私の彼は、宇宙人

山本田口

第1話 彼は何者?

 私の名前は、風見令子。今年で二十八歳になる花の独身女です。

大学を卒業して、建設会社に勤める、どこにでもいるOLです。

いまだに実家暮らしで、両親と大学生の弟の四人暮らしです。

 父は、開業医で、小さな町医者をしています。弟は、後を継ぐために

医大生で、卒業後は、研修医を経て、ウチの後を継ぐ予定です。

母は、結婚してから趣味に生きる、趣味人で元から多趣味だったせいで

専業主婦をしながら、人生を楽しんでいました。

 そんな長女の私は、ナースとして父を手伝うようなこともせず、

普通に就職しました。もっとも、弟のように、看護大学に行くほど

成績はよくなかったのが原因でもあります。

 それよりも、早く結婚してくれという親のプレッシャーと戦う毎日です。

だけど、肝心の私はというと、彼氏いない歴五年の淋しい女なのです。

三十歳を目前に焦っていないといえばウソになります。

同僚の女子社員たちは、会社帰りにデートだとか、

結婚退社した人も少なくありません。

男性社員の中にも、素敵な人はいても、なかなか付き合うまでは発展しません。

 そんな私にも、ついに彼氏が出来たのです。

その彼とは、誰にも秘密の宇宙人だったのです。

 いつものように会社帰りに同僚の女子社員たちと会社近くの居酒屋で

女だらけの飲み会をした帰りのことでした。

 明日も仕事なので、適度に飲んだ帰り、最寄り駅から自宅まで

歩いて帰ります。

自宅は、新興住宅街で、一軒家が立ち並ぶ一角にあります。

私がまだ幼稚園のころに父親が立てて、もうすぐローンが終わるという

普通の二階建ての家です。

 近くに商店街もあり、駅から徒歩五分という立地条件は

会社に通うのも便利なので、独立して一人暮らしという

選択はありませんでした。

 その日の夜も駅から歩いて帰宅する途中のことでした。

近くの公園を通り、自宅はもうすぐというときです。

家の門のところに、なにやら黒い物体があるのに気がつきました。

最初は、粗大ゴミかと思ったけど、明日はゴミの日ではありません。

親が間違えたのかと思ったそのときです。その黒い物体が、動いたのです。

 思わず足が止まって、恐る恐る近づいてみるとそれは、

ゴミではなく、人だったのです。

暗かったので、最初はわからなかったけど、近づいてみると

それは、紛れもなく人間で、しかも男性でした。

「あの、大丈夫ですか??」

 私は、酔っていても、まだ意識はあるので、声をかけてみました。

すると、小さな声が聞こえました。

「み、水……」

 聞き間違えかと思って、もう一度たずねると、やっぱり、水といいました。

この時代に、行き倒れなんてありえないと思って、どこか怪我しているのか

腹痛か何かで歩けないのかと思いました。

 肩に触ると、彼はそのまま地面に倒れこみました。

そのとき、事の重大さに気がついて、酔いも吹っ飛びました。

 急いで玄関の戸を開けて、親を呼びました。

「誰か、誰かきて。お父さん、裕司」

 私の声に、まずは母が出てきました。

「あら、お帰り。遅かったわね。夕飯は、食べてきたんでしょ」

 と、のん気なことを言っています。

「それどころじゃないのよ。外に、人が倒れているの。お父さんと裕司は……」

 私は、父と弟を呼びます。その声に、やっと、父と弟が顔を出しました。

「こら、いい年した娘が、こんな夜に何を大声出してんだ。近所迷惑だろ」

「姉ちゃん、なにやってんだよ」

 父と弟が嫌そうな顔をして言いました。私は、それを無視して言いました。

「ウチの前に人が倒れているの。ちょっときてよ」

「なんだって??」

 晩酌を済ませた、ほろ酔い加減の父と迷惑そうな弟が、

サンダルを引っ掛けて外に出ます。

「お前の知り合いか?」

「全然知らない人よ」

「それじゃ、救急車呼んだら」

 と、父と弟が言いました。

「どっちにしても、ウチの前にいたんじゃ、近所迷惑だろ。

