第8話(最終話)逆転

「いざ勝負っ、〈婆羅門ばらもん〉!」

 操所あやつりどころから、佐々さっさ忠秀ただひでが怒声を上げた。

 次の瞬間、蒸機兵〈増長ぞうじょう〉は凄まじい気合とともに、雷焔らいえん大太刀おおだちを振り下ろす。

 新太しんた雷蔵らいぞうの乗る漆黒の蒸機兵が、体をひねった。が、〈増長〉の雷焔大太刀の刃がその肩をえぐった。激しく火花が散る。

 さらに〈増長〉は、二度、三度と雷焔大太刀を振り下ろした。新太は紫電槍しでんやりの穂先と柄で受ける。

 佐々忠秀の〈増長〉のほうが、圧倒的に腕は上だった。新太と雷蔵の蒸機兵は、押される一方だった。そしてさらに、生き延びた〈金剛こんごう〉三機もまた、紫電槍を構えて新太たちの背後に迫りつつあった。

 と、背中に激しい衝撃が走った。

 新太と雷蔵はすさまじく揺さぶられた。漆黒の蒸機兵は、膝を着いた。

 背中に被弾したのだ。三機の〈金剛〉が、一斉に連火筒れんひづつを放ったのであった。

「火筒を使うとは、卑怯なり!」

 雷蔵はかすれた声でうめいた。彼の太ももの傷が開き、熱い血潮がさらに溢れ出ていた。

 漆黒の蒸機兵の分厚い装甲板であっても、至近距離から放たれた火筒の弾には敵わなかった。背中の煙突の下部の装甲板が、ぐにゃりと大きく凹んでいた。はがれかけた装甲板の隙間から、熱い蒸気がしゅうしゅうと音を上げて漏れている。

 新太は、かたわらの雷蔵の体から急速に力が抜けていくのを感じた。

「雷蔵さん!」

 新太のすぐ脇で、青ざめた顔の雷蔵の頭ががくりと傾いだ。蒼白な顔の雷蔵は気を失い、その唇は血色を失って紫色になっていた。彼は脱力した頭を、新太の肩にあずけていた。

「この佐々忠秀、〈婆羅門〉のくび頂戴ちょうだいいたす!」

 佐々忠秀の怒鳴り声とともに、雷焔大太刀を上段に構えた〈増長〉が突進してきた。大太刀の刃がじりじりと赤黒く光る。槍で反撃するには、間合いが近すぎた。新太は思わず眼をつぶった。

 と、その瞬間である。

 轟音が起こった。新太の蒸機兵のすぐ脇で激しくだいだい色の火焔が上がった。

 〈金剛〉の機体が、爆発したのである。

 新太は、そっと眼を開いた。

 紅蓮の炎の作る陽炎の向こうで、細身の蒸機兵の影が揺らいでいる。

「姫さま……!」

 新太が声を漏らした。

 蒸機兵〈青龍せいりゅう〉であった。雷焔大太刀を振り下ろした残心ざんしんの姿が、青白く揺らいで浮かび上がっていた。

 もう一機の〈金剛〉が、〈青龍〉に向かって火筒を放つ。

 〈青龍〉が雷焔大太刀を振るった。その弾が刃に叩き切られ、空中で炸裂した。

 一瞬ののち、〈金剛〉の機体がぐらりと揺らいだ。その胸に、紫の光を放つ槍の穂先が突き出ている。

 ぐいと紫電槍が抜かれた。〈金剛〉は無様にうつ伏せに倒れ、ほんの刹那遅れ、爆炎に包まれた。

 背後から〈金剛〉を貫いたのは、敷島しきしま軍太夫ぐんだゆうの操る蒸機兵〈白虎びゃっこ〉であった。

「ご覧になりましたか、姫さま! この軍太夫の腕、まだまだ衰えてはおりませぬぞ!」

 操所で、敷島軍太夫が大笑した。

 新太は、眼前の〈増長〉に眼を向けた。

 不思議なことに、恐怖や焦燥、それに怒りもまた彼の心からは消え去っていた。

 なぎのように、静かに落ち着いていた。

 漆黒の蒸機兵は、背中の煙突から一度大きな黒煙の塊を吐き出した。

 そして全身の関節から白い蒸気を吹き出しながら、ゆっくりと立ち上がった。両手で紫電槍を摑むと右手を前に、左手を引いた右前半身構みぎまえはんみがまえを取った。

「覚悟おぉっ!」

 佐々忠秀の〈増長〉が力を乗せて大太刀を振り下ろす。新太の蒸機兵は槍を跳ね上げた。稲妻のような紫色の火花を散らし、穂先が大太刀の刃を突き上げる。

 瞬きするほどの間であった。

 二つの蒸機兵の機体が交錯した。

 間近で目撃した鷺も敷島軍太夫も、何が起きたのかをすぐさま理解できなかった。

 蒸機兵〈増長〉は、すぐさま振り返った。雷焔大太刀を青眼に構え直した。

 漆黒の蒸機兵はといえば、その手の紫電槍は穂先を失い、柄の中ほどで断ち切られていた。

 ぐらっと漆黒の蒸機兵の機体が揺れた。そして、両膝を酒爪川さかつめがわの砂利の上に着いた。背中から激しく蒸気が漏れる。一度ぶるぶるっと震えると、手にした槍を力なく取り落した。

