第17話 星空(アリスの夢)

 夜中にふと目を覚ますと、隣でニーナが安らかな寝息を立てていた。どうやらまた今日もいつの間にかベッドに潜り込んで来たらしい。


 普段なら夏場は辞めろと注意するところだが、〈クーラー〉の魔法のおかげで部屋の温度は快適に保たれている。30分ごとに自動で発動するように設定しておいたが、上手く機能してくれているようだ。


 ふにゃふにゃの可愛らしい寝顔をしている。ほっぺたを触ると、ぷにぷにとお餅のように柔らかかった。……お餅か。そう言えばもうずっと米を食べてないな。この世界にあるのか不明だが、意外と探せばどこかにあるかもしれない。


 前世とこの世界は色々な所が似通っている。小麦や野菜があるのなら、きっとお米だってあるはずだ。他にも醤油とか、味噌とか。


 ダメだ、懐かしい食べ物を思い浮かべていたらお腹が空いてしまう。外はまだ暗く、夜明けには程遠い。もうひと眠りしようかとも思ったが、その前に起きてしまった原因を探りに行くことにした。


 魔力を感じたのは、騎士団の訓練場の辺りか。


 〈魔王〉のスキルの影響なのか、俺は魔力を敏感に感じ取れるようになっていた。〈千里眼〉のスキルも併用すれば、おおよその場所は絞り込める。


 ニーナを起こさないようにベッドから降りて部屋を抜け出す。


 星の綺麗な夜だった。前世では見たことがないほど多くの星々が夜空に輝いている。


 思わず見惚れてしまいそうになりながらも、俺は訓練場の方へと歩みを進めた。


 訓練場に感じる魔力には覚えがある。


 俺が訓練場に立ち入ると、魔力の主は俺の姿をみとめて微笑んだ。


「こんばんは、レイン様。夜更かしをしていては大きくなれませんよ?」

「アリスだってまだまだ成長期じゃないか。こんな夜中に魔法の練習か?」

「ええ。日課のようなものです。こちらに来てから少しお休みしていましたが」


 どうやらそれを今日から再開したらしい。


 アリスは出会った時のとんがり帽子とローブを身にまとっている。その帽子やローブ、そして彼女自身も全身が土に汚れているように見えた。


 いったい何をしていたんだろうか。


「レイン様、魔法に限界はあると思いますか?」

「限界? そんなものがあるのか?」


「……はい。例えば、人は魔法では鳥のように空を自由に移動できないと言われています」


 風の魔法を使って一瞬だけ飛ぶことは出来ても、持続して飛び続けることは難しいらしい。確かに空を飛び続けるには連続して魔法を使用し続ける必要があるか。推進力はともかく、浮力を維持するのは大変そうだ。


「私は今年の春からリース王立学園の魔法科で学んでいます。そこで小さい頃からの夢を発表したんです。いつか鳥のように大空を飛んでみたい。いつか船乗りのように、星の海を旅してみたい。そう言ったら、級友や先生方からも笑われてしまいました」


「……ロマンのわからない連中だなぁ」


 人類の歴史を変えてきたのは、いつだって夢や憧れを追い続けてきた人たちだ。それは前世の世界でも、この世界でも変わらない。人の夢を笑う連中がろくでもないってことも、きっと共通だろうな。


 それにしても、魔法で空を飛びたい、か。アリスの服が土で汚れていたのは、もしかしたら魔法で空を飛ぼうとしていたからだろうか。どうやらあまり、上手く行っていないようだ。


「私自身、魔法を学べば学ぶほどに、空を自由に飛べる魔法を創り出すことは不可能なんじゃないかと思うようになりました。出来ないと断言されているということは、それだけ多くの魔法使いが挑戦して断念してきたということです。名だたる魔法使いたちがなしえなかったことを、私になせるのかと不安を感じていました。……母からレイン様の家庭教師の話を聞いたのはそんな折のことです」


 本当は家庭教師の話を受けるか迷っていたとアリスは話してくれた。


「夢の実現を諦めかけていた私なんかに、レイン様の家庭教師が務まるのかと不安でした。それでもレイン様を知る父やアリシアの勧めもあって、私自身、夢の実現のためのきっかけが掴めるのではないかと考えてここに来ました。その判断は、間違っていなかった」


 アリスは満天の夜空を背に俺を真っすぐ見つめ、そして問う。


「レイン様はどう思われますか? 人は魔法で、空を自由に飛べるでしょうか?」


「断言するよ、アリス」


 俺はアリスの問いに、胸を張って答える。


 彼女の問いに対する答えを、俺は知っているのだから。


「人はいつか、必ず空を自由に飛べるようになる。この満天の星空も、そこに輝く星々にだっていつか必ず辿り着く」


「レイン様なら可能だと……?」

「いいや、そうじゃないさ」


 確かに俺のスキルがあれば、空を飛ぶ魔法もそう苦労せず作れてしまうだろう。


 だけど、それじゃあ意味がない。


「アリスがその一歩を踏み出すんだ。俺でも他の誰かでもなく、他でもない君が。だってこれはアリスの抱いた夢なんだから」


「レイン様……」


 俺は正直、高所恐怖症なのであまり空を飛ぶ魔法には魅力を感じない。むしろそれより、転移系の魔法を使ってみたいものだ。その方が便利そうだし。


「俺に出来る限りの協力はすると約束するよ。だから、俺にもアリスの夢を応援させてくれ」


「……っ! ありがとうございます、レイン様。ギュってしてもいいですか?」


「優しく抱きしめてくれるなら好きにしてくれ」


 注文通り、アリスは俺の体を優しく抱きしめる。柔らかな弾力を感じながら、俺もアリスの背中に手を回して彼女を優しく抱きしめた。


「……もしかしたら、人生で初めて妹に嫉妬したかもしれません」

「アリシアに?」

「ええ。アリシアだけズルいです」


 アリシアがどうズルいのか、アリスが具体的に言葉にすることはなかった。けれど、言わんとしていた事がわからないほど、俺も鈍感じゃない。


 まあ、将来のことは追々考えることにしよう。


 とにかくこの日から、俺とアリスは共同で空を飛ぶ魔法の研究を始めた。〈創造〉のスキルを使わない魔法の開発には膨大な月日を要することになるが、それでも良いと俺は思う。


 これから先、何年後か、何十年後か。


 いつか空を飛ぶ魔法が実現した時、俺たちは最高の達成感を味わえることだろう。それが今から、楽しみで仕方がない。

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