第31話「正しさと優しさの間」
「ここで、死んでいただけませんか?」
そんなこと、出来るはずがありません。
「どうして、そんなに悲しい顔をしているの?」
本当は、私を殺したくなどないのでしょう?
「話してください。力になるわ」
「どうして……」
「私は、貴方の婚約者だもの」
「婚約を受け入れてくださったこともそうです。かりそめだと言って引き受けてくださいましたが、貴女は何の見返りも求めない。なぜですか?」
「貴方が、公正で勇気のある立派な騎士だから」
「私の、何をご存知なのですか?」
「あの日……五人目の被害者が亡くなった日です。貴方は、ご友人のために声を上げたわ」
「大したことではありません」
「いいえ。状況からすれば、ご友人は十分疑わしかった。下手に
あの場で声を上げたことで彼は救われましたが、下手をすればミロシュも逮捕されていたかもしれません。
「それでも声を上げた。それに、彼の無罪を主張するのではなく『事実を明らかにしろ』と訴えた」
だからこそ、あの場が収まったのです。
「そんな貴方だから、立派な当主になれると思ったのです。それなのに、お母様の身分が低いというだけで立場が低くなるだなんて。私は、それが許せなかったのです。それだけの理由です」
ミロシュの瞳が、わずかに揺れました。
その手に握ったままのグラスを取り上げます。
中身は、庭にまいてしまいましょう。
──バシャッ。
「なぜ……。私は、貴女を殺そうとしました」
「私は毒を飲んでいませんし、その毒ももうありません。貴方の罪は存在しないわ」
「いいえ。私は、貴女の思うような立派な人間ではありません」
がっくりと項垂れたミロシュの肩に触れると、わずかに震えていました。
「自分の
彼が語ったのは、こういう事情でした。
ミロシュの父親は医師です。
その父親が、連続毒殺事件に使われた毒を提供していたのだ、と。
父親は、弟のアドルフの
一人目の息子は侯爵家の跡取りとして差し出すことになっていたので、次男は彼の跡を継ぐことになっていました。ところが、その大切な次男坊は遠く戦地で亡くなってしまったのです。
父親の元に届いたのは、遺品である剣とわずかな遺髪だけでした。
「それで、私を恨んでいるのね」
「はい。『獅子姫さえいなければ』それが父の
そんな父親の元に、一つの噂が舞い込んできました。
とある令息が『婚約者を殺してしまいたい』とこぼしていた、というのです。
それは小さなクラブでこぼされた、愚痴とも呼べるような言葉です。
しかし、それが巡り巡ってミロシュの父親と繋がってしまった。
「ここからは私の推測も含まれますが、おそらく間違ってはいないでしょう」
父親は、人を雇ってその令息に近づきました。
【殺したいなら、良い方法がある】
それが、令嬢連続毒殺事件の始まり。
父親が令息に渡したのは、一杯の酒に数滴垂らすだけで人を死に追いやる猛毒でした。
【よいですか。一人だけ殺しては、貴方が疑われます。他にも婚約者と揉めていると噂の令嬢を殺すのです。そうすれば、貴方だけが疑われることもない】
父親が提供したのは毒だけではなかったのです。
【次々と令嬢が殺されれば、事件は迷宮入り。確たる証拠がなければ逮捕されることはありません。十分に気をつけて。誰にも見られぬよう、毒を入れるのです】
連続殺人事件は、犯人の目的を
そうなれば、彼の犯行だと疑われたとしても言い逃れができる。
父親は、男に
【毒とその知恵の対価に、シーリーン・アダラート公爵令嬢を殺してください】
それが、真相です。
「ですが、私は他の令嬢と状況が異なります。私は婚約者と揉めてなど……」
「私が貴女に求婚したのは、父の勧めがあったからです」
【なんとかして侯爵位を継がせてやりたい。そのためには、とにかく身分の高い婚約者が必要だ。シーリーン・アダラート公爵令嬢ならば、他に求婚する者もいないだろう】
父親は、そう言ってミロシュを説得しました。
「私が貴女と婚約したので、今夜毒殺が決行されたのでしょう。貴女が亡くなってから、父から『実は揉めていた』と証言すればいい」
「ミロシュは、知っていたのですか?」
「何も。父は、私には何も話してくれませんでした」
息子を侯爵家の当主にしたいという思いは本当だったのでしょう。
父親は、ミロシュに事情を隠したまま協力させようとした。もしも自分が逮捕されても、その罪が彼に及ばないように。
「では、どうして真実を知っているのですか?」
「調べました。いろいろなツテ……人には言えないようなツテも使って」
「犯人が捕まりましたから、貴方のお父様も?」
「いいえ。おそらく騎士団が父にたどり着くことは出来ないでしょう。あの男とのやりとりには、何人もの人を雇って間に入らせていましたから」
「そもそも貴方のお父様を疑った上で調べなければ、真実にたどり着くことはできない、ということね」
「その通りです」
ミロシュの両手が、その榛色の輝きを覆ってしまいました。
「私は弱い人間です。私は騎士として息子として、正しい行いをしなければなりません。父親の罪を明かし、共に罰を受けるべきです。しかし……」
その気持ちは、痛いほどに分かります。
私にも、愛する父がいましたから。
「お父様を、犯罪者にしたくないのね」
公正で勇気がある。それ以上に、優しい人なのです。
彼は今、正しさと優しさの間で苦しんでいます。
「情けないです」
「いいえ。情けなくなどないわ。貴方は立派よ」
「なぜですか」
「私に話してくれたのだもの。もう、答えは出ているのでしょう?」
ミロシュが、ハッと顔を上げました。
「剣と誇りに賭けて答えてください。貴方の望みは何ですか?」
騎士として何をすべきなのかを、彼はきっと知っています。
「罪の意識を抱えたまま、お父様と暮らすことですか? 次期侯爵になることですか?」
苦しみの果てに、答えを出すことのできる人です。
「……ありがとうございます」
「もう、大丈夫ね」
「はい。……短い間でしたが、ありがとうございました」
この婚約も、今夜限りです。
それでも……。
「こちらこそ、とても楽しかったわ。これからも、どうか仲良くしてくださいね」
「これからも?」
「ええ。私たち、
「……そうですね」
ようやく、ミロシュの顔に笑みが戻ってきました。
「なぜ、私のことをそこまで信頼してくださるのですか?」
「貴方は、アドルフ・バルターク卿のお兄様だもの。彼は、素晴らしい騎士でしたから」
死の淵にありながらも、笑顔を絶やさなかった。
敵国の人間である私にすら、感謝の言葉を忘れなかった。
──私のことを、女神様だと言ってくださった。
本当に、素晴らしい騎士だったのです。
榛色の瞳が、ゆらゆらと揺れました。
私にできることは、ポタリ、ポタリと落ちる涙を、そっと拭って差し上げることだけ──。
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