§ 1-6 歪んだ人生



 鳴無おとなしれんの人生のゆがみ。それは小学2年生のときの父の死から始まった。

 警察官であった父は「おれの仕事はみんなを守ることなんだぞ」と誇らしく語っていた。そんな父のことを、蓮は正義のヒーローのように思っていた。父のようになりたいという気持ちから、頼み込んで一緒に剣道クラブにも行き始めた。


 ある日、父の務める交番に、母からのお弁当を届けに行ったときだった。そのときは父と蓮しかいなかった交番に、あの男が訪ねてきた。

 シリアルキラー、加東誠一。当時24歳のこの男は「警察なんかにびびってないことを見せつけたかった」という理由だけで交番に訪れたと後に証言している。


 交番に入ってきた加東は、道をたずねるフリをして様子をうかがった。そのとき、近くに座っていた蓮のことを見つけナイフを出し、人質にした。


「おい! こいつがぶっ殺されたくなければ、銃を渡せ!」


 そう言うと、父はこちらに視線を送り、「大丈夫だ」という柔和にゅうわな目元をしたのは印象的だった。拳銃を受けとった加東は、その拳銃を父に向けると躊躇ちゅうちょせず引き金を引き、父の頭を撃ち抜いた。血飛沫が飛散し、ただ物が倒れるように崩れ落ちた。


「すげえな、銃は! あはは。すげえよ」


 加東はそれに満足したのか、人質にしていた俺のことを放し、まだ熱を帯びた拳銃を机に置き、笑いながら交番を出て行った。


 瞬く間の出来事だった。そのときの蓮は、何一つ起きた事態を理解できず、倒れた父の姿を放心しながら視界に留めていた。



 それからは父の代わりに母を守ると誓い、父との思い出がある剣道を続けた。勉強にも真面目に取り組んだ。父の最後の姿を、無意識に忘れて。


 中学に入学しても剣道部に入り、真面目な性格と実力から部長にも選ばれた。同じ剣道部で女子の部長だった弥代やしろりんに、ほのかに恋心を持つようになったのもこの時期だ。彼女は黒髪の長い髪で、しっかりした部長というより、愛嬌ある振る舞いでみんなに好かれる子だった。今思えば、あの頃は彼女と両想いだったんだろう。彼女の1言1言に照れながら返事をしていたことは、思い返すと一番楽しい記憶だったかもしれない。


 高校受験の日。同じ高校を受けるからと、一緒に行く約束をしていた。少し時間に余裕を持って待ち合わせし、自転車で向かった。


「どう? 蓮は今日、よく寝れた?」


「いつもどおりにぐっすり寝れたよ。弥代やしろは?」


「私は心配で、よく寝れなかったかな。成績ギリギリだからね~」


 そんな会話をしながら、道中の片側2車線の国道の赤信号で止まっていたときだった。


「蓮!」


 と叫んだ彼女が急に蓮を突き飛ばした。倒れるまでのわずかな瞬間、蓮を突き飛ばした彼女の身体を、トラックが物凄いスピードでぶつかり、視界から連れ去った。倒れてすぐに彼女がいるであろう方向を振り向くと、彼女は歩道の端まで吹き飛ばされ倒れていた。


 すぐに立ち上がり、彼女のもとへ近寄る。


弥代やしろ……? おい、弥代! 大丈夫か!」


 どんなに声を掛けても血で染まった彼女は何一つ反応しなかった。そして、2度と言葉を交わすことができなくなった。



 彼女の葬儀に参列した後、公立の欠員募集が出ている高校を受検し高校には行ける事にはなったが、彼女の事故と雰囲気が合わない高校生活に、ゴールデンウィークを過ぎるころには学校に行かなくなっていた。


 母はそんな蓮に優しかった。


「落ち着くまで、家でゆっくり過ごしてていいからね」


 と気を使ってくれたが、それがますます自分をみじめにさせた。父のように誰かを守りたい、と思って生きてきたのに、守られている自分が許せなかった。何百回、何千回と後悔を繰り返す。そのうちに、本能的にセイフティがかかったのか、考えることをやめるようになっていった。



 そんな日々を過ごしていた秋のある日。いつものように何も考えず、部屋でネット動画を見ていたときだった。部屋の外で物音がした。


 なんだろう? とドアを開けて確認すると、キッチンで母が倒れていた。


「えっ?……母さん? どうしたの、母さん! 母さん!」


 何度も呼びかけるが反応はない。恐る恐る呼吸を確認すると、弱くだが呼吸をしている。すぐに119番に電話をかける。


 病院に運ばれた母は、命は取り留めたが、何が原因か検査をするとのことで、次の日、蓮は制服を着て、ボサボサの髪のまま病院に向かった。


 医者の話だと、母は疲労がたたって腎臓の機能が低下しているとのことらしい。疲労……。母は父が亡くなってから一人で蓮を育てていた。朝から夜遅くまでスーパーでバイトをし、炊事洗濯もきっちりする。あの事故の後からは、蓮はそんな母のことを何も見ず、考えず、ただただふさぎ込んでいた。そんな蓮に対する心労もあったのだろう。蓮は生きてるだけでも、守らなければいけない母に迷惑をかけてしまったことに、精神の最後の糸が切れた。

 ベッドの上で点滴を打たれて眠っている母。すっかり痩せ細った姿の前で、蓮は止めようもない涙が溢れていた。



 父も母も弥代も、おれがいなければこんなことにはならなかったんだ……



 世界を呪っても何も変わらない……



 ずっと考えていた1つの結論を実行することにした。



 終わりにしよう。



 屋上から飛び降りて……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る