劉華雨リュウ・ホァユウの験屍録
小石原淳
屋根の墜ちた家:1-1 未明の火事
<前説>
洋の東西を問わず、ひとたび火災が起これば初期消火が重要なのは断るまでもありません。現代でもそうなのだから、ましてや高度な消火設備や消防車などのない時代ともなると、徹底することが絶対必須となりましょう。故に、火元となった家の主及びその近所の者には、消火活動に参加する義務が課せられ、従わなかった場合は罰を与えるなんていう規則が敷かれたところもあったそうで。
さて、この度の物語の舞台は、上述したような時代に準えられる、古の中華風の世界。法医学に関しては、世界最初の法医学書とされるかの『洗冤集録』(宋慈)と同程度。ただし、念のために書き添えておきますと、指紋の犯罪捜査利用に関しては一顧だにされず。
なお、書物については、そこそこましな紙がそこそこ安価で作られる、印刷技術もそれなりに発達していたものの、法医学の知識が庶民に広く行き渡るには、まだまだ掛かるであろうと見込まれる。
そんなご時世であることをお含みいただいたところで、検屍官――この世界では験屍使――リュウ・ホァユウ(劉華雨)の謎解き譚、ここに幕開けでございます。
* *
深夜から明け方にかけて発生したと思われる火事は、近隣の者達の懸命な消火活動もあって類焼することなく、鎮火した。ただ、首尾よく火消しはなったものの、直ちに行われた初期の検分によって、火元である一軒家から若い男女の遺体が見付かった――そんな一報を受け、リュウ・ホァユウは弟子で部下のマー・ズールイを伴って、現場に出向いた。
リュウ・ホァユウは、事件や事故で人が亡くなればその死の原因を調べる
かつては死は不浄なもの故、遺体に関わるあらゆる仕事は下賤な者のすることとされていたが、ホァユウの祖父でやはり死因調査を生業としていたリュウ・シャケイや、その朋友で死刑執行人の家系の四代目ジョ・フウユゥらの粘り強い活動により、今の地位を得たという背景がある。リュウ・ホァユウなどその美丈夫ぶりと相まって高貴な身分の女性から誘われることも多く、わずか十数年で隔世の感があった。
「晴天に恵まれて幸いだ」
上って間もない朝日に目を細めつつ、ホァユウが述べる。もし仮に昨夕のような雨降りだと、火災現場の家屋は屋根の大半を失っているから、状況が水によって刻々と変わってしまう。火消しの際に用いた水ですら検分には邪魔なのに、雨まで降っていたらたまらない。その懸念が払拭されて、まずは一安心だ。
「発見が早かったのでしょう。意外と焼け残っている。これは期待が持てそうですよ」
ズールイも明るい調子で言った。
半焼した家屋は、難燃性の土壁のおかげか外観はどうにか止めている。屋根は半分方失われていたが、それでも元の家の大きさなどは充分に想像が付く。家そのものの大きさや、敷地の広さから言って、そこそこ羽振りがよかったことを窺わせた。
中に入り、遺体と対面。ホァユウらは手を合わせ、目を瞑って、死者達に最低限の儀礼を尽くす。このあとその身体を微に入り細に入り調べる行為を、快く受け入れてくれるよう願う。
「これはこれは……思った通りだ」
死んだ二人も手足の一部を焼いたものの、黒焦げには至っていなかった。
と、ホァユウのそんな声に反応した人影が一つ。
「おお、やっと来てくれたか」
先に到着して、ホァユウの出動を要請した小理官のト・チョウジュがほっとした顔で振り返った。遺体のある部屋の隣室、その窓辺に立って外を見ることで、遺体の存在をなるべく意識しないようにしていたらしい。
「事件性が高いとつい先ほど小耳に挟んだのですが、トさんお一人とは意外ですね」
「自分は、火事で死人が出たから事件か事故か見て来いと上から命じられただけ。こんな明々白々な変死と分かっていたら、最初から捕吏を伴ってきたさ」
確かに彼らの死に様は変死と言えた。何しろ、一人は首をくくった痕跡があり、もう一人は短刀が喉仏の辺りに突き刺さっていると来れば、火事の前に死んでいた可能性が圧倒的に高かろう。
