第78話 うるせぇ
「いらっしゃいませ!会いてる席にどうぞ!」
時刻は十一時過ぎ。あと少しで俺の仕事の時間も終わりだ。
本当なら昼から用事があったのだが、それも無くなってしまった。
「あー…」
教室の奥の控室に戻って、入れていた力を抜く。
しず姉…もう行ったかな…。
窓から外を見てそんな事を考える。
本日は快晴。
雲ひとつない青い空がどこまでも広がっている。
「…やっぱ、挨拶くらいしておきたかったな…」
しず姉は、所謂幼馴染というやつだ。
いつ頃からかは正確には覚えていないが、気づいた時には、そばにいた感じだった。
暇そうにしていれば、どこかに連れていってくれて、泣いて帰れば頭を撫でてくれて、悪い事をすれば叱ってくれる。
俺から見ればしず姉は、物凄くかっこいい人だった。
そんな存在に俺は憧れていた。
普段は大人ぶって過ごしていても、偶に見せるかわいいところ、いつも楽しそうに笑う顔、こんなしょうもない俺を呆れないで、ずっとそばにいてくれる優しさ。
全部…全部好きだった。
引っ越すって聞いた時は、第一に夢かを疑った。
そこで気づいたのかもしれない。しず姉は俺には届かない存在だったんだって。
追いかけても届かない。そんな存在だった。
今日、最後に文化祭を回って、告白しようとも考えたけど、それは叶わなかった。
でも、これで良かったのかもしれない。
最後を意識してしまえば、あの人の前でみっともなく泣いてしまうかもしれないし、行かないで、と我儘を言ってしまうかもしれない。
そんな醜態を晒すくらいなら、会わない方が正解なのかもしれない。
「流歌君、どうしたの?」
「…陽葵か」
陽葵が心配そうに覗き込んでくる。
「さっきからぼーっとしてるけど…」
「…あぁ悪りぃ、気にしないでくれ」
どうやら考え込みすぎてしまったようだ。
「…無理だけはしないでね?」
「わかってる」
相当心配をかけたみたいだ。
陽葵には悪い事をしたな。
「さて、もうひと頑張りしますかなぁ!」
なるべく悟られないように明るめの声でそう言って控室から出る。
「たあああぁぁぁかはしいいぃぃぃ!!!!!」
「どわっ?!」
控室から出た瞬間、聞き慣れた声が大音量で聞こえてきて、物凄い衝撃と共に控え室に戻される。
その原因はぜーぜー言いながら俺の胸ぐらを掴んでいる旭だった。
何が起こった?
「ちょ、ちょっと旭!?」
息を切らしながら走ってきた伊織が旭を止めにかかるが、旭はそれをお構いなしに俺に向かう。
「行け!はよ行け!すぐ行け!今すぐ!!!!」
「ちょ、ま、何の話だよ?!」
「葵さんの話だよ!!」
「はぁ?!だからもういいって…」
「うるせぇ!」
「なんなんだよお前はぁ?!」
忘れようとしていた話を掘り返されて、少しだけ頭にきてしまう。
「ほっとけって言ってんだよ!仕事中だぞ?!」
「流歌ぁ!!!」
「っ?!」
目の前の凄みのある旭を見て口が閉じてしまう。
「俺はお前が振られようと結ばれようと、んなことどうでもいいんだよ!」
「だったらほっとけよ!」
マジで意味がわからない。
「俺はお前とバカやって過ごしてぇんだよ!!そのお前がヘナチョコな顔してると面白くねぇんだよ!!!」
「なっ?!」
いつか似たようなセリフを聞いたことがある。
『俺はあいつとバカやってたいんだよ。バカな事して、バカな話して面白おかしく学校生活を過ごしたいんだよ…だから、あいつが元気じゃないのは見過ごせない』
俺が勝手に一人で思ってる事だった。
でも、こいつも似たような事を思ってくれていたのか…。
