第13話 天秤はどちらに傾くのか

 確かにセミナーはA夫に対して効果があった。

 B妻も子ども達もそう思った。


 暴力も怒声もなくなり、保育園に子どもをあずけることができて、B妻の精神も回復してきた。

(このままなら仲良く暮らしていけるかもしれない)

 そうB妻は期待した。


 A夫は「さらに上のセミナーを受けたい」と希望した。

 お高いセミナー料金なので「とても生活費から出せない」と話すと、「バイトする」とA夫は言った。

 

 最初、平日は会社員として働いているA夫は、土日に会社関係のバイトをしてセミナー代を稼ぎ、前払いして約束を果たしていた。

 それが崩れたのは、セミナー側が「このコースを受けている途中でこのコースを受けると効果がよりわかります」だの「今なら何万円引き」だの言い始めたくらいからだった。


 この時、B妻が「いや前払いって約束だったよね」とつっぱねれば良かったのだろうが、追加のセミナーを受けることに「約束が違う」と反対すると「結局、俺の希望はなにも通らないんやな」とまるでA夫を全否定したかのような反応を返され、B妻はしぶしぶながら許可してしまったのだ。


 しかも聞くと、あるコースでは、支払い前に説明がなかったにも関わらず、「受講途中で新しい受講者を2人連れてこなければ、このコースはこれ以上は受けられません」といった内容だった。


 B妻はその話を聞くと(あやしすぎる)としか思えなかった。(いわゆるマルチ商法じゃないか)と。


 実際、その説明を受けて、セミナーを受講途中でやめた人がいたらしい。B妻は真っ当な反応だと思った。

 しかしA夫は、「やり始めたからには最後までやりきりたい」と、一見ごくまともな考えから続けてしまった。

 セミナーメンバーのSNS会議の様子を垣間見れば、他にも「勧誘するのが難しい」「なにか違うような気がする」といった意見が見られた。


 しかしそのたびに、SNSメンバー内にいる先輩メンバーが、「大丈夫、説明もだんだんうまくなるよ」だの「いいことは広めないと」だの「みんなに知ってもらわないのはもったいないよね」的な内容を書き込み、「そう言われたらそうかな」という流れになっていた。


 そのときはまだ、A夫も半信半疑でセミナーを信じ切れていない感じだった。


 B妻はA夫からすすめられたのと、いったいどんなことをしているのか興味を持ったので、セミナーの説明会に参加した。


 一度目はまさにA夫が最初に受けたセミナーの後だったからか、その場にいる受講者たちが皆ハイテンションで、「受講すれば人生が変わる!」「ぜひ受けて!」「受けなきゃ損だよ!」という感じだった。

 そんなテンションの受講者やかつて受講した先輩メンバーに囲まれ、受講するという契約を結ばなければその場から帰れないくらいに盛り上がっていた。ちなみに夜11時過ぎである。


 講師の話も、先輩メンバーの受講して成功した体験談も、普通に興味深いものだったが、演劇部に所属していたことのあるB妻からすると、どこか演劇めいているようにも感じた。(みんな劇団風でうまいなー)とB妻は思った。


 講座の内容は、昔スピリチュアルやら占いやら心理学にハマったB妻から見ると、(いろんな内容をうまくひとつにまとめているなー)という感じだった。(その知識量やまとめる手間暇を考えると値段分の価値はありそうだ)とは思った。


 しかし今現在B妻は、すでにそのジャンルへの興味は落ち着いている。家計に余裕もない(受講費は数万円〜数十万円)。「お金がないから」と受講を断ると、「大丈夫。値段分の価値はあるよ」と返される。


 それはそうかもしれないが、「拘束時間が長くて、とても乳幼児の母親である自分は受講できない」と言えば、「旦那さんがみてくれるよ、ね?」とA夫にふり、A夫も笑顔で頷く。


(いやいやいやいや。子どもをあずけるのに不安しかない)


 すっかり冷静になったB妻は、とりあえず受講する手続きをとり、あとから精神科医から止められたという理由でクーリングオフをした。

 実際、精神科医に相談したところ「あやしいですね。行かない方がいいですよ」と言われた。


 A夫がセミナーを受けて変わった部分は、今までB妻が解説しようが、本を何冊も渡そうが、講演会を聞こうができなかったアンガーマネジメント(怒りのコントロール)ができるようになったことだ。怒った状態の自分を後から振り返られるようになった(それでも毎回ではない)。


 詳しくはわからないが、どうもセミナーでは、いろんなパターンの状態をひとつひとつ独自のネーミングをつけて解説してくれているらしい。それを知ったことで、A夫は初めて自分を第三者的に考えらるようになったのだ。