「身元はもう分かっているのですか」
「ああ。死人の見張りで突っ立っているだけでは、刻の無駄であるからな。近所の者を呼び付けて順番に聞いた」
幸いにも死者の顔の煤を払うことで、人相の判別は可能だった。近隣の者の証言により、女がこの家の主でリィ・スーマ、男はオウ・カジャであると把握したという。
「知っている名前だったから、ちょっと驚いたよ。リィ・スーマは少し先の繁華街で茶屋を出して生業にしていた。と言ってもかつて、茶屋は表向きで、夜になると男客に女をあてがっていた時期があった。届け出なしなんてよくあることで、お目こぼししていたんだが。ふた月、いや、み月前になるか、新たに任じられてきた知県が早速いいところを見せようとしたんだろうな。少々取り締まりを厳しくした。こってりと絞られるも罰金でどうにか済んだリィ・スーマの店は、単なるお茶屋に戻ったと聞いている」
「死んだのは、夜の商売を閉じたことによる揉め事の可能性がある?」
「まだ分からん。ホァユウ先生、あんたは死体を調べてくれればいいんだ」
小理官は験屍使よりも位が上なので、“先生”と付けなくても一向にかまわないのだが、ト・チョウジュはホァユウと知り合って長く、幾度も助けられている。よって、敬称を付けるか否かは気分次第だが、付けることの方が多い。
「始めていますよ。もう一人の男の方の身元は?」
「オウ・カジャは石工だ。流れ者だったのが、ここの大工の親方に見込まれて、大きな仕事に携わっている。もう四年か五年くらい前になるか、ラン・ホウセン一族の城の工事があったろ。あのとき、城内に氷室を作った」
ラン・ホウセンとその係累はこの土地の有力貴族で、王朝及び役人とのつながりが強い。一族からも多数、政の場に送り出してきた。
「噂でしか聞いたことがありませんが、冬、北方の湖や池でできた氷を厳重に梱包して運び、その室で保管するのでしたね」
「その通り。オウ・カジャの腕前はたいしたものだったらしく、やつの切り出した石をやつ自身が積み重ねて作った壁は、まったく隙間がない完璧な出来映えだと聞いた。その功績が認められて、この街に家を持てたんだ」
「お二人ともそこそこ名の知られた方なんですねえ。でも、亡くなってしまえば……はかないものです」
お決まりの手順で遺体を診ていくホァユウ。ズールイはその手伝いで、亡くなった者の衣服――まずは男の方から――を脱がしたり、股を開かせたりと黙々と役目に徹していた。
「いつもみたいに外に運び出さなくてもいいのか」
「大丈夫でしょう。幸か不幸か屋根が失われたおかげで、光は充分に入ってきているから。――ズールイ、男性の頭や指先をやってくれ。僕は女性の方をやるから」
髪をかき分け、頭皮を仔細に調べていく二人。と、ホァユウが再びトに尋ねる。
「優秀なトさんのことだから、両名の関係ももう分かっている?」
「お? ああ、単純だ、恋人だとよ。二年前ぐらいからだそうだ。ともに独り身だったから、いずれ婚姻を結ぶつもりじゃないかと言われていた」
「知り合ったきっかけは?」
「む?」
「茶屋の主人と石工がいかにして知り合って、好意を互いに持つまでになった経緯を伺っているのですが、そこまでは調べていない?」
「うむ。大方、茶屋に客として来た石工が、女主人を見初めたか、その逆ってところじゃないか」
「……こちらのリィ・スーマさんは自ら、夜伽の客を取っていた?」
「いや、女将の立場で、より若い女を数人、取り仕切っていたはず」
「好みの男客を見付けたら、自身が出陣なんてことは?」
「なかったんじゃないか。女の身体はまだ診てないのかい?」
「あいにくとこの人手では、お二人同時に裸にしても手が回らず、かえって検験によくない影響を及ぼしかねませんから」
「じゃあ、ちょっと襟元をめくって、左の乳房を見てみるがいい」
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