自転車店員の彼女と付き合ったんだが『様』呼びは続いている件

古城ろっく@感想大感謝祭!!

前編

 秋晴れの空。何の変哲もない住宅地。

 金曜日の夕方に、二人の学生が自転車をゆっくり走らせていた。


「アキラ様。今日はありがとうございます」

「いや、俺もルリと一緒に買い物ができて、よかったよ」

 ロードバイクにパニアバッグを付けた少女、ルリ。そしてクロスバイクに乗って大きなバックパックを背負ったアキラ。二人はちょうど買い出しのために、近所のスーパーに寄って来た帰りだった。

「いやー、俺一人だと買い物も面倒くさくてさ。今日みたいに楽しく回れたのは、久しぶりだった」

「分かるような気がします。私も、あまり自発的に買い出しには行かないので」

 二人とも、大学に通うために田舎からやってきて、一人でアパートに住んでいる。そりゃ買い出しも必要になるのだが、生活必需品とは、1日や2日無くても何とかなるものが大半だ。なので、面倒くさいと我慢してしまうことも多い。


「それにしても、ルリ。今日は随分とゆっくり走るんだな」

 いつものサイクリングなら、同じくらいの荷物を積んでいても、もう少し飛ばす癖があるルリ。そんな彼女は今日、ママチャリにさえ抜かれそうなくらいゆっくり走っていた。

「そうですね……ゆっくり走りたいんです」

 前を走るルリの顔は、アキラからは見えない。もっとも、見えたところで彼女の表情は分かりにくく、何を考えているのかなんて読めないのだが。

(ま、読めないなら訊けばいいか)

 最近、アキラもルリの扱いが分かって来た。付き合い始めてもう半年以上が経っている。だんだん遠慮も無くなり始めるというものだ。

「どうしてゆっくり走るんだ?」

「……そうですね。理由は大きく分けて3つです」

「1つ目は?」

「アキラ様が一緒だから、ですね。私が本気を出したら、アキラ様を置き去りにしてしまうので」

「うっ!」

 走っている最中のアキラの胸に、前方のルリから強烈な一撃。実際に実力差はあるので、反論は出来ない。

(ルリの奴。その細い身体のどこに、普段のあの速度を維持する力があるんだろうな……)

 結論から言えば筋力ではなく、肺活量と心拍だろう。

「アキラ様、もしかして傷つきましたか?」

「いや、今更だろ。……で、2つ目は?」

 3つあるらしい理由の、2つ目を訊く。


「そうですね。2つ目の理由ですが、この道路が危険だからですね」

「危険?」

 アキラは道を改めて見直す。どこにでもあるような狭い道だ。狭いと言っても、ちゃんとセンターラインのある片側1車線ずつの道路。自動車がすれ違うには決して危険はない道幅である。

 歩道はない。が、だからこそ自転車は堂々と車道を走れていた。アキラに言わせれば、歩道がある道の方が走りにくいのだ。歩道を走れば歩行者に道をふさがれ、車道を走れば自動車にクラクションを鳴らされたりするから。

 そして、見通しのいい直線でもある。交差点もたまにあるが、きちんと信号機があるので恐怖は感じない。

「この道の、どこが危険なんだ?」

「いろいろです。というより、いくつかの要素が複合して危険なんですよ。こういう『どこにでもある住宅地』というのは――」

「え?」

「あ、ちょうどいいですね。少し休みましょう」

 ルリがゆっくりとブレーキをかけて、自転車を停める。緩やかなカーブに差し掛かるそこは、一角が広くなっていた。車が1台停車できるギリギリくらいの場所だ。

「で、どこが危険なんだ?」

「まず、この道路の『歩道が無い住宅地』という状況ですね。おかげで住民たちは、まずいきなり路側帯や車道に出てくることになります。私たちはキープレフトする都合上、ブロック塀のギリギリを走る形になるわけですが……」

