第6話 漆黒の蒸機兵

 新太しんたは息を切らせながら酒爪川さかつめがわの砂利の上を駆け、雷蔵らいぞう志乃しのへ追いついた。

 雷蔵は新太の姿を認めると、ひどく冷静に「手を貸せ」と腕を差し伸べた。

 彼らのすぐ脇で、漆黒の巨体が仰臥している。薄くて頑丈な金属製の黒い装甲板で覆われた蒸機兵であった。

 新太は、おそるおそる手を差し伸べた。新太の手を借り、雷蔵は巨体の上、ちょうど下腹部のあたりによじ登った。

「志乃、そなたは酒爪川を遡って本陣へ戻るのだ」

 巨体の上から見下ろしながら雷蔵は言うと、ふと言葉を切った。そして彼は暗灰色の空を見やった。

「まずい……志乃、急ぐのだ。じきに霧が晴れるぞ」

「雷蔵さま……」

 雷蔵を見上げて志乃は言いかけた。

 が、雷蔵の切迫した口調から何かを悟ったのであろう。志乃は決意したかのように、ひとつうなずいた。彼女の両眼が潤んでいるのが、新太には見えた。

 志乃は彼ら二人に背を向けた。一気に霧の奥の酒爪川へと駆け出した。そして、その水面みなもへ飛び込む。

 水音もしぶきも、わずかしか立たなかった。くノ一くのいち、志乃の姿は水中に消えた。すぐに川面かわもは穏やかな流れを見せるのみになった。

「俺、何を手伝ったらいいんだ?」

 新太は雷蔵へ声をかけた。

 と、出し抜けに、ずしん、ずしん、という振動が彼らの全身を震わせた。

 蒸機兵が近づいている。

「新太、上がれ」

 雷蔵が巨体の上から新太に鋭い声を放った。新太は慌てながら、あちこちの出っ張りに手と足をかけ、機体をよじ登った。

 でこぼことした蒸機兵の腹の装甲板の上にしゃがみ、新太は周りを見回した。雷蔵の姿は見えなかったが、六尺(約1.8メートル)ほど離れたところから延びた腕が合図を送っている。