とりあえず、中に入れてやれ」

 そういって、父は、彼を抱き起こします。

「しょうがねぇなぁ……」

 文句を言いながらも弟も手伝うように、両脇を抱えて家の中に入れます。

私も彼を支えながら、手伝いました。

 玄関先で靴を脱がせようとしたけど、彼は、靴を履いていませんでした。

不思議に思いながらも、三人で家の中に入れました。

「母さん、ボケッとしてないで、ふとんを敷きなさい」

 父に言われて、母も慌ててダイニングの隣にある、和室にふとんを敷きます。

彼をそこに寝かせて、ふとんをかけてあげました。

「み、水…… 水……」

 彼がうわごとのように言うので、母が慌ててキッチンに戻り

冷蔵庫から水のペットボトルを持ってきて、彼に飲ませました。

 すると、五百ミリリットルのペットボトルを一気飲みしました。

そして、彼は、安心たようにふとんに倒れこみ、眠ってしまいました。

「とにかく、落ち着いたわね。見た感じ、ケガをしてるようにも

見えないし寝かせてあげましょ」

 と、母が言うのを聞いて、私たちは、ドアを閉めてダイニングに戻ります。

「んで、あいつ、どうすんの? 救急車か警察に電話した方がいいんじゃないの」

 と、弟の裕司が言います。私もそのほうがいいと思いました。

見ず知らずの他人をいくら倒れているとはいえ、

ウチにおいておくわけにはいきません。

まして、若い男性です。そして、今は夜です。不安しかありません。

「まぁ、一晩様子を見て、明日になったら、出て行ってもらえばいいだろ」

「寝てるところを無理に起こすのも可哀想よ」

 両親は、何をのん気なことを言ってるのか、私は、ちょっと不満でした。

ウチには、高齢者とはいかないまでも、中年を過ぎた夫婦と

年頃の娘がいるのです。年頃というのは、言い過ぎかもしれないけど……

唯一の若い男の弟は、どう見ても体育会系とはいえない体格なので、

もしものことがあっても頼りにはなりません。

夜中に暴行されたり、泥棒にあうかもしれないのです。

 それなのに、何をのん気にしてるのか、私は、腹が立ってきました。

「あのね、ウチには、私もいるのよ。なんかあったらどうするのよ」

 酔いも任せて強い口調で反論します。

「行き倒れかは知らんが、病人を放り出すなんてできるか」

「そうよ。可哀想じゃない」

「姉ちゃんは、考えすぎだぜ。あの人、おとなしそうだぜ」

 両親どころか弟まで、そう言います。

それどころか、食事の途中だったのか、ご飯を食べ始めたり、テレビを見たりと

至っていつもの夕飯時という感じでした。

 私は、呆れてそのまま階段を上がって、二階の自分の部屋に行きました。

部屋着に着替えて、わざと足音を立てて、一階に戻ると

両親たちは、テレビを見て笑ったり、食事を続けていました。

「お風呂に入ってくる。あの人が覗いたりしないように見張ってて」

 そういい捨てて、浴室に向かいました。

「何を怒ってるんだあいつは?」

 父のそんな声を聞きながら、思い切り浴室のドアを開けました。

「まったく、ウチの親といい、裕司といい、まったくもう……」

 私は、一人湯船の中で文句を言いました。

体と頭を洗ってから浴室を出て、洗面所で濡れた髪を乾かしていると

母がやってきてこう言いました。

「アンタが心配するのはわかるけど、ウチの前で倒れてた人なのよ。

これも何かの縁だから」

 そう言って、スリッパをパタパタさせて、キッチンに戻っていきました。

私は、口をあんぐりさせたまま、母の後姿を見送るしかできませんでした。

 髪を乾かしてキッチンに戻ると、弟は二階の自分の部屋に

戻っていませんでした。

父は、お茶を飲みながら、私を見ると席を立ちます。

「先に寝るぞ」

 それだけ言って、一階の夫婦の寝室に入っていきました。

キッチンで、後片付けしている母と私だけになりました。

「あのさ、いくらなんでも、他人をウチに上げて、寝かせていいの」

「それじゃ、こんな夜に、放り出すの? 警察に引き渡すの?

