極の贅沢」

 リビングの炬燵で銀之園哲ぎんのそのさとるは一人、大声で言い放つ。右手にスプーン左手にカップアイスと言う、今まさにそれに食らいつかんとする瞬間だった。


 土曜の夜八時。彼の両親は結婚記念日の為夫婦水入らずでデート中である。一人残された彼は、彼なりの贅沢を楽しんでいた。

「冬に出るアイスって、濃厚で美味いんだよなあ」

 近所のコンビニで発見した冬季限定チョコレートアイス。高校生には少々痛い金額だったが、周囲の評判によるとお値段以上の価値があるらしい。紙の蓋を開け、内蓋のビニールを剥がそうと指をかけた。


 その時、彼のスマートフォンが着信を知らせて高らかに鳴り響く。

「……前にもあったな、こんなこと」

 炬燵の天板に置いていたそれを、首を少し伸ばして確認する。案の定、アイツの名前が表示されていた。毎回この様にタイミング悪く電話をかけて来られると、実は狙っているのではないかと思えてしまう。


 銀之園は蓋の上にスプーンを乗せ、スマートフォンを耳に当てた。

金田一太郎かねだいちたろう君。今回の用件は何だ? 俺はデザートタイムで忙しいんけど」

 電話の主は彼の従兄弟、金田一太郎だった。某名探偵と同じ名前に見せかけてそうではない。銀之園はそこを残念に思っている。

『デザートタイムってことは、今大丈夫って事だな⁉︎ 聞いてくれ、俺、見ちゃったかもしれないんだ』


 いつもの勢いは何処へやら。金田は内緒話でもするかの様に、次第に声を小さくしていった。この従兄弟は、トラブルメーカー故に様々な問題を引き起こしているのだが、この様な話の出だしは珍しい。

「見ちゃったって、何を?」

だよ! ゆ、う、れ、い!』

 幽霊と言うのは、恨めしやナントカと化けて出るアレのことか。銀之園は思わず壁掛けのカレンダーに目を遣った。

「こんな真冬に? 十二月だぞ」

「いや、多分幽霊に生きてる人間の季節感とかないから! ああ、呪い殺されたりしたらどうしよう⁉︎ まだ冬季限定のチョコアイスも食べてないのに」

「お前のこの世への未練はその程度か⁉︎ 良いから落ち着け。どこで何を見たか、冷静に説明しろ」

 電話口の金田を宥めながら、彼はふと自分の手元に視線を落とした。もしかすると、金田の未練のチョコアイスとはこれのことだろうか。


『そ、そうだよな。悪い悪い、それを話そうと思って電話したんだった』

 金田は若干いつもの調子を取り戻した様だった。長い話になりそうだ。銀之園は通話を繋げたまま立ち上がり、泣く泣くチョコアイスを冷凍庫へ戻す。


『今日の夕方五時ごろかな? 学校の誰もいないはずの理科室で男子生徒っぽい人影を見て、友達とすぐに駆けつけてみたけど、そこには誰もいなかったんだ!』

 今日は元々補習の為に登校しており、その後自習室として開放されていた理科室で友人の松川君と宿題をしていたそうだ。

「それで幽霊だと断言する根拠は? 普通、お前達が駆けつける前に教室を出ただけだろ?」

『それが出来ないんだよ。理科室は俺たちが外へ出る時にちゃんと鍵かけたし、内側からは開かないようになってたから……。生徒が持ち出せる鍵は一つしかないはずだし、その鍵は俺たちが理科室に入った時からずっと、黒板横の定位置にかけてあった』

「ミステリー小説とかでよくある、密室と言うヤツか」

 ミステリー好きとしては少し心躍るモノがある。

「隠れられるような場所とかなかったのか? 教室なら机の下とか、掃除用具入れの中とか」

『机の下は隠れていてもすぐに分かるし、掃除用具入れはちゃんと開けて調べてみたけど誰もいなかった! 俺、ちゃんと確かめたからな』

 金田は少し得意げに言った。数秒ほど間が合って、耳元のスマートフォンが震える。

『実際見てもらった方が早いよな。俺、理科室の写真撮ったから送った』

「何で幽霊が出たかもしれない所の写真なんか撮ったんだよ」

『心霊写真的に何か写るかなーって、怖いもの見たさみたいな。俺には何も見えなかったけど、哲は何か見えるか?』

 怖がっているかと思いきや、意外と余裕があるのだろうか。

「古来より銀は魔除けの一種だったからな、銀の名を持つ俺はお前以上に何も見えないかもしれない」

 などと冗談を言いつつ、銀之園は送られてきた写真を表示した。


 それは理科室全体を写した写真だった。黒板側を前とするなら、後ろ側の扉から入った時に撮影した物だろう。

 電気は付いているものの、薄暗い夕方の理科室は本当に何か見てはいけないモノが見えて来そうだ。


 写真の一番奥側に大きな黒板と教卓があり、実験などをする為の机が六つ鎮座している。椅子は丸椅子で教室の隅に積み上げられているのが見てとれた。

 机の下など隠れるスペースはあるが、見通しが良い為誰かが居ればすぐに分かるだろう。窓際には大き目の水槽が二つ置かれていた。


『何もないのに不気味だよなぁ。理科室がある校舎だけ建て替え前で古くてさ、前側の扉が故障して開かなくなってたんだ。ついでに後ろの扉は、元々内側からは開け閉めできない構造になってる』

