02

 そうやって、記憶が戻らないまま、周囲からは既に若奥様扱いされながらアングラード家で暮らしていたが、結婚を受け入れることはできなかった。

 馬車の事故で受けた怪我のせいで子供は望めないだろうと医師から告げられていたのだ。

 セドリックは『養子を取るから大丈夫』だと言っているが、やはり彼の子供が継ぐべきだとマリーは思っていた。


 転機があったのは、他国に養子に出されていたパトリシアの妹を養子として引き取ることになってからだ。

 初めて会ったルーシーはマリーにそっくりで――貴族令嬢としての気品や佇まいを持つ分、彼女の方が『悪役令嬢パトリシア』のようだった。

「ルーシーはアングラードとレンフィールド、両方の血を引いている。だから彼女の子供にこの家の後継になってもらおうと思っている」

 ルーシーと初対面の席でセドリックはそう告げた。

「はい、お役に立てるようがんばります」

 十五歳の少女にはその重圧はわからないのか、それとも既に覚悟を持っているのか、神妙な面持ちでルーシーは言った。


 似ているのは顔だけで、意地の悪かった悪役令嬢パトリシアと異なりルーシーは性格が穏やかだった。

 前世で一人っ子だったマリーにとって『可愛い妹』というのは憧れていた存在で、ルーシーもすぐに懐いてくれて仲良くなることができた。

「お姉様とお兄様には幸せになってもらいたいんです」

 真っ直ぐな眼差しでそう訴えるルーシーに絆されて、マリーはセドリックとの結婚を受け入れることにした。

 そのルーシーは、一緒に暮らし始めて一年も経たないうちに王都の学園に入ってしまった。

 しっかりしているとはいえ一人で寮に入るルーシーに不安があったけれど――まさか、そこで王子に見染められるとはマリーもセドリックも思いもよらなかった。


 セドリックは最初、王太子の弟が相手であることに猛反対していた。

 王家と関わりができればルーシーが元婚約者だったパトリシアの妹であることが知られるだけでなく、マリーの存在も明らかになってしまうかもしれない。

 ゲームのヒロインでもあった王太子妃の評判があまりよくないこと、そして王太子がパトリシアを追放したことで大きな非難を浴びていたことは、この辺境の地にも伝わってきていた。

 もしもパトリシアが生きていることが知られれば、王宮は彼女を呼び戻そうとするかもしれない。セドリックはそれをとても恐れていた。

「でも私は全く記憶がないし、それに『王太子の婚約者パトリシア』と今の私は性格も違うのでしょう」

 マリーはそうセドリックに言った。

 本来のパトリシアは前世の性格を強く受け継いでいたらしいが、王宮や学園では淑女らしく振る舞っていたという。

 マリーとパトリシアは別人であると押し通せばなんとかなるのではないか、楽観的なマリーはそう思っていた。

 それにルーシーからの手紙には、相手が王子であることの戸惑いとともに、彼への想いが滲み出ていた。

「過ぎ去った過去よりも、ルーシーの心を大事にしてあげて」

 ルーシーがマリーの結婚を後押ししたように、今度はマリーがルーシーの恋の後押しをしてあげたい、そう思ったのだ。


 そうして無事にうまくまとまり、ルーシーはエリオットと婚約することができた。

 領地を訪れた二人の仲の良い様子は微笑ましく、幸せそうなルーシーの顔にマリーも心から安堵した。――入学前のルーシーにはどこか寂しげな影が落ちているように見えたのが気になっていたのだ。

「本当はルーシーとエリオット殿下もここで暮らせればいいのに」

 この自然豊かな領地で家族みんなで暮らせれば楽しいだろう。

 そこまで望むのは贅沢だと、分かっているけれど。



「マリー」

 ドアがノックされるとセドリックが入ってきた。

「やっと落ち着いたな」

「ええ」

 セドリックが爵位を継いでからその引き継ぎや結婚式の準備でずっとバタバタしていた。

 それらもようやく終わり、日常が戻ってくる。


「それでだ」

 セドリックはマリーの隣に腰を下ろした。

「前に君が言っていた旅行のことを決めようと思って」

「旅行? ……あ、新婚旅行?」

 前に結婚式の準備をしていた時、ぽつりと新婚旅行に行きたいと言ったのを覚えていたのか。

 この世界と前世とでは結婚にまつわる習慣はかなり異なる。

 それでも指輪交換と白いウェディングドレスはどうしても叶えたくてやらせてもらうことができた。

 指輪交換はエリオットとルーシーも気に入ったらしく、自分達の結婚式でもやりたいと言っていた。

 新婚旅行という風習もないが、前世での憧れは今もマリーの中にあった。


「王都以外で行きたい場所はあるか?」

「王都はだめなの?」

「パトリシアを知る者に会う可能性があるだろう」

 セドリックは眉をひそめて答えた。

「そんなに気にしなくても……」

「ともかく王都はダメだ」

 エリオットにマリーの素性を知られても――いや、知られたからこそ、セドリックは他の者にも知られるのではないかと警戒している。

(たとえ今更名乗り出たとしても、私がパトリシアに戻ることはないのに)

 記憶も侯爵令嬢としてもマナーも知識も全て忘れてしまったマリーに、パトリシアとしての価値はない。

 それに、王太子妃――彼女もどうやら転生者のようだ――の代わりとして、ゲームではヒロインのサポート役だった、そしてこの世界ではパトリシアの親友だったというアメーリアがいるという。

(もうパトリシアは過去の人間だし、今更戻ったところで向こうも迷惑よね)

 そう思うものの、セドリックが自分のことを守ろうとしてくれることは嬉しいので、口にはしなかった。



「……じゃあ、船に乗りたいわ」

 マリーは言った。

「船?」

「そう、船旅。ルーシーに聞いたの、とても大きくて、夜はパーティが開かれるのでしょう?」

 この世界には汽車も飛行機もないけれど、豪華客船ならばある。

 父親が外交官だった関係でルーシーも何度か乗ったことがあるそうだ。


「そうか。では船に乗って、そうだな、ルーシーが住んでいたサンフォーシュ皇国に行ってみようか」

「いいわね!」

 ルーシーの養子先はパトリシアにとっても親戚であり、無縁の土地ではない。

「皇国には美味しいものがたくさんあるのでしょう」

「君は本当に食べることが好きだな」


「ふふ、好きな人と美味しいものを一緒に食べる。これ以上幸せなことはないわ」

「……そうだな」

 肩を抱く相手に身体を預けると、マリーは幸せそうな笑顔でそっと目を閉じた。



おわり



最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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第三王子の「運命の相手」は、かつて追放された王太子の元婚約者に瓜二つでした 冬野月子 @fuyuno-tsukiko

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