 仰向けになった蒸機兵の腹部にある操所あやつりどころに、雷蔵はすでに身を忍び込ませていた。

「狭いが、おぬしもこちらへ来るのだ」

 雷蔵の指図で、新太は窮屈な操所に体をねじり込んだ。雷蔵のすぐ隣に、肩を密着させあいながら、仰向けになって身体を収めた。

「雷蔵さん。こいつを火薬で吹っ飛ばすんじゃ……?」

「そのつもりだったが、時が足りぬ。あれを見ろ」

 雷蔵が言うのと同時に、みるみるうちに眼前の白い霧が薄くなっていった。その向こうに、青灰色の空が透けて見え始めている。

 雷蔵の天気の読みは的中していた。

 不意に、激しい揺れが彼らを襲った。新太は操所の天井部分に、したたかに頭を打ち付け、悲鳴を上げた。

「来たか、白銀入道しろがねにゅうどう!」

 雷蔵がうめく。

 新太は頭をさすりながら、眼を見開いた。操所の向こう、青く広がる空を遮るように、鈍く銀色の光を反射する巨大な腕が伸びてくる。新太は息を呑み込んだ。

 それは、弓削ゆげ銀之丞ぎんのじょうの操る蒸機兵〈多聞たもん〉であった。

 〈多聞〉は右腕を伸ばし、筏の上に横たわる漆黒の蒸機兵の左腕を摑んだ。そして一気に、新太と雷蔵の乗る漆黒の巨体を筏から引きずり下ろしたのだった。

 新太と雷蔵は、窮屈な操所の内部で激しく揺さぶられた。

 驚きと痛みで新太は声を上げたが、雷蔵は唇をきつく結んだままだった。

 雷蔵が、新太の肩にそっと手を置いた。

「新太、そこに伸びている鎖が見えるか?」

 雷蔵の真剣な眼差しが、新太に向けられている。

「み、み、見えるよ」

 新太はあえぎあえぎ答えた。

 雷蔵は、あくまでも冷静極まりない口調で続けた。

「よいか、新太。俺が三つ数えたら、力いっぱいに鎖を引くのだ」

「あ、ああ、わかった!」

 新太が頭上から下りる鎖を摑むと同時に、またしても激しい衝撃が彼らを襲った。

「うわああっ!」

 操所がさらにすさまじく揺れ、新太は叫び声を上げた。

 新太と雷蔵のいる操所の眼前に、巨大な銀色の手が迫る。その五本の指が、操所を囲む鋼鉄製の枠をがっちりと摑んだ。白銀入道は、操所の直接引き裂こうとしているのだ。

「一つ、二つ――」

 雷蔵が声を上げる。

 その刹那、操所を覆う鋼鉄の枠が、あたかも紙のようにぐしゃりとひしゃげた。白銀入道の手は、鋼鉄の枠を引きちぎり、放り投げた。操所の新太と雷蔵の姿は、無防備にもむき出しにされた。

「三つ!」

 雷蔵の鋭い声をとともに、新太は鎖をちぎれんばかりに引いた。

 一瞬、何ごとも起こらぬかのように思えた。

 が、ふた呼吸ほど遅れて、漆黒の蒸機兵の機体がぶるぶるっと震えた。

 背後の蒸機関が稼働した。

 背部に取り付けられた二本の煙突から、真っ黒い煙が上がった。蒸機兵の全身に細かい振動が駆け巡る。ぎりぎりぎり……という金属音を立てて、蒸機兵体内の歯車が回転数を増した。首、肩、肘、手首、膝、それぞれの関節部から、白い蒸気が勢いよく噴き出した。

「い、生きてる……!」

 操所で身を縮めながら、新太は息を呑みこんだ。

 今まさに、漆黒の巨人が眠りから覚めたのであった。

「新太、いざ参るぞ!」

 雷蔵の口元には笑みが浮かんでいた。

 その言葉とともに、漆黒の蒸機兵がゆっくりと起き上がる。

 新太は、眩暈めまいに耐えながら一心に眼の前の操縦桿に両手でしがみついた。

 ついに漆黒の蒸機兵は、白い蒸気の紗幕の奥に、その二本の脚ですっくと立ち上がったのである。


「ほほう、これが、〈婆羅門ばらもん〉か」

 白銀入道こと蒸機兵〈多聞〉操所では、弓削銀之丞はその端正な顔に薄い笑みを浮かべていた。思わぬ展開を、心の底から面白がっているようであった。

 と、彼の眼前の立体りったい遠見盤とおみばんが淡く光った。盤上に侍の立体映像が現れた。佐々さっさ忠秀ただひでの姿であった。彼は苦虫を噛み潰したような面持ちで、弓削銀之丞を睨みつけている。

「弓削、貴様は何をしておる。玉造たまつくり間者かんじゃは捕らえたのか?」

 立体遠見盤上で、佐々忠秀の映像が険しい表情を弓削銀之丞に向けた。

「手出しは無用に願いますぞ、佐々どの」

 弓削銀之丞は凍るような声で言い捨て、立体遠見盤の画像を切った。

「傷一つ付けるなとのお屋形やかたさまのおおせだが、致し方あるまい」

 弓削はひとりごち、真顔になった。

 蒸機兵〈多聞〉は、雷焔らいえん大太刀おおだちを抜き放った。その柄元から、徐々に紫色の光が増していった。

「いざ!」

 蒸機兵〈多聞〉が太刀を青眼に構える。そして、漆黒の蒸機兵に向かって突進した。

 雷蔵の操る漆黒の蒸機兵は、驚くほどの身軽さで〈多聞〉の一の太刀をかわした。と同時に、漆黒の蒸機兵の右脚が伸びる。〈多聞〉の脇腹へ蹴りを入れようとした。が、〈多聞〉が素早く胴体をひねった。そして身を低くすると、一気に漆黒の蒸機兵へと駆け出した。

 時を同じくして、〈多聞〉の背後から鉄砲隊の銃声が轟いた。〈多聞〉は踏みとどまり、振り返った。

 いつの間にか、霧はほとんど晴れていた。すでに二町(約220メートル)以上も見渡せるほど、視界は広がっていた。

「何っ?」

 弓削銀之丞の端正な顔に狼狽のいろが走った。

 川原には畔柳くろやなぎ軍鉄砲隊の二十余名が集結し、漆黒の蒸機兵へ狙いを定めていた。が、傍目にも明らかなほど統率が取れておらず、隊列も乱れている。彼らの背後には、軍配を振るう松木まつき孫兵衛まごべえの姿が見て取れた。

