116話

「その、身勝手なようで、いきなりこういう事を申し上げるのはご無礼かと思うのですが……」



 そう切り出す女へ、俺は「かまいません」と伝えた。今更ご無礼も何もなく、込み入りすぎたくらいでもある。もはや、例え過去に犯した犯罪の自白であっても驚きはしなかっただろうが、しかしその心境というのは、彼女についてすっかり分かった気でいるという慢心でしかなく、改めて自戒を促しながら彼女の言う、ご無礼な申し上げ。について伺うのだった。



「その、私、長子でございまして、弟よりも八、九違うのですけれど、昔、弟の方が愛されているように感じていたのです」


「兄弟がいらっしゃる方から、よくそういったお話をお聞きしますね」


「そうですね。恐らく、どこのご家庭でもそうなのでしょう。姉、兄だから我慢しろとか、理不尽な我慢を強いられていたと、私もよく耳にします」


「兄姉弟妹のいない私には経験のない苦悩です」


「あら、私てっきり、弟さんでもいらっしゃるかと」


「いたらもう少し責任をもって生きられていたかなと、たまに考えます」



 本当はそんなたらればを思い描いた事など微塵もなく、むしろ兄も姉も弟も妹もおらず気楽な事が俺の人生の中にある数少ない利点だなと情けない分析を展開したりなどしていたのだが、相手方を持ち上げるためにそんな事をうそぶいた。俺より貴女の方が立派ですという社交辞令的な意思表示である。



「そうでしょうか。私、弟がいるからといって、特段責任が強いなどと感じた事はございません。いえ、むしろ、無責任な自覚さえございます」


「そんなものでしょうか」


「そんなものです……あぁそうだ。それで、愛されているとかいないとかの話なんですが、その責任感という点についても関係がございまして……」


「お話の前に、コーヒーのお代わりはいかがでしょうか。少しだけ口寂しく……」


「あ、申し訳ございません。そちら、こぼされておりましたね。同じものでよろしいでしょうか。私、いただいてきます」


「いえそんな、悪いです。こちらが買ってまいります」


「お洋服がまだ乾いていらっしゃらないでしょう」



 俺はその指摘に小さく唸ると、顔が火照っていくのを実感した。彼女のいう通り、以前から、濡痕が冷たいのである。



「お待ちください。すぐですから」



「あぁ、お金はこちらが……これでそちらも好きなものを……」


「これはご丁寧に。誠にありがとうございます」



 断られるかと思ったが、女は俺が差し出した千円を手にしてカウンターへと向かっていった。そういうところはいい性格をしている。

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