何も悪いことしてないのよ」

「そんなのわからないじゃない。もしかして、人を殺して逃げて

きてるかもしれないのよ」

「テレビの見すぎよ。そんなに心配なら、今夜は部屋に鍵をかけて寝たら」

 この親は、後で、何かあったらどうするのか、全然わかってない。

私は、冷蔵庫から冷たいお茶を持って、そのまま自分の部屋に行きました。

もちろん、ドアに鍵はしっかりかけて、ベッドに入りました。

「ホントにあの親は、娘のことをなんだと思ってるのよ。

何かあったらどうすんのよ」

 こんなときに、頼りになる人は、私の頭の中には一人もいません。

会社の上司、同僚や先輩の男性社員、もちろん彼氏はいません。

誰一人この状況をわかってもらえる人は、思いつきませんでした。

 今夜は、寝ないで、一晩中起きていようと思いました。

でも、少し前に飲んだお酒のせいもあって、いつの間にか、睡魔に襲われて

いつの間にか意識がなくなり、夢の中に沈んでいったのです。


「姉ちゃん、起きろよ。鍵なんか閉めてんじゃねぇよ。早く起きろよ」

 ドアをどんどん叩く音に、目が覚めました。

枕元のスマホを見ると、まだ、六時でした。

私は、いつも七時に起きるように、アラームをセットしてます。

「姉ちゃん、何してんだよ。開けろよ」

 弟は、まだ、ドアを叩き続けて、私を呼んでます。

「もう、うるさいわよ。まだ、六時じゃない」

 私は、ドアの鍵を開けながら、寝ぼけ眼で文句を言いました。

「ちょっと来いよ」

 弟は、私の手を引っ張って、階段を駆け下ります。

私は、起きたばかりなので、階段を踏み外しそうになりました。

「どうなってんだよ、これ……」

 弟が、部屋のドアを開けて言いました。

「どうって、何がよ?」

「アンタ、まだ、酔っ払っての? しっかりしなさいよ。

アンタが連れてきたんじゃないの」

 母がそう言うと、父が部屋の中で、じっと畳を見つめていました。

寝起きの頭が、やっと戻ってきて、昨夜の記憶が蘇りました。

「あの人…… あの人は、どこ?」

「母さんが起きたときには、もういなかったのよ」

「ウソ!」

「だって、いないもんは、いないじゃないか」

「それじゃ、黙っていなくなったのか?」

「そういうことだろうな」

 と、父がボソッと言いました。

「なによ、人がせっかく助けてやったのに、ありがとうくらい

言って欲しかったわね」

 私は、フンと踵を返して、洗面所に行って顔を洗いに行こうしました。

「待てよ、姉ちゃん。なんか、おかしくない?」

「何がよ」

 弟が言うので、寝起きで不機嫌なところに、こんな仕打ちに、さすがの私も

朝から腹が立って仕方がありません。

「だって、夜中に黙って出て行ったなら、玄関のドアの鍵は、開いてなくちゃおかしいだろ」

「確かにそうだな」

「お母さんが鍵を閉め忘れたんじゃないの?」

「そんなことはないわ。ちゃんと閉めたわよ」

「だったら、お風呂場の窓とか、トイレの窓から逃げたんじゃない」

「大の大人がそんなとこから出られるわけがないじゃん」

 確かに、言われてみれば、弟の言うとおりです。

「父さんたちが寝ていたのは、隣の寝室だぞ。出て行ったなら、

物音の一つも聞こえるはずだ」

「そうよね。襖一枚の隣だものね」

「何も聞こえなかったの? ぐっすり寝込んでたんじゃないの」

「母さんは、音には敏感だから、何か音がすれば、起きるはずだ」

 母は、音大を卒業して、独身時代はピアニストだったので、

音には敏感なのは知ってました。

「それじゃ、どこから出て行ったのよ?」

 不思議なことに、玄関の鍵は閉まったままです。

内側から鍵を開けてて出て行ったとしても、外からは鍵をかけられません。

鍵は、家族しかもっていないので、彼は、出て行くことは出来ても

外から鍵をかけることは出来ないのです。

 しかも、他の窓や裏口の鍵もちゃんと閉まっています。

