Cat & Garden.

四季ラチア

第一章 猫と花売り

第1話 猫

猫が。

猫が倒れていた。

ひどい傷を負っていた。片目が潰され、片耳を失い…。

けれども、まだ息をしていた。小刻みに痙攣し、まだ生きようと足掻いていた。

少女は慌てて猫を抱き上げる。まだ助けられる…そう思い、庭を見渡し、たくさんの花を咲かせる花壇から数本を摘み取った。

お医者様を呼ぶまでの間、この猫を手当てしなければ。

薬に使えそうな花を片手に握り、もう大丈夫よ、と…抱きかかえた猫の顔を見る。


しかし、もう猫の息は止まっていた。


少女は、はらはらと摘み取った花を落とし、血まみれの冷たい猫を抱きしめ声をあげた。

私がもっと早く気付いていたら、もっと早く助けていたのなら、と…泣き叫んだ。



Cat & Garden.



…まぶたに橙色の眩しさを感じて呻く。

鼻腔へ甘い香りが入り込みくすぐったい。

少し痛む身体が、柔らかなものに包み込まれている。とても心地良い。

こんなのは初めてだ。きっとここが、昔だれかが言っていた天の国というものなのだろうか。


猫は、重いまぶたをゆっくりと開いた。


…知らない場所だった。

どう見ても裕福な者が住むような、高価そうな家具や雑貨が置かれている、どこか古びた雰囲気の大きな部屋だった。

天井から少し視線をずらし、猫は光が差し込む方を見る…窓は夕方の日差しを反射していた。

一体、ここはどこだ。

猫は、ぼんやりする頭で自分の記憶を辿る。

どうしてこんな知らない場所に居るのだろう。どうやってここへ来た。

誰かに逢ったか。誰の声を聞いた。

そういえば、一緒に居た彼女はどこへ行ったんだ。彼女。彼女って誰だっけ。

痛い。

痛い。

痛い…思い出そうとすると、ひどく身体が痛んだ。腕や、頭や、目が、とくに。

目が。

思えば、視界が少し狭くて暗い。

遠くで鳴いている獣の声や、自分の呼吸の音が、どうも不安定に耳に響く。

なにかがおかしい。

なにかがへんだ。

自分に何があったか思い出せない。

猫は焦り、体を起こそうとするが…痛みで上手く体が動かない。自分の体を包み込んでいた柔らかなものが、心地良さから恐ろしさにかわり、逃げ出そうとした。

しかし思ったよりそこは狭く、体勢を立て直そうと寝返りを打った猫はそこから…ソファから床へ落ちた。

ドサ、と鈍い音が鳴る。

痛い、と猫は呻く。

床にはカーペットが敷かれていたが、痛いものは痛い。冷静を失いそうだった。落ち着け。落ち着くんだ。

今はとにかく、……。


とにかく、なにを?

逃げるか。

誰かを探すか。

自分を知っている奴がいないか、探すのか。

いや、そんな奴なんて居るはずがない。

だって、俺はもともと孤独だったから。

だれも、なにも、なにもない。

彼女以外は……───



「ああ!」

澄んだ声がキン、と耳に響いた。

誰かが来た…猫は床を転がり、這い蹲り威嚇の構えをする。

敵かと疑う。自分をここに連れてきた奴だとしたら、何が目的だと問いただしてやる。

味方だと願う。何故自分がここに居るのか知っている者だとしたら、聞きたいことがたくさんある。

どくどく、と心臓が早く鼓動を打つ。

ぐるぐる、と視界が暗く赤く染まる。

フーフー、と呼吸を荒らげ牙を剥く。

猫は尻尾を逆立てた。

「だれ…だ…!」

猫は唸る。

言葉は上手く出なかったが、猫の地を這うような低い声は、存分に威嚇の効果を発揮しただろう。


だが、その臨戦体勢は、鼻をくすぐった甘い香りに崩された。

甘い、花の香り。

少し目につんとくる、頭が冴えるような草葉のにおいも混ざっている。

それから、どこか懐かしい土のにおい。

それらをまとった見知らぬ者の顔を、猫はゆっくりと見上げた。

少し土で汚れた靴。

長いワンピースとエプロン。

若草のような髪と瞳。

その耳からして、兎。

女だ。

それも、とても美しい、兎の女。

「目が覚めたのね。猫くん」

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