第25話「森の獅子」


 『救貧きゅうひんの英雄』と呼ばれるようになった私には、いくつかの変化がありました。


 一つ目は、社交界での扱いです。


 外国人とはいえ『公爵令嬢』の身分がありましたから、元々とても丁寧に対応されてはいました。しかし元は敵国の人間ですから、距離を取られて陰口をささやかれるのが常でした。哀れなもの、嫌いなもの、そういう目を向けられていました。


 ところが、そういった視線がぐんと減り、親しみと尊敬の眼差まなざしを向けられることが多くなったのです。


「貴女の出自ではなく、貴女自身の素晴らしさに皆が気付いたのですよ」


 そう言ってくださったのは、リッシュ卿でした。

 今日は、新しい屋敷の調度品ちょうどひん選びにお付き合いいただいています。

 これが二つ目の変化。


 私たちは、大きな屋敷に引っ越しました。


「それにしても、こんなに大きなお屋敷では持て余してしまうわ」


 皇帝陛下から与えられた屋敷は、それはそれは大きな屋敷なのです。

 一階には大小合わせて三つのサロンと食堂、温室まであります。

 二階には寝室が十部屋ほど。化粧専用の部屋に衣裳室、浴室もあります。

 庭は前の屋敷の五倍はあるでしょう。屋根裏の使用人部屋も十倍ほどになっています。


「先ほども申し上げたように、社交界での立ち位置がずいぶんと変わりました。これからは、夜会やお茶会を主催することも増えるでしょう」


「そうね」


「屋敷の広さとしては、このくらいが妥当です。前の屋敷が小さすぎたんですよ」


「そうみたいね。でも、調度品を選ぶだけでも一苦労だわ」


 一通りの家具を決めて、今は休憩中。

 半日以上の時間がかかっていて、正直とても疲れています。


「しかし、良いこともあるでしょう?」


「ふふふ。そうね」


 リッシュ卿の言う通り、屋敷が大きくなって嬉しいこともあります。

 使用人の人数を増やすことができます。

 庭からは子供たちの笑い声が聞こえてきます。今日は天気が良いので大物の洗濯を教える、とナタリーが話していました。


「子供たちにとって、ここは天国のような職場になるでしょうね」


「あら。厳しく鍛えるわよ」


「そうして一人前のメイドやフットマンになった子供たちを、他の屋敷へ送り出すのですね?」


「ええ」


「誰も損をしない、みんなが幸せになれる。素晴らしい事業です」


「そうね」


「貴女がなされば、真似をする貴族も出てくるでしょう」


「そこまでの影響力があるかしら?」


「ありますとも。いまや、貴女がバンベルグの貴婦人たちの流行の最先端ですよ」


 刺繍も上手く流行に乗りました。

 工房は大忙しで、フェルメズ王国からも職人を呼び続けています。三軒目の工房も、順調に稼働していると聞いています。

 裏通りに店を構えていた『アンナ&リリア』は、表通りに二店舗目を出店しました。


「さて。それでは、休憩はこれくらいにして。続きを見ましょうか」


 リッシュ卿が合図すると、部屋の外から布のかかった板のようなものが運び込まれて来ました。


「今度は何を見るのかしら?」


「絵画です」


 布を取り去ると、色とりどりの絵画が姿を見せました。

 大小様々な絵画が、どんどん部屋に運び込まれて来ます。


「……困ったわ」


「どうされました?」


「私、絵の良し悪しはわからないのよ」


 そう言うと、リッシュ卿が笑いました。


「良し悪しなどいいのですよ。貴女の好きなものを選んでください。ここにお持ちしたものは、どれを飾っていただいても恥をかくようなことはありませんよ」


「そう?」


 そう言われてしまっては、仕方がありません。


「うーん。食堂には、この絵にしましょう。温かみがあるわね」


「では、季節によって掛け替えられるように、こちらの絵も合わせて購入しましょう」


「サロンには、ドレスのお嬢さんたちがいらっしゃるから。あまり派手な絵画ではない方がいいと思うのよ」


「その通りですね。では、こちらの風景画はいかがですか? 色使いが優しいので、どんなドレスの方がいらっしゃっても邪魔をすることはないでしょう」