朝から、不思議な事が起きて、寝起きの私はすっかり目が覚めました。

でも、その分、頭がパニック状態のまま、落ち着くことが出来ません。

 それなのに、父も母も弟も、いつもの朝のように振舞って

ダイニングで朝食を食べ始めていました。

「ちょっと、朝ご飯なんて食べてる場合じゃないでしょ? 警察に電話して

鑑識とか呼ばなくていいの」

 私ひとりが、声を荒げています。

「事件じゃないし、何も取られてないから、警察は着てくれないぞ」

「そんなことより、会社に遅れるわよ。ご飯食べちゃいなさい」

 と、またしても、のん気な父と母でした。

私は、諦めて、自分席に座ると、朝ご飯を口に入れました。

 結局、弟は大学に、父と私は、会社に行くために、

いつもの時間に家を出ました。

通勤途中の電車の中でも、なぜか私だけ、腹の虫が納まりませんでした。


「何を怒ってるの? 今日はご機嫌斜めね」

 同僚の北斗夕子が話しかけてきました。

夕子とは、同期入社で、話が合う明るい女性でした。

「ちょっと聞いてくれる」

 私は、昼休みになると、余り人には聞かれたくないのでも、

社員食堂の隅に連れて行って昨夜の事を掻い摘んで話しを聞いてもらいました。

「ふぅ~ん、そんなことがあったの。大変だったわね」

 夕子の感想は、何か他人事のようでした。もっとも夕子は仲がいいだけで、

他人だけど。

「ねぅ、どう思う? だって、人一人が、それも大の男よ。鍵も開けずに

どうやって出たのよ」

「確かにそうよね。不思議よね。もしかして、その人って、

透明人間とかじゃないの」

「何を言ってんのよ。笑い事じゃないのよ」

「だって、他に説明がつかないじゃない。煙みたいにドアの隙間が

出て行ったとか……」

「もぅ、真面目な話をしてるのよ」

「ごめん、ごめん。でも、他に考えようがないじゃない。

もしかして、夢だったとか」

「絶対、違うから」

「それより、どんな男だったのよ。イケメンだった? 名前はなんていうの?」

 夕子に言われて、初めて気がつきました。あの時見たのは、夜だったので、

暗闇でよく顔は見てません。部屋に入れたときも、ふとんを敷いたり、

水を飲ませたりで、ちゃんと顔を確認していなかったことに今になって、

気がつきました。

 だから、当然、名前なんて聞いていません。私も名乗ってないけど。

「それじゃ、ホントに知らないの? 連絡先とか聞いてないの?」

 夕子の呆れた顔を見て、私は、二の句が告げませんでした。

「まったく…… アンタらしいけどね」

 それで、この話しは終わりになりました。

丁度、昼休みの終わるチャイムを鳴ったので、その場を切り上げました。

 それから、夕方の勤務が終わるまでは、仕事が手につきませんでした。

彼は、どうやって、家から出て行ったのか。そればかり考えていました。


 今夜は、真っ直ぐウチに帰って、いろいろ調べてみようと思いました。

ところが帰宅すると、先に帰っていた父が、早速晩酌しながら

ご機嫌でテレビを見ながら笑っています。

 弟は、その隣で、好物のカツカレーを夢中で食べていました。

「お帰り。夕飯、まだなんでしょ」

 と、母が私を出迎えます。

「まったく、ウチの家族って、ホント、ノー天気。バカみたい」

 そう言って、二階の自分の部屋に上がりました。

そして、部屋着に着替えて、一階に戻り自分の席に座ると母が食事を

出してくれました。

「あのさ、昨日のことだけど……」

 私が、言い出すと、何を言うのかと逆に不思議な顔をされました。

「あいつのこと。もういいじゃん。いないんだもん」

 弟は、あっさりそう言って、もう彼のことは頭にない様子です。

「いないということは、歩いて出て行ったことになるわけで、

元気になってよかったじゃないか」

 父は、テレビを見ながらそう言いました。

