第11話 女神 ③


「いじめか…」


雫石と晴から女子生徒の告発内容を聞いた翔平は、小さく1つため息をついた。


「入学してまだ半月も経ってないのにねぇ」

「まぁでも、珍しいことではないよねぇ」

「…まぁねぇ」


双子の言う通り、権力がものを言う世界で生きている自分たちにとって、それは珍しいことではない。


トップの座を巡って相手を蹴落としたり、莫大な資産を手に入れるために相手を騙したり、嫉妬や恨み、プライドや保身のために手段を選ばない人間は多い。


そしてこの静華学園は、未来のトップを担う人物が多く集まっているのもあって、そうして生きることに疑問を抱かない者も多い。


ここにいる6人も、子供の頃から嫌がらせや妬みをずっと受けてきた。

親や家が有名であれば、容姿が良ければ、成績が優秀であればあるほど、そういったものを受けやすい。

つぼみになれるほどの才能を持っていれば、なおさらである。



しかしそれらが当たり前だからといって、そういった行為を許しているわけではない。

学園内のことであれば、なおさらである。


「問題は、どう解決に持っていくかだな」

「そうだね。いじめをしている生徒の名前は聞けたけど、注意をすれば解決するとは限らないしね」


ただ注意するだけでははぐらかされる可能性もあるし、告げ口を疑ってさらにいじめがひどくなる場合もある。

慎重に、それでいて早期の解決が求められる。


翔平は、隣をちらりと見た。


「証拠がいるな」


吹奏楽部のボイコットが起きた時のような、相手が逃げられないような、確固たる証拠が。


「どうやって集めるかだね」

「もっと証言を集めてみる?」


それには、晴が首を横に振る。


「それは少し危険かもしれない。あまりあのクラスに近付けば感づかれるかもしれない。それに、いじめを受けてる子は自分がいじめを受けてるってなかなか言い出せないと思う」

「確かにそうかも」

「その佐久間さんって子も、匿名で投書してきたしね」


あの女子生徒は、告発したことを周りに知られることを恐れている。

いじめの現場を録画や録音でその生徒に撮ってもらうという方法もあるが、バレた時のリスクが大きすぎる。

唯一の協力者に危険が及ぶようなことは避けた方がいいだろう。



みんなで何かよい方法はないかと考えていると、隣から痛いほどの視線が向けられていることに気付いた。

というより先ほどから気付いていたのだが、気付かないふりをしていたのだ。


翔平を射殺せそうなほどの視線で睨み付けているのは、漆黒の長髪に焦げ茶色の瞳の人物だ。


「何でわたしがこんなことしないといけないわけ」

「あの女子生徒とつぼみとの接触がばれるとまずいからな」

「わたしじゃなくてもいい」

「この中だとお前が一番顔が割れてないだろ。それに、男子が女子を呼び出すと目立つ」

「変装するなら誰でもいいでしょ」

「優希と晴は一度会って顔が割れてる。俺らが女装するよりお前が変装した方が違和感がないだろ」


女子生徒を呼びに行った謎の美少女は、純の変装した姿だったのだ。


ウィッグとカラーコンタクトで髪と瞳の色を変え、軽く化粧をして印象を変えたのだ。

化粧と言っても白い肌と長い睫毛はもともと純のものであり、純の化粧をしようとウキウキしていた雫石は純の顔を前にして、「やることがあまりないわ…」と残念そうにしていた。