 などなど。

 リッシュ卿が的確なアドバイスをしてくださるので、絵画選びは思いのほかスムーズに進みました。

 疲れている私に気遣ってくださったのかもしれませんね。


「最後に玄関ホールに飾る絵画です。こちらはお客さまが一番最初に目にするものですから、屋敷の印象を決めると言っても言い過ぎではありません」


 運び込まれて来たのは、大きな絵でした。

 玄関ホールの正面の壁に、ちょうどよい大きさです。


「これだけは貴女のために、この屋敷のために描き下ろしてもらいました」


「まあ」


「といっても、新進の画家ですから、有名になるのはこれからですね」


「リッシュ卿が選んだ先生なのでしょう?」


「はい」


「では、きっと出世なさるわね」


「ええ」


 布が取り払われると、まず目に入ったのは新緑が輝く森の景色です。

 その森の奥には透き通るような湖が描かれています。

 湖のふちに、一頭の獅子がいました。

 黄金のたてがみを風に揺らしながら、黒々とした瞳がこちらを見つめています。

 その瞳は、宝石のようにキラキラと輝いています。


「獅子の瞳には、砕いた尖晶石ブラック・スピネルを使いました」


 いつの間にか、部屋の中に一人の青年が立っていました。

 猫背が特徴的な彼が、この絵を描いた画家でしょう。


「本物には到底及びませんが、手を尽くしました」


「本物?」


「本物の『獅子姫』は、もっともっと美しく、気高く、神々しい……」


 画家が、うっとりとした表情を浮かべて私を見ています。

 少し足が引けてしまったことは、たぶん仕方がないことです。


「ああ、もっともっと精進しなければ。貴女の美しさは、こんなものではない……!」


 画家はいつの間にか取り出した板に紙を敷き、スケッチを始めてしまいました。


「えっと……」


「ちょっと、変わった人なので。貴女に会いたいというので連れて来ましたが、退室してもらいますか?」


「いいえ。このままでいいわ。彼が満足するまで付き合いますよ」


「ありがとうございます。彼は、貴女の美しさに感銘を受けて、ここのところはずっと貴女ばかりを描いています」


「そうなの?」


「彼は男爵家の次男で、貴女を見るためだけに夜会に通っているんですよ」


「まあ」


「その情熱を見込んで、貴女の肖像画・・・を依頼したのですが……」


「出来上がったのはこの絵だった、と」


「はい。……彼の目には、貴女の姿はこんな風に見えているのですね」


「嬉しいわ」


「きちんとした肖像画を描かせてもいいのですよ?」


「いいえ。素晴らしい絵だわ」


 本当に。

 私を描いていたら獅子の姿になってしまった、とは。

 そんなに嬉しいことはありません。


「これは、私からの贈り物です」


「よろしいの?」


「ええ」


「先日も宝石をいただいたばかりだわ。その前には、素敵なドレスを」


「どれも貴女にお似合いになるだろうと選んだものです」


 嬉しいのですが、困ってもいます。

 リッシュ卿からの贈り物は、どれもこれも高価なものばかりなものだから。

 訪ねてくるときには、花束を欠かしたこともありません。

 本来であれば、男性が恋人に贈るようなものばかりです。


「……私にではなくて、意中の女性に贈り物をした方がよいのではないの?」


 そう言うと、リッシュ卿がため息を吐きました。


「そういうところですよ、シーリーン嬢」


「どういうことなの?」


「あまり深く考えないでください。私は貴女に・・・贈り物をしたいのです」


「私は、その理由が知りたいのだけど」


 リッシュ卿が、困ったように眉を下げました。


「それをお話しするには……まだ少し、陽が高いようです」


 陽の高さと、いったい何が関係しているのでしょうか。

 首を傾げる私に、リッシュ卿は朗らかに笑っていました。

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