「だけどさ、どう考えてもおかしいじゃない。アンタだって、今朝は、

おかしいって言ってたじゃない」

 弟にそう言うと、そんなことはとっくに忘れたような顔をして言いました。

「おかしいとは言ったけど、考えたって、しょうがないじゃん」

 弟は、食べ終わってご馳走様といって、さっさと部屋に戻って行きました。

「まったく、裕司は……」

 私は、呆れてものも言えない気分で、食事をしました。

「そのウチ、ひょっこり出てくるわよ」

 と、母もあっさり言いました。

私もそれ以上は、突っ込まないようにこの話は、振らないように決めました。


 それからしばらくたって、家族の誰もが彼のことは、口にしなくなりました。

私も仕事が忙しくなって、家に帰っても疲れて、寝るだけの生活になり

彼のことも忘れていました。

 そんなときです。数日前から天気予報で台風が来るとニュースで

やってました。雨が降ると、通勤が憂鬱になるなと思いながら、

朝のニュースを見てました。

 そして、ホントに台風がやってきました。それも、大型で猛烈な台風です。

しかも、悪いことに、東京に上陸するというか、直撃するらしい。

もしかして、会社に行けないかもとか、それなら有休にしようとか

そんなことを考えていました。弟は、大学が休みになるのでウチで

のんびりしようと台風のことなど、まったく考えていないようです。

 父は、家の事が心配で、窓に補強テープを張ったり庭の植木を片付けたり、

隣接している病院を心配していました。

母は、もしものときのために、避難用にリュックを確認したり、

避難先を調べたりしています。隣近所も、仕事より家のことのが

大事な様子です。

 そして、いよいよ台風が上陸することになり、昨夜から風と雨が

強くなりました。会社からも無理な通勤をしないようにという連絡が来ました。

 とは言っても、私の場合は、家から会社までは、電車で20分の距離で

どちらかといえば近い方です。しかも、仕事が立て込んでいるので、

台風が直撃とはいえ、電車が動くなら、行かないといけませんでした。

有休を取って、休んでいる場合ではないのです。

 その日の朝も、激しい雨と風の中、レインコートと長靴を履いて

いつもよりも早く家を出ました。予想通り、駅は大混雑して、

電車も遅れています。それでも、何とか少し遅れただけで、

無事に会社にたどり着けました。

風と雨は、だんだん酷くなります。窓の外は、吹き付けるような大雨でした。

 出社している人もいつもより少なく、夕子も上司も休んでいました。

仕事中はいいけど、帰りが心配です。今度は、帰りのことが不安になりました。

 唯一出社していた、部長から「今日は、早めに帰りなさい」ということで

いつもよりも早く帰る事が出来ました。

 それでも、電車は混雑していて、最寄り駅に着くまで大変でした。

駅を出ると、風と雨は、ますます酷くなり、傘など役に立ちません。

 それでも、駅から家までは、歩いて五分なので、まだましでした。

ずぶ濡れになりながら、帰宅すると、母がタオルを持って玄関まで

迎えてくれました。

「先に、お風呂に入ってきなさい」

 というので、私は、いう通りお風呂に行きました。

そして、いつものように、お風呂から出て、洗面所で髪を乾かして、

ダイニングに座ります。テレビは、台風のことばかりでした。

 天気予報によると、台風のスピードが遅いので、明日も一日中雨との事。

明日も雨かと思うと、また、通勤に憂鬱になりました。

 夜のニュースを見ていると、台風の現場からの生中継をやっていました。

雨と風が酷く、特に雨粒が地面に叩きつけるように降っていて

テレビ画面からもその強さがわかりました。

 そのときです。カメラが海のほうを映していたとき、何か光るものが

二つ見えました。

「ねぇ、アレなに??」

