赤いばあちゃんと緑のぼくちゃん

まっく

 青い空に白い雲がちらほら。

 嫌味なくらい光沢のある黒色の車が歩道の脇を颯爽と駆け抜ける。

 ぽつんと一軒佇む、オレンジ色の壁が特徴的なすみれという店名の喫茶店の前で、黄色い声を撒き散らしながら歩いて来る茶髪と金髪とピンクメッシュの女子高生三人組とすれ違う。

 僕は手に赤いきつねと緑のたぬきが入った半透明のコンビニ袋を持ち、永遠とも思える坂道をとぼとぼと登って行く。

 特に落ち込むような事があったわけではなく、最近の運動不足と寝不足が祟り、何とも冴えない足取りになってしまっているのだ。


 お寺の門をくぐり、幾多のお墓を掻き分け、ばあちゃんの墓の近くまで登って来ると、遠目に湖が見えてきて、この日のお天気と相俟って、足取りとは裏腹に心が晴れやかになってゆく。

 ばあちゃんが心配するといけないので、取り敢えずは、お墓の十メートル手前くらいから、ピンと背筋を伸ばして歩いておく。まあ、そんなことをしたところで、全てはお見通しなのかもしれないけど。


「ばあちゃん、今年もこれ買って来たよ」


 そう言って、コンビニの袋をお墓の前で翳す。


 僕は毎年、家族で行くお盆の墓参りとは別の少し涼しくなった時期に、一人でこうしてばあちゃんに会いに来る。

 家族の誰にも言わずに。


 それは、ばあちゃんとの二人だけの小さな小さな秘密。




 僕は小学校に上がる前の一時期、両親の仕事の都合で、母方の実家でじいちゃんとばあちゃんと三人で暮らしていたことがある。


 ある日、こっちで友達になった子の家で、昼食をご馳走になる約束をして家を出たのだが、その子が急に熱を出してしまい、家にとんぼ帰りすることになってしまった。


 家に帰り着いて、ばあちゃんにそう説明すると「ほれは残念やったなぁ」と言いながら、水屋(と、ばあちゃんが呼んでいた台所にある食器棚)の奥から、二つのある物を取り出した。


 ばあちゃんは少し悪戯っぽい顔で、


「ほんなら、これでも食うか。あんた赤いきつねと緑のたぬき、どっちがええ」


 と言った。


 僕は、単純に緑色が好きだったので、緑のたぬきを選んだ。


 ばあちゃんは、赤いきつねを顔の前に掲げ、「うちはこっちの方が好きやから、ちょうどよかったわ」


 そして、


「赤いばあちゃんと緑のぼくちゃんやなぁ」


 とニコニコ顔。


 意味不明の言動にきょとんとする僕を尻目に、ばあちゃんは雪平鍋に水を入れ、それを火に掛けると、二つのカップの蓋を開け小袋を取り出す。

「あんたには、まだコレは早いな」と言って、ハサミで七味の部分を切り離し、だしの粉をカップの中に振り掛けた。

 近くで、その様子を興味津々に見ている僕に、「あんた即席麺食べんの初めてか?」と言いながら、カップを軽く揺すって、全体に粉を馴染ませる。


 僕はこくりと頷く。


「あの娘も忙しいのに、おとうさんが言うのん律儀に守っとんのか」


 ばあちゃんは呆れたような、それでいて微笑ましいような複雑な表情で呟く。


 じいちゃんは、絵に描いたような昭和の頑固親父。

 自分勝手な決めつけで、「即席の食べもんで手抜きするな。即席みたいな体に悪いもん、子供には絶対に食べさしたらアカンぞ」と、特に母がまだ小さい頃は、口を酸っぱく言っていたようだった。


 ばあちゃんは、お湯の沸いた雪平鍋を手に二つのカップの前に立つと、「あんたは危ないよってに、ちょっと離れとき」と言って、慎重にお湯を注ぐ。

 よく分からなくて、台所の隅まで離れた僕を見て、「爆弾ちゃうんやから」とケラケラ笑うばあちゃん。

 カップの上に木の鍋蓋を置いて、時計を指差し、「四回回ったら(当時は出来上がりまで四分だった)、あんたのは出来上がり。ばあちゃんのはそっからあと一回」と歌うような口調で言うと、冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぐ。


 果たして秒針は四回回り、ばあちゃんが、「よう混ぜて、ふーふーして食べなアカンで。ふーふーは自分で出来るな?」と言いながら、緑のたぬきの蓋を開けくれる。

 僕は両親から、ふーふーが上手だと言われていたので、自信を持って大きく頷く。


 お出汁のいい香り、少しざらざらとした麺とふわっと食感の天ぷらが、温かくて幸せな気分にしてくれる。

 今まで食べたことのない、その美味しさに、頭の中が空っぽになって、何も考えられないようになってしまった。


 緑のたぬきを一心不乱に食べる僕を見て、ばあちゃんは満足顔。


「あんた相当、緑のたぬき気に入ったみたいやな」


 僕は何度もこくこくと頷く。


 ばあちゃんも遅れて赤いきつねの蓋を開けると、「うちはこのジュワッが好きやねん」とお揚げを頬張った後は、無言で最後まで食べ続けた。


「あー、おいしかったなぁ」


 と至福の顔で言い、急に僕を真顔で見つめた後、


「これ食べたん、絶対にじいちゃんには秘密やからな。バレたらえらい目に遭わされるで。それから、お母さんにもな」


 と、グッと顔を近付けた。


 その言葉に慌てて口許をごしごしと拭う僕を見て、ばあちゃんは豪快に笑う。


「しかし、こんなうまいもん知らんと生きていくつもりなんて、じいちゃんはアホやで」


 そして、こう続けた。


「こんなうまくて、幸せな気持ちにさしてくれる食べもんが、体に悪いはず無いがな」


 空になったカップを片付けながら、ばあちゃんは「なあ?」と僕に同意を求める。


 窓を開けて空気を入れ替え、外のゴミ箱の一番下にカップを突っ込んで、きっちりと証拠隠滅を謀るばあちゃんの慣れた様子に、妙な安心感を覚えた僕は「うん」とゆっくり頷いた。


 それからも、仕事が相変わらず忙しい両親だったので、夏休みや冬休みには、僕一人で帰省していた。


 決まって、赤いきつねはばあちゃんが、緑のたぬきは僕が食べた。


「赤いばあちゃんと緑のぼくちゃんやなぁ」


 と言いながら、ばあちゃんは二つのカップにお湯を注ぎ、口の前に人差し指を立てて、「しーっ、やで」と、悪戯っぽく微笑む。


 じいちゃんが亡くなってからも、それは続いた。


 家でも、普通にカップ麺を食べるようになっていたし、もう秘密にしておく必要なんてなかったのだけれど、ばあちゃんとの秘密の時間は、美味しくて、温かくて、とても幸せな時間だった。




 そんなことを思い出しながら、お墓の前に赤いきつねと緑のたぬきを並べる。


 手を合わせて目を閉じると、ばあちゃんの「赤いばあちゃんと緑のぼくちゃんやなぁ」という声が聞こえる。


 季節外れで、少し色味の薄れた墓地に、赤いきつねと緑のたぬきが、暖かな灯を点した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤いばあちゃんと緑のぼくちゃん まっく @mac_500324

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