「松木どの、余計な手出しを!」

 弓削銀之丞の顔がいらだちにゆがんだ。彼の脳裏に、はじめて不穏な予感がよぎったのである。

「今日の風、我らにあだするか……」

 弓削銀之丞は、操所でつぶやいた。


 新太の眼前で、白銀入道こと蒸機兵〈多聞〉は、紫色に鈍く燐光を放つ雷焔大太刀を、青眼せいがんから右八双みぎはっそうへと構えなおした。

 大太刀の刃の背後に、凄まじい殺気と気合が、長い無数の触手のごとくうねり狂って延びているのを新太は感じ取り、戦慄した。

「雷蔵さん! 武器は?」

 裏返った声で、新太はかたわらの雷蔵に向き直った。そこで、新太は異変に気づいた。

「雷蔵さん……?」

 新太は、脚に生ぬるいものを感じた。密着した雷蔵のふとももから、ふたたび多量の血が流れ出しているのだった。

「雷蔵さん!」

 思わず呼びかけると、雷蔵はうめき声混じりに答えた。

「新太、すまぬが、おぬしがこれを操るのだ」

「ええっ? む、無理だよ! こんなに大きな太郎坊なんて、俺に動かせっこないよ!」

「おぬししかおらぬのだ。見よ」

 雷蔵が顔を歪めながら、操所の外へと顎をしゃくった。

 いつの間にか、白銀入道の背後、松木孫兵衛の指揮する鉄砲隊のさらに後ろには畔柳の母衣ほろ騎馬きば隊、百騎あまりが迫りつつあった。馬のいななきが、新太の耳にも届いた。さらにその一町(約百十メートル)ほど背後には、七、八機の蒸機兵〈金剛こんごう〉が、ゆっくりと巨体を揺らしながら近づいて来るのが見てとれる。

 漆黒の新型蒸機兵〈波羅門〉奪還のため、畔柳の軍勢が酒爪川東岸へと移っていたのだ。

「ど、どうすれば……?」

「俺の指図どおりに操ればよい」

 雷蔵は新太の手を取った。そして、そっと操縦桿の上に置いた。さらに痛みに耐えながら身をよじり、新太の足を、踏んで操る操作板の上に載せて固定した。

「新太、右の足を踏みながら右の操縦桿を引くのだ」

 雷蔵は、さらに矢継ぎ早に次から次へと新太に指図をした。

「え……?」

 新太は、わけもわからず、ただ雷蔵の言うなりに体を動かす。

 漆黒の蒸機兵が、一歩を踏み出した。

「す、すげえやこれは!」

 新太自身が驚き、眼を見張った。

 新太の操ったとおりに、蒸機兵の巨体が一歩一歩、酒爪川河畔を歩いている。

「おぬし、筋がいいぞ」

 雷蔵は唇の橋に笑みを浮かべた。が、それも束の間、彼は苦痛に眼をつぶり、顔を歪めた。

「新太、そのまま進め」

 雷蔵はかすれ声で言った。その指示のとおりに新太は両手足を使い、蒸機兵を操作した。

 漆黒の蒸機兵は、ゆっくりと川原の砂利を踏みしめながら少しずつ歩みを進めた。

 不意に、新太と雷蔵の操所に影が落ちた。

 蒸機兵〈多聞〉が突進してきたのだ。八双に構えた雷焔大太刀が頭上から振り下ろされた。

「わあああああああっ!」

 新太は叫んだ。

 紫色の火花を稲妻のごとくほとばしらせながら、刃が漆黒の蒸機兵の頭上へと落ちてゆく。

 しかし、一刹那の後――

 誰しもが眼を疑う光景が繰り広げられた。

 弓削銀之丞も、雷蔵も、新太すらも、呼吸をすることをひととき忘れ、眼前の光景に息を呑んだ。

 漆黒の蒸機兵が両腕を伸ばし、その両の手のひらで、〈多聞〉の雷焔大太刀の振り下ろす刃を見事にしっかと白刃しらは取りしていたのだ。


第7話へつづく

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