「言いたい事があるんだろ?!だったら行けよ!!なに自分だけ黙ってカッコつけようとしてんだ?!んな事させねぇよ?させてやんねぇからな?!」
…マジで意味わかんねぇ…。
「残りの仕事は俺がやる。さっき葵さんが出て行くのが見えたから、まだ間に合うだろ」
そう言いながら旭は何かの鍵を渡してきた。
「一年の駐輪場の一番奥。カゴに黒い雨合羽が入ってる。怒られるのが嫌なら俺が怒られてやる。だからお前はやりたい事やれば良いんだよ」
そう言いながら、教室の扉を指さす。
…はあぁぁぁ…ほんっとに意味わかんねぇ…。
「お前にそこまでされる筋合いはねぇよ。怒られるのは俺一人で十分だ」
でも、おかげで吹っ切れたわ。
「…あっそ、だったら早く行ってこい」
「さんきゅ」
教室の扉を開けて、他の客の事も考えずに走って駐輪場に向かう。
旭の言っていた自転車を見つけて跨り、力一杯ペダルを踏み込む。
人や物にぶつからないように最低限の注意をしながら、しず姉を探す。
「いた!」
五分ぐらい自転車で移動したところに見慣れた姿を確認できた。
俺は更に足に力を入れてスピードを上げ、しず姉を追い越したあたりでブレーキをかけた。
キィィー!という不快な音が響き、しず姉の視線は俺に向けられる。
「る、流歌くん?!」
なぜここに?と言いたそうな顔を無視して俺はしず姉に詰め寄る。
「おいしず姉!挨拶もなしにどこ行くつもりだったんだ?」
「え、いやぁ〜その…」
わかりやすいくらいに目が泳いでいるしず姉。
「せめて顔見せてから行けよ…」
「…ごめんね」
「そうだ謝れ」
「急に強いな」
俺としず姉の関係なんてそんなもんだ。
お互いに遠慮はしない。そんな関係が心地よくて好きだった。
「…改めて見ると、流歌くんも大きくなったね」
「…何?急にどしたの?」
「いやぁ〜懐かしいなって思ってさ。昔は私の後ろをついてくるだけだったのにね」
「子供扱いすんな」
そんな事を言っても、しず姉は俺の髪をわしゃわしゃするのをやめない。
「ほらぁ〜…やっぱ離れたくなくなっちゃうんだよ〜。だから旭くんにお願いしたのに…」
「俺は旭から行けって言われたんだけどな」
「戦犯はやつか」
そう言ってしず姉は笑った。
「ほら、流歌くんもそろそろ戻った方がいいよ。私も行かなきゃだし」
「あ、あぁ、そうだな」
「大丈夫大丈夫。一年に一回くらいは帰ってくるからさ!寂しくないよー!」
「うるせぇ…」
ほんと、どこまでも子供扱いしてくる。
「…それじゃ、元気でな」
「流歌くんもね…まぁ、そんな遠くに行く訳じゃないんだけどね」
「台無しだよ」
余計な一言のせいで締まらなくなってしまった。
…まぁ、これでいいのかもな。
別に最後って訳じゃない。ただ住む場所が遠くなって会う機会が減るだけ。それだけなのだ。
「最後に言いたいことはある?」
「俺殺されるの?」
拳銃でも隠し持ってるのか?
「こうやって簡単に会う事もなくなっちゃうだろうし…最後に何かあるかなって」
「うーん…」
告白。
しない方がいいよなぁ…。
『後悔しない事をすればいい』
前に旭はそう言っていたのを思い出す。
しず姉にその気がないのはわかっている。
このまま想いを伝えずに過ごして、俺は後悔しないのか?
…もう、いいか。
俺も高校生だ。そろそろしず姉から離れるべきなんだ。
これはその儀式だ。洗いざらい吐き出してスッキリしてしまおう。
「…なぁ、しず姉」
「ん〜?」
「俺は…しず姉が…………」
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