 漆黒の蒸機兵は、完全に動きを止めた。

 が、ふた呼吸ほど過ぎたときである。

 蒸機兵〈増長〉の機体が激しく震えた。

 そして、その濃緑色の機体が左と右、二つに分かれたのだ。

 紫電槍の穂先は、〈増長〉の股関節部分に突き刺さって残ったままだった。〈増長〉の機体は、脳天から真っ二つに両断されていたのだった。

 ゆっくりと〈増長〉は、右半身と左半身に分かれてくずおれた。

 日の暮れどきの冷たい風が、酒爪川河畔を吹き抜けた。

 と、かつて蒸機兵〈増長〉であった二つの塊が、爆炎に包まれた。赤黒い炎が四方へ飛び散り、火の粉が凄まじく酒爪川の川面に舞った。

 ちょうどそのころ、その北方ではときの声が上がっていた。

 間壁まかべ三十郎さんじゅうろう率いる騎馬隊によって、畔柳くろやなぎの兵たちは大混乱に陥っていた。畔柳軍が、酒爪川を超えて敗走を始めたのだ。

「見事じゃ……」

 蒸機兵〈青龍〉操所で、さぎは声を漏らした。我知らず、彼女の頬を一筋の涙が伝い落ちていた。

 いっぽう漆黒の蒸機兵の操所では、新太は雷蔵とともに意識を失っていた。鷺のやさしい声は二人の耳には届いていなかったのである。


 さるの刻(午後四時過ぎ)、畔柳軍は酒爪川を渡って敗走した。渡河の途中、畔柳軍の騎馬隊四十と、歩兵六百余名が溺れて死んだと言われている。

 畔柳軍は、蒸機兵〈金剛〉九機、そして〈増長〉と操方の佐々忠秀を失う大きな痛手を負った。

 この敗北の責任を問われ、松木まつき孫兵衛まごべえ畔柳くろやなぎ伴房ともふさによって切腹を命じられた。松木孫兵衛は、その日のうちに腹を切った。

 今回の戦のさなか、「鬼舞おにまい大霞おおがすみ」のなかに姿を消した弓削ゆげ銀之丞ぎんのじょうと蒸機兵〈多聞たもん〉は、不思議なことに何らの処分を問われなかったという。弓削銀之丞が、鵜飼うかい帯刀たてわきから特別の密命を受けていたとも噂されたが、真偽のほどは定かではない。

 こうして、後の世に長く語り伝えられることとなる「鬼舞ヶ原おにまいがはらの戦い」は、玉造たまつくり軍の逆転勝利に終わったのであった。


 宝雲二年卯月六日、うまの刻――

 観月みづきの国、玉造たまつくり家の居城である龍之尾城たつのおじょう天守の大広間では、その中央で新太が心細さを隠しながら平伏していた。

おもてを上げい」

 上座から、柔らかくやさしい声が降りてきた。新太は唾を飲み込むと、おそるおそるほんの少しだけ上体を起こした。

「わらわは面を上げよと申した。そちの顔が見えぬではないか」

 新太の全身が、かっと熱くなった。額から一筋、二筋汗を流しながら、新太はゆっくりと顔を上げた。

 鷺姫さぎひめの姿は、思いの外小さかった。身の丈は五尺に足らぬであろう。新太は狼狽した。あまりにも壊れやすく、汚れなきものに触れてしまったような思いにとらわれたのだ。

 が、そんな新太の気持ちに気づいているのかいないのか、鷺は微笑みながら静かに続けた。

「そなた、新太と申したな。鬼舞ヶ原では見事な働きであった。そなたの働きなくして、我軍の勝利はなかった」

「あ、あの……は、ははあっ」

 大いにあせりながら新太はふたたび平伏した。ちらを顔を横に向けると、脇の床几しょうぎに控えた髭面の間壁三十郎が、にやりと笑みを新太に送ってよこすのが見えた。

「そなたに褒美を取らすぞ。何なりと申してみよ」

 鷺は快活に言った。

「あの、ええと、その……」

「遠慮は無用じゃ。手いっぱいに申せ」

「じゃあ……手いっぱいかどうかわからねえけど……」

 新太はもう一度頭を上げ、鷺の顔をまぶしく仰ぎ見た。そして、つっかえつっかえながら続けた。

皆月みなづき村は……えっと、俺の生まれた村は貧しくって、今度の戦が始まってからは、村の男衆は足軽に駆り出されて、働き手が減っちまって、それに昨年からの日照りで、村のもんはみんな食うもんに困ってます。せめて……今年の刈り入れまで村のみなが飢えずに暮らせるだけのもんがあれば……」

 新太は、はっきりと鷺の顔を見上げて言った。鷺の姿は、直視するのがはばかられるくらいにまばゆかった。けれど、鷺の両眼の奥に揺れる光に、新太の心はあたたかく包まれるような気持ちであった。

