斬新すぎる結婚式
そんなこんなで、現場でじっと待機して数十分後。
二階に設置されているパイプオルガンの聖歌演奏が降り注ぐ中、ばーんと聖堂の扉が両側とも開き、現れたるは先ほどお会いした若伯爵と豪華な白いドレスに身を包んだ女性。
高位の貴婦人でもなかなか手に入れられないような豪華なヴェールを付け、後ろにたなびくヴェールとドレスの長い裾を侍女と思しき女性たちが手にして静々と後に続いた。
ぎそうけっこんって、偽装結婚って、ここからなの?
予想外の事態に、ヘレナは思わず祭壇の前に立つ司祭に救いを求めて視線を投げた。
鼠色の頭髪を雑に伸ばし額と頬骨とアゴが妙に突き出た独特な顔立ちの男はどうやら若いようで、一瞬、分厚い唇をにへらとゆがめた後、帯の前に豪華装丁の聖書を捧げ持っていたが、片手を外してさっと親指と人差し指で円の形に作り、また何事もなかったかのように聖書を握りしめた。
・・・カネ、頂いちゃったのですね。
それも、大量に。
もしかしたら、明日にでもこの教会の内装のどこかが綺麗になるのかもしれない。
落ち着いて周囲見渡すと、付き添いの侍女も立会いの騎士だの侍従だの、そしてパイプオルガンの演奏者だの女性聖歌隊だの、この場に関わるものみな動揺のかけらも見せていない。
こういうオーダーなのか・・・。
そこは説明が欲しいところだった。
しかし、もう始まってしまったのだから仕方がない。
精一杯務めてやろうではないか。
うんうんと頷くと、ヘレナは背筋を伸ばして二人三脚でもしているかのようにべったりくっついた新郎新婦がたどり着くのを待った。
こうして、『斬新な』結婚式は粛々と進められていく。
ろうろうと聖典をそらんじる司祭の声が心地よい。
低く低く空気と流れて、耳からじわりと身体にしみいるように響く。
まだ三十代前後と思われるが、その年で司祭という職につけたのはこの声が理由の一つかもしれないなとヘレナは感じ入った。
そして、ふと己を顧みる。
父を、どうしても憎むことができない。
母が病になる前は本当に。
ほんとうに幸せだったのだ。
だから、この偽装結婚はやりおおせてみせよう。
でもこれが、最後だ。
司祭の丁寧な言葉と光と一緒に振ってくるパイプオルガンの旋律に包まれながら、ヘレナは心の中で父に別れを告げた。
「そうですね…。ではここで、先に結婚証明書の署名をしていただきましょうか」
パイプオルガンと聖歌も併せて雰囲気が頂点まで盛り上がったところで、司祭はいきなり軽い口調ですべてを現実へ戻した。
「ん?」
思わず、ヘレナ固まった。
隣の方からなにやら不穏な空気がもやもやと出てきて怖い。
せっかくの感動場面をばっさりやられ、お客様はかなりご立腹のご様子。
もう、帰りたい。
というか、とにかく寒い。
しかし、司祭は全く意に介さずにこりと笑って一拍入れた後、言葉をつづけた。
「普段の結婚式と多少違いますが、本日は先に国に提出すべき書類を作成します。その後に神への宣誓と誓いのキスの方が、よりお二人の愛も深まると思いますので」
今になって進行の変更を言い出した意図は解らないながらも、「良いだろう。任せる」と伯爵は頷き、慌てた様子の助祭が紙とペンを書記台の上にさっと揃える。
「ではまず、リチャード・アーサー・ゴドリー伯爵。こちらにご署名願います」
「ああ、わかった」
左手は新婦の腰に手を回したまま、ガリガリガリと投げやりに書き込み、羽ペンを放り投げた。
こんと台に当たって床に跳んでいったのを哀れな助祭が走って拾いに行き、定位置に置きなおす。
「では、ヘレナ・リー・ブライトン子爵令嬢もお願いします」
「あの・・・。私、今朝より籍が変わりまして、ヘレナ・リー・ストラザーンとなっているのですが、サインはそちらでよろしいでしょうか」
「え・・・?」
どうやら司祭へ話を通していなかったらしい。
艶のない濃い鼠色の髪の間から彼の見開かれた瞳が見え、偶然にも一瞬、ヘレナと見つめあってしまった。
きん、と高い金属音が鼓膜を叩く。
「あ・・・」
ヘレナはぱしぱしと数度瞬きをすると音は消え、何事もなかったのように彼も視線をそらした。
「はい。ではストラザーン伯爵家のお名前で記入願いします」
「わかりました」
渡された羽ペンを持ち、一字一字丁寧に書く。
養子縁組の届け出書類は除いて、ストラザーンの名で書く初めての署名。
この後からは、ゴドリーになる。
そして、契約満了すればストラザーンへ戻るだろう。
そもそも家政を全く任されないならば、おそらくゴドリー姓を使う機会はないのではないか。
そして更にゴドリー伯の立会人二名と司祭が署名し、手続き完了した書類を待機していた行政官は受け取りそそくさと出口に向かって速足で去った。