いまだに不機嫌そうに翔平を睨み付けている純に、さすがに睨まれ続けて居心地が悪くなってきたのか翔平の視線があらぬ方向に向いている。


純の機嫌に比例するように、部屋の中の空気が氷のように冷えていくのを感じる。

実際はそんなことはないのだが、そう感じるほど純の不機嫌が周囲に与える影響は大きい。


晴と双子にいたっては口を挟むどころか息を潜ませるしかない状況である。

触らぬ神に祟りなしというやつだ。


そんな氷点下の雰囲気の中で、雫石はいつもと変わらない春の日和のようなあたたかい笑みを純に向ける。


「純はお化粧をすると雰囲気が変わるから。つぼみだと気付かれずに佐久間さんと話せたのは、純のおかげよ。ね、翔平くん」

「あ、あぁ」


急に話を振られた翔平は、驚きつつも頷く。


しかし純の不機嫌はいまだに引っこまないらしく、相変わらず翔平を睨み付けている。


「それに純、とても可愛かったわ。私、そんな純を見られて嬉しかった」

「………」


純の不機嫌な目が、ちらりと雫石を見る。

雫石はそんな純にも、嬉しそうに微笑む。


「その髪の色も瞳の色も純に似合っていて素敵だけれど、いつもの純も私は好きだわ」

「………」


にこにこと嬉しそうな雫石の視線を受け、純は再び翔平に視線を戻す。


「次はない」


絶対零度の声で翔平にそう言い放つと、部屋を出て行った。

きっと化粧を落としに行ったのだろう。



純がいなくなると部屋の中の重かった空気が軽くなり、晴と双子はほっと息をつく。

翔平が気にせずに話し合いを進めていたので触れなかったのだが、純はこの部屋についてからずっと機嫌が悪かったのだ。

いつ雷が落ちるかと怖れていた晴と双子にとっては、今の雫石は救世主だった。


「ごめんなさいね。純はお化粧をするのが嫌いなの」


雫石が困ったように微笑む。


「それに、人の注目を集めるのも嫌いだから、今回いろんな人に見られて嫌だったのだと思うわ」

「そうなんだ…。よく引き受けてくれたね」


適任は純しかいなかったとはいえ、翔平に提案された時は即刻却下していたし、雫石に宥められて渋々引き受けてからも機嫌は下降の一途で、化粧をされ始めてからは背後に雷雲でも浮かんでいそうな不機嫌さだった。


さすがに女子生徒を連れて来る間は、事前に翔平に「不機嫌と面倒臭さは出すな。無表情もやめろ」と言われていたこともあってか我慢していたようだが、空き教室に入った瞬間にその仮面は脱ぎ捨てていた。


その瞬間を見てしまった晴は、その変わりようにさすがに驚いた。



「でも、純の新たな一面を知れたよね」

「そうそう。純って結構美少女だったんだね」


双子は純の姿に感心したらしい。

確かに、無表情でもなく面倒くさそうでもなく不機嫌でもない純の姿は、雫石と遜色ないほどの美少女だった。


「そろそろ話を戻すぞ」


翔平はそんな純の姿には見慣れているのか、いつも通りである。


「どうやって証拠を集めるかだが…」

「その前に、1ついいかしら」

「どうした?」

「私も証拠を集めることは賛成よ。ただ、双方の証拠を集めた方が良いと思うの」

「いじめた側と、いじめられた側の?」


晴が尋ねると、雫石は首を横に振る。


「いじめが起きた側と、それを告発した側のよ」


「え?」


晴は驚いて他の3人を見ると、3人も雫石の言いたいことに気付いたようだった。


「告発した内容が、本当かどうかか」

「えぇ。彼女の証言だけを元に動くのは、早計だと思うわ」


雫石はにっこりと美しい笑みを浮かべる。


「ちなみに現状での私の見解は、彼女の証言は嘘よ」


「「え?そうなの?」」


双子が驚いて声を上げる。


「嘘をついているようには見えなかったけど…」


晴には彼女が本当のことを言っているように見えた。


「えぇ。だから、私個人の見解として聞いてほしいわ」



そうして雫石は白い紙に、さらさらとさっきの女子生徒との会話の内容を書き出した。

短い間の会話だったとはいえ、一言一句違わず最後まで書いたので驚いた。


「私も純のようにボイスレコーダーを持っていれば良かったのだけれど…」


雫石は残念そうにため息をつく。


「ボイスレコーダーを常時持ってるのはあいつくらいだろ」


一体何を想定して持っているのかは分からないが、確かに証拠がほしい時には役に立つ。


「つぼみの備品としてボイスレコーダーの申請をしてみようかしら」

「…今度検討するか」


プライバシーなどの問題はありそうだが、必要性とメリットはありそうである。



「それで、この会話のどこが嘘なんだ?」


ざっと翔平が見ても、どこが嘘なのかは分からない。


「私が一番最初に引っかかったのは、アンケートをとりに彼女のクラスへ行った時よ」

「何かあったのか?」

「いじめが起きているとは思えないくらい、明るいクラスだったわ」

「それはつぼみが行ったからじゃないのか?」


特に高等部に進学したばかりの1年生は、つぼみへの憧れが強い。


「えぇ。私も最初はそのせいかと思ったの。でも、投書をしたのが彼女だと分かって少し認識を変えたわ。彼女、私たちを見て嬉しそうにしていたの」


それを聞いて、翔平は少し眉をひそめる。


「単純につぼみに会えて喜んだという可能性もある」


「その子は匿名で投書したのよ?それも、クラスメイトに知られないように。それなのにつぼみがクラスに来たら、自分が告発したことを周りに知られてしまうのではないかと警戒するのではないかしら。それか、様子を窺うか。少なくとも、頬を紅潮して喜びで目を潤ませることではないわ」