 私がテレビを指したときには、もう画面は真っ暗になってました。

「なんか、光らなかった?」

「別に」

「気がつかなかったなぁ」

 などと、父も弟も気に止めることはありませんでした。

そして、アナウンサーは、台風による被害を報告しています。

 場所によっては、床上浸水や木が倒れる危険があるので、

避難所に早めの非難の誘導、土砂崩れや川が溢れ危険もあり、

今度の台風は、かなり大変な被害が出るようでした。

 幸い、今のところウチは大丈夫のようで、安心して寝られます。

両親は、懐中電灯やろうそくなどを用意して、早めに就寝しました。

 弟も珍しく早めに部屋に入って行きました。

私は一人残って、テレビを遅くまで見ていました。

 さっきの光はなんだったのか、そんなことを思いながら見てました。


 翌日、目が覚めて、一階に降りると、外は何事もなかったように静かで

しかも、窓から明るい光が入ってきます。

おはようと挨拶して座ると、テレビを見ていた父が言いました。

「不思議なことがあるもんだな。台風が消えたんだぞ」

「はぁ? 何を言ってんの。そんなことあるわけないじゃない」

 私は、母の入れてくれたコーヒーを飲みながら言いました。

「だって、ホントに消えたんだぜ。だから、大学も休みじゃないから、

早く行かなきゃ」

 そういって、朝食を済ませた弟は、さっさと出て行きました。

私は、半信半疑でテレビを見ると、天気予報士は、父と同じことを

言ってました。

 昨夜の夜遅くに、突然台風が消えたこと。それは、予報士と言えども

説明がつかない。

解説しようにも解説できないようで、司会者から話を振られても、

しどろもどろになっていました。

 天気に関しては、素人の私には、台風が消えたことより、

天気になったことで、通勤が楽になったなと、そのことしかありませんでした。

 今日は、いつもの時間に電車に乗り、いつもの時間に会社に着きました。

「ねぇねぇ、朝の天気予報見た。台風が消えたって、どういうことなんだろう」

 早速、同僚の夕子が聞いてきました。

「そんなのわかるわけないじゃない。でも、消えてよかったじゃない」

「被害も予想より少なかったし、死者も出なかったし、よかったわよね」

 夕子は、そういって、業務に戻っていきました。

実際、今日は、会社中が台風が消えたことで盛り上がっていました。

外回りの営業部も、久しぶりに忙しそうでした。

私も自分の仕事の方が忙しくて、台風どころじゃありません。

 台風一過のように晴れているので、ランチに行くのも気分転換になります。

私は、夕子と連れ立って、近くの食堂に行きました。

 運ばれてくる定食を待つ間も、食堂内のテレビでは、昼間のワイドショーも

消えた台風について、大いに盛り上がっていました。

「だいたい、台風って、消えるもんなの?」

「最終的には、低気圧とかになるんじゃなかったっけ?」

 私も夕子も、その程度の知識しかありませんでした。

忙しい午後の業務も終えて、久しぶりに飲みに行こうということになり

夕子といつもの居酒屋に行きました。女二人で飲み会というのは、

さびしいかもしれないけどお互いに気を使わずに、言いたいことを

言い合える関係なので、私にとってはこれはこれで、とても大事な関係で、

淋しいとは感じませんでした。

 そして、いい気分で帰宅すると、そこで、二度目の遭遇という

大事件が待っていました。


 最寄り駅から足元をふらつきながら歩いて、愛する我が家が見えてきました。

そのとき、玄関の門に黒いものが見えました。

 飲みすぎたかなと思いながら近づくと、その黒い物体が、倒れたのです。

そのときは、ビックリして、尻餅をついてしまいました。

 目を擦ってみてみると、それは、あの彼だったのです。

「ウソッ!」

 思わず声に出てしまいました。

「み、水……」

 そして、あの時と同じように、彼はそう呟いたのです。