「ああ、そっか。タイミング次第では、最悪の事故もあり得るってわけか」

「はい」

「でも、ブレーキをかければ止まれるだろ」

「まあ、止まれますけど、足は地面に着けませんよ」

「何で?」

「この路側帯、すぐ横が側溝なんです。さすがに住居の出入り口にはコンクリートの蓋がされていますが、それ以外の場所はグレーチングすらありませんから」

「あ、そうか。足を着こうと思ったら、そのまま側溝に落ちちゃうのか」

「はい。自転車の場合、車体より外側に足を着かないと安定して止まれないので、走っている間は横幅を取らなくても、止まるときに少し場所を取るんですよ。といっても、本当にほんの少しだけ。例えば歩行者が大きなバッグを抱えた時くらいの幅ですが」

 そのバッグひとつの幅でも、急に必要になるというのが困るところだ。一応、アキラもルリもスタンディングスティル――つまりペダルに足を乗せたまま止まる方法を習得してはいるが、今日みたいに荷物の多い日は上手くいかないものである。


「あ、でもさ。車道の中央によってから止まったら……」

 言いかけて、さすがにアキラも気づいた。

「……その場合は、後ろから来た自動車が怒るか」

「はい。自動車から見れば、自転車が急に飛び出したようにも見えるでしょうね。ふらふらと」

「よくSNSなんかで『自転車が急に外側にはみ出してきた』みたいな話を聞くけどさ。あれって……」

「どのくらいの割合なのかは知りませんが、私の経験上、多くの場合が理由のある行動です。今の話のように、歩行者を避けるために膨らんだとか、あるいは轢かれていた動物の死骸や、捨てられているゴミを避けたとか」

「ああ、わかる。ちょっとしたゴミでも自転車だと目につくんだよな。自動車なら気づかないだろうし、車体が重いから踏んだことさえ気づかないんだろうけどさ」

 例えば猫や空き缶でさえ、自転車にとっては衝突したら自分も無事では済まないので避ける。が、轢かれた猫や潰れた空き缶を見て分かる通り、自動車はさほど気にしないし、そもそも気づかないのだ。

「法律だと、その辺はどうなってんだろうな。やっぱ車道の中央に膨らんだ自転車が悪いのか?」

「いいえ。法律上の話をするなら、自転車が目の前にいることを理解していながら、車線変更もせずに無茶な追い越しを仕掛けた車のほうに非があることになります。……が、それも実際にぶつかったら論点になるだけですからね」

「警察にしょっぴかれる事は稀って感じか」

「ええ。実際、罰則を受ける可能性が低いなら、案外誰でも違反はするものですよ」

「ルリでも?」

「……少なくとも、最近は気を付けています。どこで誰が見ているか分からないですし、業務上の都合が悪いので」

 自転車店でアルバイトをする看板娘。そんな立場のルリだからこその事情だ。実際、ロードバイクに乗る女子が少ないので、どこを走っていてもそれなりに目立つという側面もある。

 逆に言えば、知り合いのいないほど遠くへ行ったとき、彼女もまた多少の違反行為はするかもしれないという事だろう。意外といえば意外な一面だ。


「歩道が整備されていれば、こんな事も気にしなくていいのかもな」

「ええ。あるいはこの側溝をふさいでくれるだけでも、もう少し違うのですけどね」

「家から出てくるとき、必ず歩行者が左右確認してから出てくる、っていうのは?」

「まあ、いい解決策だと思いますが、他人に期待しすぎだとも思います」

「だよな」

 自転車を停めて、道路談議をしながらの休憩。そのおかげで、少し身体が冷えてきた。この季節は、動きを止めると寒い。

「そろそろ行くか」

「はい。それでは、今度はアキラ様が先頭で」

「はいよ」

 自動車が来ないことを確認して、いつもよりもゆとりをもって車線に復帰するアキラ。一人の時と違って、後ろをルリが付いてくるのだ。少なくとも2台ぶんの間隔が確保されるのを待つ。

「よし、行くか」

「はい」

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