1-10 背中合わせの殺意
「痛みにやや怯んだオウ・カジャさんは引っ掻かれないように、彼自身も身体の向きをくるりと換えた。二人は背中合わせの形になります。なおもリィ・スーマさんは抵抗し、相手の量でに傷をいくつも付けたが、最後は男の怪力がものを言った。オウ・カジャさんは女性を背中合わせのまま完全に背負い、目一杯締め上げた。リィ・スーマさんの手は相手に届かなくなり、抵抗できなくなった。程なくして絶命したことでしょう。
オウ・カジャさんは彼女を下ろしてその死を確かめると、なるべく身ぎれいに、そして死に顔もできる限り見られるものにした。そして凶器として使った縄をそのまま、家の梁に掛けて、彼女の遺体を吊すと、適度な長さのところで結び、固めた。足元に座卓を置くのも忘れない。あっ、言い忘れていましたが、この時点ではまだ、オウ・カジャさんは女性を自殺に見せ掛け、自らは逃げるつもりだったと思います。それ故の偽装工作ですから」
ここでホァユウは水を一杯、所望した。ト・チョウジュが自分のための水差しから注いで渡してやる。ホァユウは礼を言って受け取ると、三口ほど一気に飲んだ。
「どうも、助かりました。さて……オウ・カジャさんが咄嗟に立てた計画が破綻したのは、今からでも氷を戻しに行こうかと、外の様子を窺ったときであったと推察します。雨が上がっている。地面に足跡が残る。荷車の轍も。それらの痕跡をきれいに消すのは現実的でないし、ぐずぐずしていたら氷が完全に溶けてしまう。かといって、単に逃げただけでは、まず氷を盗んだ罪で捕まり、さらに恋人殺しも疑われるのは確実。足跡のみならず、腕には引っ掻き傷だらけですからね。どうあがいても死罪です。どうせ死ぬのなら、せめてわずかでも己の誇りを守りたい。そう考えたのかどうか、彼は自ら死を選ぶと決心した。ただし、愛した女性に殺されて死んだことにしたかった」
「では、当初とはまったく逆か。オウ・カジャは他殺を装った自殺であり、リィ・スーマは自殺に見せ掛けられた他殺だった」
「ですから、そう申し上げましたよ、ト小理官」
「い、いや、理解はしていたんだが。しかし、女の方の偽装はともかく、男は自殺だとマー・ズールイだけでなく、ホァユウ、あなたも言っていたであろう」
「はい、そうでした。誠に申し訳ありません」
深く深く、身体を二つに折らんばかりにお辞儀するホァユウ。
「謝罪は不要。これまでもこれからもお互い様だ。それよりも続きが聞きたい。気になってたまらん。まずは、何をどうして自殺と見誤ったのか」
答を求めるト・チョウジュを、セキ・ジョンリが無言のまま、唇の端で分からくらい小さく笑んで見下ろしている。セキ捕吏はすでにホァユウの見立てを聞き、全体像を承知しているのだ。
「まずはと言うよりも、それがほぼすべてなのです。先に、腕の傷から念のために説明します」
「……ああ、あれか。当初は女が短刀を振るってきたので、男が腕で防御した、その際の傷だと言っていた」
「あの腕の傷は元々、リィ・スーマさんに掻き毟られてできた傷であり、それをごまかす狙いで、オウ・カジャさん自身が短刀を使って、掻き毟られた傷の上からさらに傷つけたのでしょう。煤やら灰やらで汚れていたとはいえ、より仔細に観察していればあとからなされた小細工を見抜けた可能性はありました。大変、面目ないと反省しています」
「分かった。だが、男の自殺はないと判定したもう一つの理由があったぞ。確か、喉を貫くほど力を込めるのは自殺では無理だとかどうとか」
「その通りです。オウ・カジャさんがそのことを知っていたかどうかは分かりません。恐らくは知らなかった。ただ単に自分で喉に刃物を刺す勇気が持てなかったため、ある物の力を借りることにしたんじゃないかと私は想像しています」
「ある物とは」
「氷です。多少は溶けていたでしょうが八貫目近くある氷塊を、彼は背負った」
「背負った?」
「はい。背中にあった軽い火傷のような痕跡は、氷が長時間肌に触れたことによる凍傷の類だったかと」
「あっ、あれがそうつながるのか」
「――それから男は自身の喉に短刀の刃先をあてがい、そのまま勢いよく倒れ伏した。氷の重さがオウ・カジャさんの躊躇いを押し潰し、短刀は力強く、彼の喉仏を砕いて突き刺さった」
「氷は火事の熱もあって、消火が終わる頃には溶けるってことだな。そういえば、火はいつどうやって放った? 自殺の直前か?」
「そうでしょう。ただし注意すべきは、あまり火の回りが早いと、近所の者達に気付かれ、小火程度で鎮火、氷が残っているなどという事態が起こり得ます。だからオウ・カジャさんはすぐには延焼しないように細工を施したと思っています。仕掛けを具体的に断言はできませんが、氷を包むのに使っていた俵と藁を利用したのは間違いないと睨んでいます。雨を浴びたせいもあって、俵も藁もちょっとやそっとでは燃え上がらない状態になっていたでしょうからね」
「ふむ、目に浮かぶようだ。――男の服が、女の着物に比べるとぱりっとしていなかったのも、濡れていたせいなのかな?」
「ああ、それもありましたね。着物については、わざと濡らしたと言うよりも、背負った氷が溶けることでできた水を吸った。そのため乾くのに時間が掛かったのでしょう」
「ははあ、あれやこれやがうまくつながるもんだ。確かに、“最もありそうな絵”だ」
ト・チョウジュは一応、満足そうにうなずいた。その上で、改めてホァユウに問う。
「して、証拠はないのか。絶対確実でなくてもよい。今の絵解きを後押しするような物は」
「今一度、オウ・カジャさんの遺体を調べれば、背中の跡が火傷ではなく、氷に起因する物と証明できるかもしれません。腕の傷の方は日数が経過していますので、望み薄ですが再調査の値打ちはあるかと。あとは……あの縄は肌触りが悪くて、痛いくらいでした。普通なら自殺には選びません。リィ・スーマさん宅にもっと肌触りがましな、適当な太さの縄なり紐なりが帯なりがあったとなれば、彼女が殺されたという有力な傍証になり得ます」
「うーん。三つ目のは、さして意味がないな。ホァユウ先生の鑑定により、首吊りは偽装である可能性が高いことは端から分かっていたことである。女を殺したのが男である証拠がほしいな」
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