「一応確認だけど、壊れてたって言う前の扉が実は使えたってことはないな?」

 ナイナイと金田は即否定した。

『俺が見た時には、鍵穴が内側からガムテープで塞がれてた。ご丁寧に故障中って黒マジックで上から書かれてな。流石にそれを外側からもう一度貼り直すのは不可能だろ?』


「なあ、黒板の横に扉があるけど、これって別の教室と繋がってるのか?」

 銀之園は指で写真を拡大しながら尋ねた。向かって右側の黒板横の壁に、開け放たれたドアが見える。

『ああ、理科準備室と繋がってるんだ。……お前、そこに誰が隠れてたんじゃないかって言うつもりだろ? 残念だけど、そこも松川と探したけど誰もいなかったんだよな』

「いや、準備室には準備室の扉があるだろ? 鍵だってあるだろうし、そこから出たんじゃないのか?」

 当然の疑問だったが、金田は違うと一蹴した。

『もちろんドアはあるし、鍵もちゃんと開け閉めできる。だけどウチの学校体育館倉庫の大掃除中で、今理科準備室前の廊下に倉庫から色んな物を出してるんだよ。それで倉庫から担ぎ出された物で出入り口は完全に塞がれてた』

 写真もあるぞ、と言う金田の一言の後に、再びスマートフォンが震えた。

 見るとご丁寧に廊下や理科準備室の写真、理科室の後方が写った写真なども送られて来ていた。


 廊下の写真には、理科準備室前に体育祭と書いてある看板や跳び箱、三角コーンなどが山積みになっている様子が写っている。

『俺も体育館倉庫の大掃除手伝ってるんだけど、基本的に重たい物ばっかりだから簡単に移動させられないと思う。看板動かしたのも五人がかりだったし』


 次に銀之園は準備室の写真を確認する。そこには様々な薬品や実験器具の入った棚や人体模型などが写っていた。

 ちなみにがっしりとした男子生徒の後ろ姿も写り込んでいるが。

『ああ、これは幽霊とかじゃなくてちゃんと見えてる、これが松川だよ。割とガタイが良いのに蚊のくしゃみ並に気が小さくてさあ。最初理科室に戻ってきた時、水槽に映り込んだ自分を見ただけで飛び上がっちゃって! 恐怖でちょっと浮く人間なんて初めて見た』

 金田の雑談を聞き流しながら、銀之園は最後に理科室の後方を写した写真を表示した。

 理科室の側面や後方にロッカーはあるが小さそうであるし、人が入れるとすれば最初に挙げた掃除用具入れくらいだ。金田達が出入りしたと言う扉の近くに設置されている。


 幽霊か悪戯か。結論付けるには、まだ分からないことが多すぎる。

「一太郎。もう少し詳しくその時のことを話せるか?」

『おう、良いぜ!』

 威勢よく応えた金田は、記憶を辿るように話し始めた。


『えっと、五時ごろまで俺と松川は理科室で課題をやってたんだ。俺たち以外誰もいなかったから、荷物をまとめて教室を出てちゃんと鍵を閉めた。それで鍵を返しに職員室へ向かって、ちょうど職員室前の廊下で理科室に電気が付いてることに気づいた。更によくよく確認したら、理科室の中に男子生徒らしき姿が見えたんだ』

 職員室がある廊下と理科室がある廊下は、中庭を挟んでちょうど向かい合わせなんだよ。金田はそう補足した。


『急いで理科室に戻って鍵を開けて中に入ったけど、そこには誰もいなかった。人の姿に気づいてから戻ってくるまでは、ほんの数分だったと思う。ひょっとして準備室にいるのかもと思って、すぐに二人で準備室に入って見たけど同じく人の気配はなし。教卓の影とか机の下とかロッカーとか、掃除用具入れとか探したけど誰もいなかった。俺は大丈夫だったけど松川が顔面蒼白になってきて——理科室を飛び出て鍵かけて逃げ帰ってきた』

 なるほど、と銀之園は微かに呟いた。


『ちなみに理科室を出る時に、準備室に人がいるかは確認しなかったのか?』

「うん、確かめてないな。俺たちが理科室に入ってから出るまで理科室と準備室を繋ぐ扉は閉まってたし。だから俺たちも理科室に人影を見た時は、準備室にいた人を知らずに閉じ込めたかもと思ったんだ」


 そこでふと思いついたように、金田が呟いた。

『そう言えば、帰りに廊下で部長に会ったな』

「部長って……お前が所属しているミステリー研究会の?」

 話だけはよく聞いていた。結構、癖のある人物の様だったが。

『そうそう。金田君こんな遅くまで勉強とは感心だね、どうしたんだ顔色が幽霊のようだぞ早く帰って休めとか言って。哲でも謎が解けなかったら、次回のミス研でこのこと話してみようかな』

「あー」

 銀之園はその発言を聞いて、額を抑え項垂れた。呆れた行動だ。だが、頭の中は スッキリとしている。そして、金田にこう言った。


「一太郎、お前ミス研で話すとか言ってるけどな。これ——ホラーでもミステリーでも何でもないぞ」

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