第7話「貴女は、女神様だ」


「こんにちは」


 夜会の翌日。

 唐突に訪ねてきたのはエドガール・ル・リッシュ卿でした。

 今日は、騎士団の制服を着ていらっしゃいます。


「こんにちは。昨日はありがとうございました」


「こちらこそ。最高の夜でした」


「あら」


 サロンにお通しして、お茶を準備します。


「……素敵なお屋敷ですね」


 周囲を見渡していたリッシュ卿が、少し気まずそうに言ったのには理由があります。


「私一人ですもの。ちょうど良いでしょう?」


 『公爵令嬢』が住むには、いささか小さなお屋敷なのです。

 一階には庭に面した小さなサロンと食堂、厨房。二階に寝室が二つとドレスルーム。屋根裏に使用人部屋がいくつか。

 女性の独り住まいには十分な広さとは言えますが、高位貴族の品位を保つのには足りないといったところ。

 

「私は気に入っていますわ」


 帝国に歓迎されていないことは分かっています。

 私の暮らしについては費用を負担していただいていますが、与えられたのは小さな屋敷と執事が一人とメイドが二人。

 『贅沢はするな』という言葉が聞こえてきそうです。


「では、本日お伺いしたかいがありました」


 首を傾げる私に、リッシュ卿が一枚の紙を差し出します。


「『アンナ&リリア』?」


 流麗な文字で書かれた店名と、華やかなドレスの絵が描かれています。

 お店の広告のようです。


「知人が新しく開いたテーラーです」


「あら。女性がお店を開いたんですか?」


「ええ。最近は増えているんですよ」


「素敵ね」


「客がつくまでが大変ですが」


 それを聞いて、彼の用件がわかりました。


「私のドレスを、こちらで?」


「ええ。昨日のドレスは、お世辞にもお似合いとは言えませんでしたから」


 言われてしまいましたが、その通りです。

 時間がなかったので、メイドの一人が前に勤めたお屋敷で借りてきてくれたドレスでした。


「ご贔屓にしていただけるなら、格安でお仕立てしますよ」


「貴方のご紹介なら間違いないでしょう。お願いしますわ」


「では、後日改めてご紹介いたしますね」


 これは、無理をして夜会に出席した甲斐があったというものです。

 何をするにしても、人脈を広げていかなければなりませんから。


「お嬢様」


 静かな声で私を呼んだのは執事のルキーノ。

 壮年の穏やかな男性です。


「ちょっと失礼します」


 リッシュ卿に声をかけて部屋から出ると、少し困った様子のルキーノがいました。


「どうしたの?」


「お客様がおみえです」


「お客様?」


 帝国に知り合いはほとんどいませんから、こんな風に来客が重なることもないと思っていました。小さな屋敷ですから、お通しして待っていただく部屋も余分にはありません。それでルキーノも困っていたのでしょう。


「玄関へ行くわ。クロエはリッシュ卿のお茶を淹れ直してちょうだい。ナタリーはもう一組茶器を準備してね」


「はい」


「かしこまりました」


 二人のメイドに頼んで、私は玄関に向かいます。

 さて。

 そこにいたのは、よく知った方でした。


「シュナーベル卿! ご帰国されたのですね!」


 思わず、声が弾んでしまいました。


「はい」


 彼の名は、アレクシス・シュナーベル。

 帝国の騎士である彼とは、戦場で出会いました。





 ──数ヶ月前。


「ありがとうございます」


 私の手元で、小さな声が吐き出されました。

 弱々しくて今にも消えてしまいそうな声でした。


「どういたしまして。さあ、汗を拭きましょうね」


 たらいに張ったぬるま湯で手ぬぐいを絞って、声の主の額を拭います。

 続いて、帝国人特有の薄い色素の髪にも手ぬぐいを滑らせました。

 榛色の瞳が眇められます。気持ちが良いのでしょう。


「本当に、ありがとう、ございます」


 小さく喘ぎながらも、言葉を紡ぐ彼の名はアドルフ・バルターク卿。オルレアン帝国の騎士の一人です。

 彼は、先の戦で捕虜となりました。

 終戦後、捕虜のほとんどは帝国に帰っていきましたが、彼のように重症の者は動かすことができなかったのです。

 同じ理由で、十四人の騎士がフェルメズ王国の国境近くの街に残りました。

 震える青白い手を握りますが、彼には握り返す力すら残されていませんでした。


「貴女は、女神様だ」


 それが、最後の言葉でした。


「ご苦労様でした。ゆっくりお休みください」


 バルターク卿が答えることはありませんでした。

 笑顔のままの、とても穏やかな死に顔です。

 医師が駆け寄ってきます。そっと脈をとって、首を横に振りました。


 彼で十三人目です。

 この場所で帝国の騎士を看取ったのは。


「ありがとうございました」


 お礼を言ったのは、十四人目の騎士、シュナーベル卿です。

 彼もまた深い傷を負って、この救護所で療養していました。

 たった一人、彼だけが快方に向かっています。


「礼には及びませんよ。私は、私の仕事をしているまでです」


「怪我人の、しかも捕虜の手当が公爵令嬢の仕事とは思えませんが」


「戦が終われば戦士は暇になるものです。その時間は、自分のしたことへの後始末に使わなければ」


「……そうですか」


「さあ、バルターク卿を綺麗にしてあげましょう。お湯と手拭いを持ってきてちょうだい」


 看護人たちと協力してバルターク卿の身体を清める様子を、シュナーベル卿はじっと見つめていました。

 何か、思うことがあったのでしょうか。





 * * *





「貴女が首都にお帰りになってしばらくして、ようやく馬に乗れるまで回復しました」


「そうでしたか。本当に、よかった」


 無事に国に帰ることができて、本当によかった。

 本当に。


「本日は、突然の訪問申し訳ありません」


「いいのよ」


「しかし、他にお客様がいらっしゃったのでは?」


「私のことなら、気にしないでください」


 いつの間にか、リッシュ卿も玄関ホールに出てきていました。

 とても楽しそうにシュナーベル卿を見つめています。


「まさか、こんなところで同僚に会うとは思いませんでした」


「同僚?」


「ええ。私もシュナーベル卿も、第二騎士団の所属です。ああ、『元同僚』ですか」


 リッシュ卿の妙な言い回しに首を傾げます。

 『元同僚』とは。


「騎士団を辞めてきたのです」


 シュナーベル卿が、胸を張って言いました。


「辞めてきた?」


「はい」


「まさか、怪我が原因ですか?」


「いいえ。怪我は完治しております。剣を振るのにも馬に乗るのにも、全く支障はございません」


「では、どうして辞めてしまったのですか?」


 シュナーベル卿は、たいへん騎士らしい人です。

 デラトルレ卿よりもなお高い身長。肩も腕も筋肉質で、剣を扱う人だと言うことが一目でわかります。

 騎士団を辞めて、他のお仕事があるのでしょうか?


「あ、ご実家を継がれるのですか?」


「いいえ。自分は商家の三男坊です。そもそも大した家ではありませんから、口減らしのために騎士団の下働きに出されました」


「では、他の仕事をされるの?」


 生真面目な騎士であるシュナーベル卿に、他の仕事ができるでしょうか。


「いいえ。自分は、騎士です」


 その言葉に首を傾げると、シュナーベル卿が跪いて言いました。


「貴女に、忠誠を捧げたいのです」

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