第4話「初めての味方」
旅立ちは、静かなものでした。
まだ夜も開け切らぬ頃、帝国の使者と私を乗せた馬車はひっそりと出発しました。
帝国の騎士たちが先導していきます。
朝早く動き出していた少数の市民が、静かに手を振って見送ってくれました。
「よろしかったのですか?」
向かい合って座るマース伯爵の言葉には、無言のまま頷きました。
「お見送りを望む方も、いらっしゃったのではないですか?」
私の希望で、出立の予定は伏せられていました。
見送りを受ければ、決意が揺らいでしまうかもしれない。そう思ったから。
「いいのです。家族とは別れの挨拶を済ませてきましたから」
お母様は、また泣かせてしまいました。
幼い弟は、幼いながらに状況を理解しているようでした。
『お母様を、お願いね』
小さな身体を抱きしめて伝えると、その小さな肩が震えていました。
公爵位はお母様が代理を務めます。親族の介入を受け入れざるを得ませんが、それは仕方がありません。
弟が立派に成長するまで、公爵位と領地を守らなければならないのだから。
「妹君とは?」
「あの日以来、会っておりません」
出立の予定を、家族と王家にだけは伝えていました。
しかしイスハーク様はおろかナフィーサでさえ、見送りに来ることはありませんでした。
「これで、すっかり一人きりになってしまいました」
家族も、婚約者も、友もいない。正真正銘の一人きり。
「一人きりとは、寂しいことをおっしゃらないでください」
「そうでしたね。マース伯爵が一緒ですから、道中は退屈せずに済みそうですわ」
道中は、ですが。
「護衛もおります」
「皆様、
「はい」
和平の使者となったマース伯爵の護衛のために同行されたのでしょう。
「小隊長を務める、レオ・デラトルレ卿は前線での実戦経験も豊富です。安心してください」
マース伯爵が開け放った窓の外に視線を送ると、デラトルレ卿が頭を下げました。
ピタリと馬車に寄り添って馬を進めているようです。
立派な
短く刈り上げた茶髪、同じ色の瞳。
その勇ましい姿とは裏腹に、優しい雰囲気を持った人です。
「
デラトルレ卿が苦笑いを浮かべます。
前線での実戦経験とは、つまりフェルメズ王国との戦だったのでしょう。
互いに気まずい雰囲気に耐えられずに、視線を逸らすことしかできませんでした。
「ご不便をおかけして申し訳ありません」
デラトルレ卿が心底申し訳なさそうに頭を下げています。
カルケントを出発して六日目。あと一日で国境、という頃。
問題が起こりました。馬車の車輪が割れてしまったのです。
幸い大きな事故にはならずに済みました。しかし、修理に時間を取られてしまい、宿泊予定の街にたどり着くことができませんでした。
「いいえ。野宿には慣れておりますから。お気になさらず」
デラトルレ卿の額に汗が浮かんでいます。なんとか日暮れまでに間に合わせようと、必死に馬を走らせてくださったのです。
「馬車の中でお休みください」
「そうさせていただきますね」
マース伯爵や他の騎士の方々を差し置いて私が馬車で眠るのは気が引けますが、一行で唯一の女性ですから仕方がありません。
本当は焚き火を囲みながら土の上で眠り、木漏れ日を浴びながら目覚めるのが好きなのですが。
私の周囲には、すでに帝国の方しかいらっしゃいません。
わがままを言ってはいけませんね。
夜明け前。
物音で目が覚めました。
複数の気配が、近づいてきます。
獣ではない。二足歩行の、人間の気配。
穏やかな雰囲気ではありません。
物音を立てないように、そっと座席の蓋を外します。
座席の下は物入れになっていて、一番手に取りやすい場所に愛刀を仕舞ってありました。
本当は武具の類は持たずに行くべきなのでしょうが、どうしても手放すことができませんでした。
使い慣れた『
私の、相棒とも言える大切な刀です。
「シーリーン嬢」
扉の外から、デラトルレ卿の小さな呼びかけが聞こえました。
「はい」
「お気づきでしたか」
「はい。人数は二十人程度かしら」
「お心当たりは?」
「こんな馬鹿げたことをするのは、王太子様か妹のナフィーサでしょうね」
国外へ追放するだけでは安心できなかったのでしょう。
王太子様は王位を脅かす存在として。
妹は、王太子妃という立場を脅かす存在として。
オルレアン帝国の使者がフェルメズ王国の領地内で消息を断てば、どうなってしまうのか。
そこまで考えが至らない、なんという浅はかな行いでしょう。
その裏には、おそらく戦争を望む貴族たちの陰謀もあるのでしょう。
平和であることを望まない
「では、
「おそらく」
「このまま馬車の中でお待ちください」
「
「シーリーン嬢!」
「この一行は、誰一人死んではならないのです。私も戦います」
一人でも欠ければ、両国の同盟にヒビが入ってしまします。
それだけは、絶対に避けなければなりません。
幸い夜着の代わりに着ているのは長い上衣にズボンですから、十分動くことができます。
話しながら、急いで革の
「私が数を減らします」
──ギンッ!
「……ご武運を」
何を言っても無駄だと分かったのでしょう。
その言葉を合図に、デラトルレ卿が勢いよく馬車の扉を開け放ちました。
「
馬車から飛び降りた勢いのまま敵に向かって走り出した私の脇には、デラトルレ卿が続きます。
「心強い!」
私の返事を聞いたデラトルレ卿が、一気に加速して私の前に躍り出ました。
穏やかな性格の方だと思っていましたが、前線で戦う騎士らしい好戦的な面もあるようですね。
それに。
──この状況で私に背を向けるとは。
襲ってきた者たちと私。
その関係を疑うこともできたはずなのに。
私の言葉を信じて背中を預けてくださったのです。
その広い背中の、なんと頼もしいことでしょう。
「怪我人は?」
「軽傷ばかりです」
「ほとんど『
「
朝日が昇る頃には、全ての始末が終わっていました。
騎士たちがマース伯爵に報告している様子に、ほっと息を吐きます。
大事にはならずに済んだようです。しかし、怪我人を出してしまいました。
「シーリーン嬢、お怪我はございませんか?」
デラトルレ卿の優しい言葉に、胸がチクリと痛みました。
私が、彼らを巻き込んでしまったのです。
「大丈夫です」
「……襲撃の黒幕は不明。それでよろしいですね?」
こっそりと告げられた言葉に、思わずデラトルレ卿の顔を見上げました。
「貴女も我々も、正体不明の暴漢に襲われた被害者です」
襲撃がフェルメズ王国の何者かの差金であったことは明らかです。
しかし、それを問題にするつもりはないと。
デラトルレ卿の、その優しさで心が満たされていきます。
この方は、私にとっての初めての味方になってくださったのです。
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