第19話「過保護な騎士」
二つ目の出来事は、シュナーベル卿の様子の変化でした。
仮病を使って一人で皇宮へ赴いた日以降、シュナーベル卿の様子が変わってしまったのです。
「どちらへ行かれるのですか!」
「ちょっと庭に出るだけよ」
「お供します!」
「もう夜更けです。帰りましょう」
「まだ誰とも踊っていないわ」
「必要ありません。帰りましょう!」
「休まなくてもいいの?」
「自分は、お嬢様のそばを離れません」
「でも、少しは休まないと」
「お部屋の前で仮眠はとっています。問題ありません」
問題だらけです。
終始この調子で、私のそばから一時も離れようとしないのです。
「ちょっと出かけてくるだけだから、休んでいていいのよ?」
「いえ。お供します」
今日もこの通り。
本当に少し出かけるだけなのですが。お供にはイヴァンもいますし。
仕方がありませんね。
「イヴァン、先に行ってこれを渡してちょうだい」
ちょっとしたお願いを手紙に書いてイヴァンに預けます。
「がってんだ!」
一人前の騎士になったというのに、普段の礼儀作法はこれです。
身内しかいない場所とはいえ、気をつけなればなりません。
「……」
無言で見つめ返すと、その唇が尖ります。
「……承知いたしました、お嬢様」
「よろしい」
イヴァンが手紙を届けてから準備もあるでしょうから、私たちは少し遅れて出発します。
「馬車は使われないのですか?」
「ええ。街を見たいわ」
「……承知しました」
私が歩く後ろから、シュナーベル卿がついて歩きます。
街歩きは初めてではありませんが、とても気を張っていることが伝わってきます。
「もう一人でどこかへ行ったりしないわ」
「……」
何度も伝えていますが、顔をしかめるだけで納得してくれません。
私が一人で出かけてしまったことに、よほど腹を立てているのでしょう。
それでも、今日はなんとしてでも休んでもらわなければなりません。
「これ、ください」
甘くて美味しい果物は、私もシュナーベル卿も好んで食べますから。
「まあ、素敵なレースね」
ショーウィンドウから店の中を覗き込みます。
白いレースが飾られている店は、テーラーでしょうか。
「ほら、見て。フェルメズの刺繍が置いてあるわ」
他の店には、フェルメズ王国から輸入された刺繍の布が出ていました。
商隊は順調に商品を運び込んでおり、首都には徐々に流通が始まっています。
かなりの人気で直ぐに売り切れてしまうそうです。
その店でも、若い娘たちがこぞって商品を眺めていました。
「かなり手頃な値段で卸しているのですね」
「ええ。まずは安価なものから流通させて、高価な素材を使ったものや最高の職人の作なんかは、その後にと考えているのよ」
「なるほど」
商売の方も順調なようで、心持ちがほくほくと温まります。
「嬉しいですか?」
「ええ。とても」
私が言うと、シュナーベル卿も微笑みます。
ゆっくり街を歩いて、少しは機嫌が直ったでしょうか。
さて、太陽が西へ傾き始めました。
今日の目的地へ向かいましょう。
「お邪魔します」
訪ねたのは、一軒の小さな家です。
「ようこそいらっしゃいました。シーリーン様!」
出迎えてくれたのは黒い髪、黒い瞳を持つ女性。
フェルメズ人です。
「お邪魔するわね」
「どうぞ!」
招き入れられた家は、懐かしい空気で溢れていました。
刺繍の布が壁を彩り、金と銀の美しい細工の調度品が華を添えています。
私の後に続いたシュナーベル卿が目を瞠っています。
「美しいでしょう?」
「はい。とても」
「ふふふ」
褒められて、女性も嬉しそうに微笑みます。
彼女はフェルメズ王国から招いた刺繍職人の一人です。
ここは、職人たちの工房兼住まい。
「お嬢様!」
奥から、数人の子供たちが出てきました。
道で暮らしていた孤児たちです。
手先を使う仕事を希望した子供たちが、ここに弟子入りしているのです。
「頑張っていますか?」
「はい!」
キラキラとした瞳が、彼らの生活が充実していることを物語っています。
「とても覚えが良いですね。これを見てください」
女性とは別の職人が、いくつかの刺繍を見せてくれました。
まだまだ拙い作ですが、同じ柄を何度も練習しているようです。
一つずつ丁寧に、刺し方を憶えているようですね。
「特にヨハンが覚えが早いです。小さな物なら、すぐにでも任せられますよ」
ヨハンが胸を張っています。
そのまろい頭を、そっと撫でました。
あの日、泣いていた小さな男の子。
彼もまた誰からも奪われずに生きていくために、歩み始めたのですね。
「『アンナ&リリア』から連絡はありましたか?」
「はい。早速、いくつかご注文をいただきました」
「そう。順調ね」
「はい。他にもこちらで商売することを望んでいる職人はおりましたから、まだまだ増えますし」
「よろしくお願いしますね」
「はい!」
工房の見学をした後、私たちは奥の居間に通されました。
食事の準備がされています。
「まあ、懐かしいわ」
食卓にはフェルメズ王国の料理ばかりが並んでいました。
女性に促されて椅子に座ります。
「自分は……」
同じく促されたシュナーベル卿が首を振って言いました。
「貴方の分も作ってもらったのよ。いただかなければ、彼らが困るわ」
「……はい」
渋々といった様子で椅子に座ります。
主人と食卓を共にするなど、彼の
とはいえ、ここは皇宮の晩餐会ではありません。かしこまった作法などないのです。
職人と子供たちも、次々と椅子に座っていきます。
「乳酒もありますよ!」
「乳酒?」
「羊や牛の乳を発酵させて作ったお酒よ。これは、馬かしら?」
「はい。最上級の
「ウォッカもありますよ」
「ありがとう」
さあ、ここから作戦開始です。
周囲に目配せすると、『心得ております』と言わんばかりの視線が返ってきました。
たっぷりのラム肉、ニンジン、玉ねぎを炒め、その上に米を加えて炊き上げたプロフ。
野菜と一緒に肉を蒸したジャルコエ。
ラム肉と玉ねぎの具が入ったサムサ。
肉汁の滴るマントゥ。
どれもフェルメズ自慢の料理ばかりです。
「さあ、たくさん召し上がれ!」
美味しい料理をいただきながら、たくさん話をしました。
気分の良くなった職人たちは楽器を出してきて演奏し、声を揃えて歌います。
シュナーベル卿も、気分良く手拍子しています。
美味しい料理と楽しい音楽は、最高の酒の肴です。
シュナーベル卿が、普段からあまりお酒を飲まないことは知っていました。
酒に酔うと、すぐに眠ってしまうとも話していましたね。
──いつの間にか大きな背を丸めて、机に突っ伏して寝息を立てていました。
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