 (振り返りができるなら、現在進行形でも若干冷静に考えられるだろう)とB妻は思った。なにしろ「覚えておく自分」がその場にいないと覚えることすらできないからだ。


 アンガーマネジメントをできるようにしてくれたセミナーの功績は素直に素晴らしいとB妻も思えた。

 あのいつまで続けたらいいのかわからないメール地獄を思えば、本当にすごいことだった。

 

 セミナーでは、会場の参加者100人弱から受容と承認が得られる。

 自分の意見に対して100人もの人たちが笑顔で拍手してくれたら、そりゃあ嬉しいだろう。

 B妻は(きっと大規模な受容と承認があって、A夫は変われたんだな)と思った。そして(そんな規模を疲れ切ったイチ個人に求められても無理だわー)とも思った。


 しかし、ネットの書き込みには「三日程度で人生変わるくらいの簡単な人生なのか」とセミナーを否定的に書いてあったり、精神科医も「短期間でトラウマを克服するのは難しい」と言っていたりもした。それはその通りだとB妻も思う。(一瞬でトラウマを乗り越えられるのは二次元だけだ)。


 でも、(気持ちが変わるキッカケなら、ただ誰かの何気ない一言であったり、たまたま聞いた曲であったり、風景であったり、といった些細なものでもなり得る)ともB妻は思う。

 それは、恋をすれば世界が輝いて見えるのと同じことで、ただ、世界を見る人の目がどう変わるかだけなのだ。

 

 A夫にはセミナーという世界を見る目がハマり、B妻にはセミナーは必要なかった、それだけなのだ。

 本来なら、それだけの話なのだ。

 

 微妙に引っかかりは感じるものの、A夫は充実してそうだった。

 100人単位の知り合いが増え、毎日のようにSNSで成果を話し褒め称え合い、毎週セミナーへ手伝いに行き、と家にいる時間は少なくなり、家にいても電話かSNSをしていて、子ども達はもちろんB妻と会話はおろか顔を合わす時間もない。

 ある意味、B妻と子ども達にはとても平和な日々だった。


 しかし、毎週土日はセミナー、平日も仕事の後にセミナーへボランティアに出かけ、だんだんと睡眠不足となり(セミナーは早朝から夕方か夜9時か夜11時過ぎまであり、一番長いと朝6時過ぎに家を出て帰宅する頃には深夜0時をまわる)、休む時間がない状態になると、イライラしたA夫が子ども達とB妻に八つ当たりのように怒ってくるようになった。


 聞こえてくる電話の内容も、最初は「今週の目標」だの「今日はこれができた」だのだったのが、「いかにセミナーに集客するか」で、いつか説明会で聞いたような「私はセミナーを受講してこう変わりました!」な体験談を電話口で話し、アドバイスを受けている様子は、まるで演技指導をしてもらっているかのようだった。


 いつの間にか「セミナーを受けて自分を変える」のではなく「いかにしてセミナーに集客するか」になっていた。


 B妻はA夫に言った。

「セミナーを受けて勉強になった、変われた、良かったね、で終わったらいいんだよ」

 しかしA夫は言うのだ。

「それを第三者に伝えられてこそだ」

 どうやらそれがセミナーの教えらしい。

「いやいや、それはセミナー会社の仕事であって、受講者の仕事じゃないよね」と言っても「それはB妻の考えだ」と伝わらない。


 B妻が、A夫の体を心配して「熱があるならセミナーは休んだら?」と言えば「会社は休めるけど、セミナーは休まれへん」と返される。


 そのうち「セミナー代を稼ぐためにネットワークビジネスがしたい」と言い出した。


 最初は健全なバイトでセミナー代を稼いでいたA夫だったが、平日夜や土日にセミナーに行けば、平日に働いているA夫にはバイトをする時間がない。だから不労収入を志したらしい。


(セミナー代は数万円から10数万円のコースがあり、A夫はすでに約70万円分支払って複数講座を受講済みだ)


 B妻にとっては、ネットワークビジネスと呼ぼうが、マルチ商法と呼ぼうが、すべてネズミ講である。


 ずいぶん昔、久しぶりに懐かしい友達が遊びに来るというので楽しみに待っていたら、見知らぬオバサンも一緒にきて家にあがりこみ、なにやら高い薬をすすめてきたのを思い出した。

 その後、すぐにその友達に「あれはネズミ講だからやめといた方がいいよ」と伝えたが、その友達は「大丈夫。私も不安に思って本社に聞きに行ったけど、ちゃんと社長さんが説明してくれたよ」と答えた。全然大丈夫じゃない。結局、その友達とのつきあいがなくなったあと、風のたよりにその道から手をひいたらしいと知ったが、交流が戻ることはなかった。

 