 鷺は、しっかりとうなずいた。そしてさらに明るい笑みを新太に向けた。

「よかろう。そなたに米二百俵を取らす」

「へっ? に、に、に、に、二百俵?」

 新太の声が裏返った。思わず、大広間の板の間に尻餅をつくところであった。

「これ、新太とやら、姫君の御前であるぞ」

 右の脇からしわがれた声が届いた。敷島軍太夫であった。

「構わぬ、軍太夫。のう、新太どの。戦が落ち着いたら、そなたの村に遊びに行っても構わぬか?」

 鷺は笑いながら尋ねた。もはやその顔は玉造家当主のそれではなく、一人の無邪気な十六歳の少女の笑顔だった。

「え、えっ? も、もちろんです!」

 鷺の笑顔がさらに大きくなった。

 敷島軍太夫は不満げに唇の端を歪めていたが、間壁三十郎は白い歯を見せて大きな笑みを浮かべ、何度もうなずいている。

 実はその場を、天井の隠し扉の向こうから、雷蔵と志乃しのもまた覗き見ながら微笑んでいたのだが、無論、新太は知るよしもなかった。

 鷺は、傍らに控えた下僕に「紙と筆を」と命じた。ほどなくして下僕が紙と筆、硯を持って現れると、鷺姫は墨を擦り始めた。そして彼女は、細く長い指で太い筆を手にした。たっぷりと墨を含ませ、まるで舞うかのように紙の上に優雅に筆を走らせた。

 ふっと満足げな吐息とともに鷺は立ち上がった。滑るように大広間の端へ向かうと、勢いよく襖を開け放った。

 暖かくまぶしい春の陽光が、大広間に一気に差し込んできた。

 新太のところからは、まるで陽光の中に、具足姿の華奢な鷺の肢体が溶け込んでいくかのように見えた。それはかつて昔話に母から聞いた天女であるかのように思えた。

 鷺は天守閣石垣の下を見下ろした。そこには三つの巨体が、眠れる動物のようにうずくまっていた。

 蒸機兵〈青龍〉、〈白虎〉そして……

 鷺姫は誰にともなくうなずくと、三機目の漆黒の蒸機兵に向かって、紙を高々と青い空に向かってかざしたのである。

 ――命名 玄武

 繊細であるが力強い揮毫きごうであった。

「蒸機兵〈玄武げんぶ〉と命名する!」

 鷺の透き通った声が、龍之尾城にこだました。


 宝雲二年卯月九日、たつの刻(午前八時頃)。

 皆月村へ通ずる林を抜ける道を、隊列が進んでいた。

 先頭を行く馬上では、新太が春の風に吹かれていた。彼の背後に、米俵を積んだ大八車が十五台、人足によって運ばれていた。

 ――おっ母が、待ってる。

 新太は馬上で揺られながら、林の奥へ続く道の向こうを見やった。村に近づくにつれて、喜びと同時に、言い知れぬ淋しさと哀しみと痛みもまた、胸裡に膨らみつつあった。

 一緒に村を出た弥吉は、今は隣にいない。

 皆月村を出てから半月も経っていない。が、もう何年も留守にしていたような気分だった。おっ母やお婆、隣の権太ごんた爺やお花ぼうの顔は、新太の記憶の中ですでにその輪郭がおぼろになっていた。

 皆月村は、自分が旅立ったときの村のままだろうか?

 新太はふとおのれに問いかけた。

 自分は、村を旅立ったときの自分のままなのだろうか?

 木漏れ日が、徐々に薄暗くなって行った。ひんやりとした風が頬をなぶる。雲が出てきたようだ。

 ふと、新太の視界の片隅に白くひらめくものが見えた。

 新太は我知らず、そのひらめきに手を伸ばした。素早く握り拳を作る。

「なあ、あんたの村までは、まだ遠いのかい?」

 背後から、先頭の大八車を引く人夫が日に焼けた顔を新太に向けていた。

「あ、ああ……」

 上の空で答え、そっと手のひらを開いた。醜くひしゃげて崩れた淡白色の柔らかい塊――紋白蝶もんしろちょうだった。ひくひくと触覚を力なく動かしている。

「近くだよ」

 新太が答えると、人足は木々の隙間から覗く空を見上げた。

「急がねえとな。この風向きじゃあ、すぐにひと雨来るぜ。荒れそうだ」

 新太の開いた手のひらから、冷たい風が無残につぶれた紋白蝶のねじれた羽を奪い取って行った。紋白蝶の柔らかな羽は、くるくると回りながら、林の奥の暗がりに舞い去って消えた。

 新太は、頬に冷たい雨のしずくを感じた。

「早く帰ろう、嵐が来る前に」

 新太はつぶやいた。

 故郷までは、あと少しだ。


「戦国蒸機兵玄武 鬼舞ヶ原の戦い」完

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戦国蒸機兵玄武〜鬼舞ヶ原の戦い〜 美尾籠ロウ @meiteido

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