一刻でも早く国へ提出したいらしい。
「ありがとうございます。これで手続きは完了しました。おめでとうございます」
司祭は、白い衣装の二人にゆっくりと頭を下げる。
パイプオルガン奏者は一気に音量を上げ、超絶技巧の曲を弾き始めた。
いったん素に戻ってしまったのをなんとかイイ感じに戻そうと試みていると思われる。
「それでは、宣誓の儀式を行いたいと思います。お二人は私の質問に対し、簡単にお答えくださるだけで充分です。お解りいただけますね?」
司祭の言葉に二人は頷く。
助祭が二階へ合図を送り、いったん演奏は厳かでひそやかなものへ変わった。
「では新郎。汝はこの女性を妻とし、病めるときも健やかなるときも愛し敬うと誓いますか」
「はい。誓います」
ゴドリー伯は胸を張って、堂々と宣言する。
「次に新婦。汝はこの男性を夫とし、病めるときも健やかなるときも愛し敬うと誓いますか」
「・・・はい。誓います」
なんともなまめかしい声がヴェールの下から聞こえた。
「それでは、この言葉をもってお二人は夫婦になったことを教会は認めます。では、誓いのキスをお願いいたします」
演奏者のテクニックも聖歌隊の歌声も最高潮に達しつつある中、ゴドリー伯はヘレナに背を向けて女性と向かい合い、彼女のヴェールをゆっくりと持ち上げた。
ヘレナが伯爵の肩越しにちらりと見ると、花嫁と一瞬目が合った。
つやつやとして情熱的な黒い巻髪、くっきりとした眉と睫毛、大きな瞳はサファイアのような煌めき。
にやり、と目を細めて彼女は、嗤った。
金で買った、書類上の妻を。
「コンスタンス・・・」
男に名を呼ばれゆっくり瞼を閉じながら、つい、と女は顎を上向ける。
真っ赤に塗られた煽情的な唇を開きながら。
「・・・!」
ヘレナは己の目を疑った。
そして、石になる。
花嫁と花婿は口を開き、舌を絡め、びちゃびちゃと音を立てて深いキスをしている。
しかも、ぴったりとくっつけたまま身体をせわしなくくねらせ、なんかいやらしい手つきでお互いに身体をまさぐりあい始めた。
結婚式、とは。
結婚式とは、なんだろう。
どういうものだったかな。
親族とは断絶状態。
父のおかげで結婚式に呼んでくれるような友人は皆無に近い。
そういや何年か前にラッセル姉弟の姉のほうの式に参列したが、商人である彼女のほうが、もっともっと清らかで神聖なものだった。
これは、私の知らない結婚式だ。
呆然としているヘレナの肩を誰かがぽんと叩く。
「行きますよ、ヘレナ様」
呪縛が解けて見上げた相手は、司祭だった。
彼は、まったく平然としている。
さすがは、若いながら司祭に成った男だ。
そして彼の背後には、ヘレナに同情たっぷりな視線をよこしてくれている助祭もいる。
「お疲れ様です。私共の部屋でお茶でも致しましょう。ゴドリーの方には連絡済みです」
気が付くと演奏は終わり、伯爵家の関係者は薄情なことに全員撤収した後だった。
「・・・うわ」
置き去りとか、ひどい。
三人で、祭壇近くの隠し扉の方へ速足で向かう。
背後で、ばさばさという衣擦れと、ガシャーンと何かが床に落ちる音がする。
もしかして、あの、花嫁のティアラを投げ捨てたのだろうか。
ほんの一瞬だったが、誓いのキスの時にヘレナはしっかり見た。
ティアラもイヤリングもネックレスも真珠なんてかわいらしいものではなく、人を殴れるダイヤモンドだった。
そのまま装着していたら重くてたまらないだろうけれど、だからといって投げるとかありえない。
ドレスの生地も刺繍も最高級で、真珠がたっぷり縫い付けられていたが、今、なんかめいいっぱい引き裂く音がしたし、コンコンと球が弾んで転がる音もしたような気がする。
職人たちの血と汗と涙の結晶を集めに集めた渾身の作は、もう二度と日の目を浴びることはないだろう。
金持ちはやることが豪快だな。
というか、その資本力がうらやましすぎる。
「あ、あーーーっん」
花嫁が甘い声で甲高く叫んだところで、三人は廊下に出た。
いやもう、転がり出たと言って良い。
重い扉を素早く閉めた途端音は遮断され、ヘレナはほっと息をつく。
「何を見せられているの、何を聞かされているの、私・・・」
これまで、色々あった。
人よりも経験豊富だと自負してきたけれど、まだまだだった。
上には、上がいる。
「お気の毒に・・・・」
少年のような青さの残るひょろっとした助祭は、両手を胸の前で組んで、うるうるとした目でヘレナを憐れんだ。
同情するなら、金をくれ。
今なら、多少やさぐれても許されるだろう。
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