飲みすぎて夢でも見ているのかと、自分のほっぺたを抓って見ました。

「痛っ…… 夢じゃない。まさか、ホントに……」

 私は、スクっと立ち上がると、大股で歩きながら玄関の戸を

勢いよく開けます。

そして、あの時と同じように、いや、あの時よりも大きな声で言いました。

「お父さん、裕司、早くきて」

 私の大きな声に驚いたのか、二人揃って顔を出しました。

「どうした、そんなでかい声を出して。近所迷惑だろ」

「姉ちゃん、飲みすぎだよ」

「いいから、外に彼がいるから、早く助けて」

 私は、二人の声も聞かずに、外を指差しました。

父と弟がサンダルを引っ掛けて、玄関の外に出ると、あの時の彼が

倒れているのが目に入りました。

二人は、驚きながらも彼を助け起こし、家の中に入れました。

「母さん、ふとんだふとん。早くしなさい」

 父が母に言うと、慌てて母もあの時と同じようにふとんを敷き始めます。

やはり、靴を履いていない彼を、私も含めた三人でそこに寝かせました。

「み、水……」

 彼が蚊の鳴くような声で言うので、母は、慌ててキッチンの冷蔵庫から

あの時と同じ、ペットボトルの水を差し出しました。

一人で飲む力もないのか、私が飲ませてあげると、やはり一気に

飲んでしまいました。そして、静かに寝息を立てて、寝てしまいました。

 私たちは、ダイニングに戻ると、今度こそ話をしました。

「ねぇ、どうする?」

「どうするってどうするんだ」

 私の問いかけに、父も額にしわを寄せて何か考えていました。

「だから、今度こそ、警察に連絡した方がいいと思うの」

「だって、病人みたいじゃん。泥棒したとかじゃないんだぜ」

 弟は、この期に及んでも、まだ、あの彼に同情しています。

「それどこじゃでしょ。これで二度目よ。だいたい、同じウチの前に

行き倒れなんてありえない」

「確かにそうだけど、具合が悪そうじゃないの。寝かせてあげたら」

 母は、相変わらずのん気そうに言いました。

「だから、今は、そんなこと言ってる場合じゃないって言うの」

「よし、だったら、オレが今夜は、寝ずの番して見張ってやるよ」

 弟が、鼻息を荒く、胸を張っていいました。

「やめなさいよ。何かされたらどうするの」

「何って何だよ」

「だから、殴りかかってきたとか……」

「大丈夫だって、親父のゴルフクラブを武器にするから」

「こら、なにすんだ。バットにしなさい」

 こんな時でも、父は、どうでもいいことを注意します。

「どっちにしても、危ないことはやめてよ。アンタは、力は弱いんだから」

 中学のころから、文化部一筋で、体力には自信がない弟のことは、

姉である私が一番よくわかります。

「大丈夫だって。あんな病人なんて、何てことないから」

 そういって、弟は、玄関先の傘入れにずっと置きっ放しの、

カビが生えたバットを持ち出してきました。

そんなもの、まったく、武器にならないし、弟じゃ頼りになりません。

「ハイハイ、もうその辺にして、明日も早いんだから、もう寝なさい。

裕司もいい加減にするのよ」

 母は、この場を切り上げようとそういうと、食器の洗い物を始めました。

父は、先に寝室に入ってしまい、弟は、バットを抱えて彼が寝ている

部屋の前に座ってます。 その後、母も片づけを終えて、寝てしまいました。

「アンタもいい加減にして、寝なさいよ。明日も学校でしょ」

「わかってるって。姉ちゃんは、安心して寝てよ。今夜は、鍵をかけなくても

いいからね」

 そういって、弟は、のん気に二階に行く私に手を振ってます。

私は、部屋に入っても、不安しかなく、なかなか寝られませんでした。

 それでも、毎日の業務で疲れた体は、いつの間にか寝てしまいました。

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