 それをしようと言うのか、とB妻は戦慄した。

 (その友達が家に来た時にはA夫もいて、後から一緒に憤慨したのではなかったのか。せっかく久しぶりに会えると楽しみにしていたのに)と。


 A夫にそのことを覚えていないのかと聞くと「今はその友達とビジネスは別で考えられるようになった」と言う。

 では、友達のことは気にくわなかったけど、ビジネスはオッケーということだろうか。


 「私もそうだけど、マルチ商法をする人を嫌う人は一定数いるから、友達がいなくなるよ」と言えば「それで離れるなら最初から友達じゃない」と言う。

 「他人の人生に関わることを安易にすすめるのはやめた方がいいよ」と言えば、「それを選んだのは本人の責任だ」と言う。


 確かに選んだ本人の責任かもしれないが、すでにB妻は、A夫にセミナーをすすめた相手を、二度と自分から関わりたくないくらいには苦々しく感じている。その相手が信頼される立場であっただけに、勝手に裏切られたような気持ちになっていた。


 B妻にとって、ネットワークビジネスをするということは、そういう恨みのような感情を受け続けるということなので、関わりたくないのだ。


 A夫はネットワークビジネスの商品について熱弁をふるうが、B妻は商品内容に不満があるとかではなくて、自分から無駄に恨みを買いたくないし、ネズミ講の考え方が納得できないのだ。

 頑張ったら報われるわけではなくて、最初に近い人だけがうまい汁を吸う、それが嫌なのだと伝えても、「それはB妻の考え方やろ」と返される。

 今までなかった切り返しなので、おそらくセミナーからA夫も、そんな風に言われているのだろう。

 ネットワークビジネスについての解説サイトを見せて「そんな簡単にうまい汁は吸えないよ」とこんこんと説明すれば、「やってみなくちゃわからないだろ」と、いかにも良い言葉を使うA夫。


 言葉としてはいい言葉だし、間違ってもいないが、B妻にとっては、明らかにマズいことなので止めているのだ。

 言うなれば「人殺しはやめとけ」レベルなのに、「やってみなくちゃわからない」わけがない。違法すれすれで明らかに損しかしないからひき止めているのに、「違法じゃない。素人がなにを言っているのだ。失敗したら納得できるから、とにかく1回やらせろ」とまで言う。


 セミナーを受ける前までは「じゃあもういい」と、A夫とは話し合いもできなかった。セミナーを受けてからは、話はできても「それはB妻の考えだ」と、結局話し合いにはならない。


 B妻は、A夫が遠くの存在になったように感じた。

(誠実で嘘がなく話しやすいA夫はもうどこにもいないのかー)

 

 そしてB妻は、もはやこのことを、誰かに相談する気にもなれなかった。


 なにしろ、今まで相談してきて、言われたことを一文でまとめれば「そうなったのはB妻が悪いから」なのだ。

 今回のことを相談したところでなんと言われるか、ボンヤリしたB妻にだって予想できる。


「B妻の話し方が悪いんでしょ」

「とにかくB妻が止め続けるしかない」

「B妻がもっと早く止めれば良かったのに」

 

 B妻が頑張ったことなど理解されず、助けを求めたところで周囲の反応は「B妻の夫なんだからB妻がどうにかしろ」でしかないのだ。


 どれだけ言ってもA夫には伝わらず、B妻が働けない限りA夫とは離れられない。楽になりたくて自殺しようにも、自分が死ぬと子供にトラウマを残すことになるし、かといって子供と心中するのも子供の未来を潰すことに変わりはない。


 今のB妻には、いじめを学校にうったえていた母娘が心中した気持ちが、ブラック企業に勤めていて会社をやめずに自殺した会社員の気持ちがわかる気がした。

 伝わらないのだ。

 どれだけ伝えたところで伝わらず、ならばと何度もうったえればうったえるほど責められるだけで、しんどい状況を少しも変えられないのだから、もはやこの世界に希望を見いだせなかったのだろう。


 B妻が死への道を選ばないのは、子どもの存在があるからに過ぎない。

 今生きて目の前にいる子どもたちの存在が、B妻を死への誘惑から引き止めている。

 子どもたちの未来を奪わないために、あがきぬくしかないのだ。


 身動きが取れないうちに世界で妙な病が流行りだした。病はあれよあれよと言う間に広がっていった。

 

(この病は私の願望かもしれない。私だけじゃない。世界中にいる、どうにかしたくてもどうしようもできない人たちの願望がカタチになったのかもしれない)


 B妻はいつか読んだ超能力を持った兄弟が活躍する物語を思い出した。


 --世界の行く末は、すべての人の多数決で決まる。


(もしもそうなら、病を憂う人と病を歓迎する人、どちらの数が多いのだろう?)


 B妻はひっそりと笑った。

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