「まぁ、確かにな」


翔平は雫石の返しが予想ついていたのか、軽く頷いた。


「そこで少し違和感を覚えたから、詳しく情報を引き出そうと思ったの。会話をしていて最初に引っかかったのは、いじめが始まった時期よ」


「入学してすぐって言ってるね」

「確かに早いなぁとは思ったけど、そんなに変かな?」


双子の反応に、雫石は嬉しそうに微笑む。


「そのすぐ後に、いじめをしているのは内部生とあるわ。中等部や初等部からいたのに、何故高等部に進学してからいじめを始めたのかしら」

「高等部に入って気に入らない相手ができたとか?」

「もしかしたら隠れてただけで昔からいじめてたのかも?」

「その可能性は十分あるわ。それに、いじめをしているとされる内部生の子は、どちらかというと評判は良くないの。本人の雰囲気もあるのだけれど、人当たりがきつく見えるのよね」


「よく知ってるね…」


名前を聞いただけで評判や人となりがすぐに出てくる雫石に、晴は素直に驚いた。


「中等部と初等部でかぶっていると、自然と顔見知りになるのよ」

「高等部は1学年に200人いるけど、中等部は1学年に120人だし、初等部は80人だからね」

「特別仲が良くなくても、あーあの子かーくらいは分かるね」


同じく初等部から学園にいる双子が、雫石の説明を補足する。


そして今は人のいない席に視線を向ける。


「「まぁ、例外もいるけどね…」」


双子の呟きは聞こえなかったのか、雫石は話を進める。



「けれど、その子の評判は良いわけでもないけれど、悪いわけでもないの。少なくとも、いじめをしていたという話は聞かないわ。私の知っている限りのことだから、1つの判断材料として聞いてほしいのだけれど」


雫石の真剣な目を見て、他の4人は頷く。


噂や評判ほどあてにならないものはないが、事実を判断するうえでそれらの傾向を見るのは大切である。

火のないところに煙はたたないというが、富と権力の世界では火のないところでも煙はたつし、火があっても完璧に煙を消すことができる。

見えているところだけではなく、噂や評判のその奥を見通すことが大切なのだ。



「クラスの雰囲気を聞いた時に肯定とも否定ともとれる返事をしているあたり、頭の回る子だと思ったわ。アンケートをとりに行った時を見る限り、クラスの雰囲気は悪いと言えなかったから明言はしなかったのね」

「なるほどな…」


雫石とその女子生徒のやり取りが書かれた紙を見ながら、翔平は低く唸る。


憧れのつぼみと2対1の状況でありながらそこまで考えていたとしたら、確かに頭が回る。



雫石は後半の会話の内容を見て、ふふっと笑う。


「最後の辺りは、彼女が自分で会話の流れをつくっていたわね」

「え、そうだったの?」


驚く晴に、雫石は微笑みながら頷く。


「いじめを恐れながらも、自分は何もしなかったわけではないこと、何かしなくてはという使命感を持っているというアピールをしているわ。そこを晴くんが拾ってくれたことで、すぐに自分は意気地がないと謙遜をすることで、晴くんから「そんなことない」という言葉を貰っているの。晴くんに自分を肯定してほしかったのね」

「え…そうだったの?」


さらに驚く晴に、双子が納得の顔で頷く。


「あー確かに、この流れはそう見えるね」

「まぁ、よくあるやり方だよね。自分が欲しい言葉を、相手から引き出すために思ってもいないことを言うっていう」

「おれ、気付かなかった…」


少し落ち込む晴に、雫石は柔らかく微笑みかける。


「晴くんは相手を思いやって会話をしたのだもの。落ち込むことはないわ。それに、このやり方が悪いというわけではないのよ。無意識という可能性もあるわ。ただ、いじめを解決してほしいという会話の中でその流れが出てくるというのが、少し引っかかったの」


雫石は、白魚のように白く細い指を優雅に組むと、美しい笑みを浮かべる。


「以上が、私が佐久間さんの証言を嘘だと思った理由よ」


「「………」」


他の4人の間に沈黙が落ちる。



これまでの雫石の話を聞いた限りでは、その佐久間という女子生徒の言動には矛盾があり、いじめが起きているという証言も信用に乏しい。


クラスの雰囲気や女子生徒との会話からそのことを導き出した雫石に驚きと感嘆を覚えるが、翔平はこの沈黙がそれだけではないと分かっていた。

他の3人も、この後に雫石が何を言うのかうっすら分かっているのだろう。


それ故の、沈黙だ。



「さぁ、証拠を集めましょうか」



ちょうど変装を解いた純が戻ってきたところで、数分前とは全く違った意味合いを持った言葉を口にして、雫石はいつもと変わらない美しい笑みを浮かべた。

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